2024年4月28日(日)
#388 チャーリー・パットン「A Spoonful Blues」(Paramount)
#388 チャーリー・パットン「A Spoonful Blues」(Paramount)
チャーリー・パットン、1929年リリースのシングル曲。パットン自身の作品。
米国のブルースマン、チャーリー・パットンは、諸説あるが1891年生まれと見られる。ミシシッピ州ハインズ郡のエドワーズ近隣に農民の子として生まれ、後に同州ルールヴィル近くのドッカリー・プランテーションに移住。その地で先輩ミュージシャン、ヘンリー・スローン(1870-1948)の影響を受けてギターを覚え、歌うようになる。
ドッカリー近辺で演奏活動を続け、ウィリー・ブラウン、トミー・ジョンスン、そして若い頃のハウリン・ウルフとも交流があった。
パットンはその顔立ちから察せられるように、白人と黒人、さらには先住民の血も引いているようであった。そのせいか、彼の生み出す音楽にはブルース、ヒルビリー等、多人種混合の傾向が見られる。
その大きくがなるような、いわゆる塩辛い歌声は、パットンの一番の特徴で、その唱法はハウリン・ウルフにも大きな影響を与えたという。確かに、両者を聴き比べると、それは感じられるね。
20年代の末、パットンはパラマウントレーベルと契約、29〜30年の間にインディアナ州リッチモンドやウィスコンシン州グラフトンでレコーディングを重ねて、多くのシングルをリリースしている。
本日取り上げた「A Spoonful Blues」は29年6月リッチモンドでの録音。パットン自身の作品とクレジットされているものの、多くのブルース曲の例に漏れず、完全なオリジナルではない。
1925年には、すでに似通ったタイトルと歌詞を持つ「All I Want is a spponful」がパパ・チャーリー・ジャクスン(1887-1938)がシングルリリースしており、また、ルーク・ジョーダン(1892-1952)の「Cocaine Blues」の歌詞にもパットンと共通した表現が見られるという。
そういった過去曲からインスパイアされて生まれた曲が、この「A Spoonful Blues」であると言えそうだ。
パットンのリリース後、この曲がクローズアップされることは久しくなかったが、30年以上の歳月を経て、ふたつのバージョンがきっかけで、この曲は後世に残るスタンダードとなった。
いうまでもなく、そのひとつ目は後輩ブルースマン、ハウリン・ウルフのシングル「Spoonful」(1960年リリース)であり、もうひとつは、英国のバンド、クリームによるウルフ版のカバー(1966年のアルバム「Fresh Cream」に収録)である。
ともにウィリー・ディクスンが作者としてクレジットされているが、歌詞はパットンの曲におおよそ基づいたものだ。曲の下敷きとなったのは、間違いない。
だが、そのメロディ・ラインは大きく改変され、まったく別物になっている。
パットン版、あるいはそのプロトタイプのジャクスン版が、いかにもデルタ・ブルースっぽい、素朴でのどかな曲調であるのに対して、ウルフ版やクリーム版は攻撃的で荒々しい。
ディクスンは、ウルフのダミ声に最もフィットしたワイルドなメロディ、サウンドを特別にあつらえたのである。
その後、この「Spoonful」という楽曲は、ロックの殿堂によって「ロックンロールを型作った500曲」のひとつに認定され、またローリング・ストーン誌も「史上最も偉大な曲500」の154位にランク付けしている。
パットンのオリジナルのままでは、ここまで人口に膾炙する曲にはなりえなかったには違いないが、それでもパットン版の存在無くしては、ディクスンの優れた曲作りも成立はしなかったはず。言ってみれば、「持ちつ持たれつ」の関係なのである。
「A Spoonful Blues」、あるいは「Spoonful」の歌詞は、とても意味深である。いちいちそれらの歌詞を引用して分析するいとまはないので、省略させていただくが、要するに「愛と欲望」がテーマの歌である。特に「Spoonful=スプーン一杯」のものとは何かといえば、快楽、それも性的快楽やドラッグの暗喩のようだ。
暗喩のオブラートに包んではいるが、結局は人間の根源的な欲望をストレートに衝く内容の歌。
パットンの荒々しい歌声は、まさに我々の内なる野性を呼び覚ますかのようである。
ぜひ、このシンプルでアグレッシブなブルース体験をしてみてくれ。