2024年5月11日(土)
#401 バディ・ガイ「Someone Else Is Steppin’ In(Slippin’ Out, Slippin’ In)」(Silvertone)
#401 バディ・ガイ「Someone Else Is Steppin’ In(Slippin’ Out, Slippin’ In)」(Silvertone)
バディ・ガイ、1994年リリースのアルバム「Slippin’ In」からの一曲。デニス・ラサールの作品。エディ・クレーマーによるプロデュース。
おん年87歳の大御所ブルースマン、バディ・ガイについては「一枚」で3回、「一曲」で2回取り上げている。いまさらその偉大さについて繰り返し語るのもどうかと思うが、やはり今日のブルース・シーンにおいて最古参にして最重要人物なので、くだくだしくはあるがまた取り上げてみたい。
バディ・ガイことジョージ・ガイは1936年、ルイジアナ州レッツワース生まれ。小作農の息子に生まれ、自作の簡易楽器ディドリー・ボウを出発点としてギターを弾くようになり、今日に至るまで約80年間、ずっとギターを友としている。
10代半ば、州都バトンルージュでクラブ出演をするようになり、57年、21歳でシカゴへ移住、マディ・ウォーターズの元で腕を磨いた。コブラ傘下のアーティスティックレーベルで初のレコードをリリース。
続いて60年チェスに移籍、69年頃まで現在に至る代表曲の大半をシングルリリースする。アルバムは67年になりようやく1枚だけが出る。
ガイはチェスレーベル内ではあまり評価されておらず、ソロアーティストというよりは、便利なセッションギタリスト的な扱いであったのだ(マディのほか、リトル・ウォルター、サニーボーイ二世、ココ・テイラーらのバックを担当)。
その一方で、65年頃からハープのジュニア・ウェルズとのデュオがスタートする。当初は変名でレコードをリリースしていたが、チェスを抜けることにより、そのデュオ活動がガイのメインとなって行く。
70年代はアトランティックレーベルなどいくつかのレーベルよりウェルズとのデュオ作品をリリースしたのち、80年代から次第にソロ中心の活動に切り替えていくが、その後半はアルバムリリースもいったん途絶えてしまう。
90年代、シルバートーンレーベルに移籍して、再びガイの活動が活発になる。91年リリースのアルバム「Damn Light, I’ve Got the Blues」を皮切りに、94年までに3枚のアルバムをリリース、いずれも高い評価と好セールスを得る。
本日取り上げた一曲「Someone Else Is Steppin’ In(Slippin’ Out, Slippin’ In)」は、94年リリースの3枚目のアルバム「Slippin’ In」に収録されている。同アルバムはグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞した。
まずは曲を聴いていただこう。ガイのテンション高いシャウトがなんとも印象的な、躍動感にあふれるファンク・ブルース・ナンバーだ。
この曲の作者は、デニス・ラサール。1934年生まれの女性ブルース・シンガーだ。彼女は60年代後半より約50年間活動したブルースの女王的存在であり、また曲作りにもたけていた。「Trapped by a Thing Called Love」「Now Run And Tell That」「I’m So Hot」などが代表的な彼女の作品だ。
80年代、ラサールはソングライターとしてマラコレーベルと契約、本欄で以前取り上げたこともある、ジー・ジー・ヒルのためにも曲を書いた。そのひとつが本曲なのである。
ヒルによるオリジナル・バージョンは、81年の大ヒットアルバム「Down Home」に続く82年リリースのアルバム「The Rhythm and The Blues」に収められている。
ヒルの歌も、もちろん素晴らしい出来で、批評家の高い評価を獲得している。そのディープでしかも張りのあるシャウトは、ヒルならではのものだ。84年には作者ラサール自身によるセルフカバーも、リリースされた。
この曲は、いわゆる「NTR(Netorare)’という、ブルースでしばしば取り上げられるトピックがテーマとなっている。
恋人の家に着いて錠を開けようとしたら、自分の鍵は合わなくなっていた時の衝撃、信じていた恋人に裏切られた悲しみが、ストレートに表現されたナンバー。
大人同士の恋愛感情のもつれを、女性ならではの鋭いセンスで歌にした「Someone Else Is Steppin’ In」。
こういうブルースは、誰にでも書けるものではない。人生経験の豊かな者だけが、書きうる歌詞だろう。
そして誰にでも、すなわちどの年代のシンガーにでも、歌えるものではない。
バディ・ガイ、ジー・ジー・ヒル、デニス・ラサール。いずれも50歳前後の年齢になって、この曲をレコーディングしている。
ブルースを歌って、聴き手の心を強く動かせるのは、やはりそのくらいの年代になってからなのである。
熟成した味わいの、哀感に満ちたブルース。手だれのブルースシンガー3人の至芸を、堪能してくれ。
おん年87歳の大御所ブルースマン、バディ・ガイについては「一枚」で3回、「一曲」で2回取り上げている。いまさらその偉大さについて繰り返し語るのもどうかと思うが、やはり今日のブルース・シーンにおいて最古参にして最重要人物なので、くだくだしくはあるがまた取り上げてみたい。
バディ・ガイことジョージ・ガイは1936年、ルイジアナ州レッツワース生まれ。小作農の息子に生まれ、自作の簡易楽器ディドリー・ボウを出発点としてギターを弾くようになり、今日に至るまで約80年間、ずっとギターを友としている。
10代半ば、州都バトンルージュでクラブ出演をするようになり、57年、21歳でシカゴへ移住、マディ・ウォーターズの元で腕を磨いた。コブラ傘下のアーティスティックレーベルで初のレコードをリリース。
続いて60年チェスに移籍、69年頃まで現在に至る代表曲の大半をシングルリリースする。アルバムは67年になりようやく1枚だけが出る。
ガイはチェスレーベル内ではあまり評価されておらず、ソロアーティストというよりは、便利なセッションギタリスト的な扱いであったのだ(マディのほか、リトル・ウォルター、サニーボーイ二世、ココ・テイラーらのバックを担当)。
その一方で、65年頃からハープのジュニア・ウェルズとのデュオがスタートする。当初は変名でレコードをリリースしていたが、チェスを抜けることにより、そのデュオ活動がガイのメインとなって行く。
70年代はアトランティックレーベルなどいくつかのレーベルよりウェルズとのデュオ作品をリリースしたのち、80年代から次第にソロ中心の活動に切り替えていくが、その後半はアルバムリリースもいったん途絶えてしまう。
90年代、シルバートーンレーベルに移籍して、再びガイの活動が活発になる。91年リリースのアルバム「Damn Light, I’ve Got the Blues」を皮切りに、94年までに3枚のアルバムをリリース、いずれも高い評価と好セールスを得る。
本日取り上げた一曲「Someone Else Is Steppin’ In(Slippin’ Out, Slippin’ In)」は、94年リリースの3枚目のアルバム「Slippin’ In」に収録されている。同アルバムはグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞した。
まずは曲を聴いていただこう。ガイのテンション高いシャウトがなんとも印象的な、躍動感にあふれるファンク・ブルース・ナンバーだ。
この曲の作者は、デニス・ラサール。1934年生まれの女性ブルース・シンガーだ。彼女は60年代後半より約50年間活動したブルースの女王的存在であり、また曲作りにもたけていた。「Trapped by a Thing Called Love」「Now Run And Tell That」「I’m So Hot」などが代表的な彼女の作品だ。
80年代、ラサールはソングライターとしてマラコレーベルと契約、本欄で以前取り上げたこともある、ジー・ジー・ヒルのためにも曲を書いた。そのひとつが本曲なのである。
ヒルによるオリジナル・バージョンは、81年の大ヒットアルバム「Down Home」に続く82年リリースのアルバム「The Rhythm and The Blues」に収められている。
ヒルの歌も、もちろん素晴らしい出来で、批評家の高い評価を獲得している。そのディープでしかも張りのあるシャウトは、ヒルならではのものだ。84年には作者ラサール自身によるセルフカバーも、リリースされた。
この曲は、いわゆる「NTR(Netorare)’という、ブルースでしばしば取り上げられるトピックがテーマとなっている。
恋人の家に着いて錠を開けようとしたら、自分の鍵は合わなくなっていた時の衝撃、信じていた恋人に裏切られた悲しみが、ストレートに表現されたナンバー。
大人同士の恋愛感情のもつれを、女性ならではの鋭いセンスで歌にした「Someone Else Is Steppin’ In」。
こういうブルースは、誰にでも書けるものではない。人生経験の豊かな者だけが、書きうる歌詞だろう。
そして誰にでも、すなわちどの年代のシンガーにでも、歌えるものではない。
バディ・ガイ、ジー・ジー・ヒル、デニス・ラサール。いずれも50歳前後の年齢になって、この曲をレコーディングしている。
ブルースを歌って、聴き手の心を強く動かせるのは、やはりそのくらいの年代になってからなのである。
熟成した味わいの、哀感に満ちたブルース。手だれのブルースシンガー3人の至芸を、堪能してくれ。