2024年5月12日(日)
#402 ロイ・ブラウン「Good Rockin’ Tonight」(Deluxe)
#402 ロイ・ブラウン「Good Rockin’ Tonight」(Deluxe)

ロイ・ブラウン、1947年リリースのシングル・ヒット曲。ブラウン自身の作品。
米国のブルースシンガー、ロイ・ジェイムズ・ブラウンは1920年(または25年)、ルイジアナ州キンダー生まれ。本欄で取り上げてきたアーティスト達の中では、かなり早い時代に生まれている。
生まれてまる一世紀が経った今日では、本国でさえブラウンを知る者は少数派になってしまったが、実はこの人の影響力はとんでもなく強大である。
もし彼が登場することがなければ、ブラックミュージックのみならず、それにインスパイアされて生まれたロックンロール、ロックといった白人系音楽の様相も大きく変わっていたとまで言われる。
それらの全ては、彼の最初のヒット「Good Rockin’ Tonight」から始まったのだ。
ブラウンは、多くのシンガー同様、幼少期に教会でゴスペル音楽を学んで歌い始める。20代には郷里のルイジアナからロサンゼルスに移住、短期間だがプロのボクシング選手もやっている。
20代半ば、45年にチャンスがブラウンに巡ってくる。ビング・クロスビーの曲「There’s No You」を歌って、LAの映画館での歌唱コンクールで優勝する。翌46年、テキサス州ガルベストンに移り、ジョー・コールマン楽団で歌うようになる。その時すでに持ち歌として「Good Rockin’ Tonight」を作っていたという。
黒人ながら白人の曲もソツなく歌えるシンガーとして認められ、各地のクラブで活躍したのち、47年に郷里に戻る。
ニューオリンズのクラブで歌っていた頃、人気ブルースシンガー、セシル・ガント(1913年生まれ)と知り合いになり、彼の伝手でデラックスレーベルのオーナー、ジュール・ブラウンに「Good Rockin’ Tonight」を聴かせることができ、さっそく同レーベルと契約に至る。
ノリのいいジャンプ・ブルース・スタイルの本曲は、47年6月にレコーディングされ、シングルリリースされた。
これがいきなりヒットとなり、まったくの新人シンガーとしては異例のR&Bチャート13位となる。この様子を見た人気シンガー、ワイノニー・ハリス(1915年生まれ)はさっそくカバーシングルを出し、R&Bチャート1位を獲得する。その後、ブラウンは49年に再度チャートインし、11位にランクアップしている。
オリジナルとカバー版の連続ヒットにより、「Good Rockin’ Tonight」はその年最も売れたR&Bナンバーのひとつとなり、リスナーの記憶に強く残ったのである。
その証拠として、54年にデビューしてまもないエルヴィス・プレスリーが、この曲をセカンド・シングルとしてサンレーベルよりリリースしたことが挙げられる。その後もパット・ブーン、モントローズ、ブルース・スプリングスティーンらがカバーしている。
新人シンガーゆえに初戦は先輩シンガーにお株を取られるかたちになってしまったが、ブラウンはその後大躍進を果たす。
47年中にリリースしたセカンド・シングル「Long About Midnight」は、見事R&Bチャート1位となる。49年には「Good Rockin’ Tonight」の続編ともいうべき4枚目のシングル「Rockin’ At Midnight」をリリースして、R&Bチャートでひと月2位をキープする大ヒットとなった。
ブルースというよりも、すでにロックンロールに近い陽性のノリを持ったブラウンのサウンドは、その後約10年間R&B界を牽引し、10曲ほどのベスト10ヒットが生まれた。
その中には、以前取り上げたアルバート・キングの「Bad Luck Blues」の元となった「Hard Luck Blues」(1950年)というブルース曲もあったりする。
前掲のアーティスト達以外にも、ブラウンの曲をカバーしたミュージシャンは数多い。ざっと挙げるなら、ポール・マッカートニー、リッキー・ネルスン、ジェリー・リー・ルイス、ジェイムズ・ブラウン、ドアーズなどキリがない。
黒人ブルースシンガーには、その特徴ある唱法が大きな影響を与えているようだ。メリスマと呼ばれる、こぶしを効かせたスタイルである。B・B・キング、ボビー・ブランド、リトル・リチャードといったあたりが代表例と言えるだろう。
つまり、ロイ・ブラウンこそは、ブルース、R&Bが50年代にロックンロールへと変化、進化していくきっかけを作ったアーティストのひとりなのである。
彼自身の音楽は、その大きな変化の渦に巻き込まれて、時代の経過とともに忘れ去られてしまったが、彼にインスパイアされた人々が大成功することによって、その遺伝子はしっかりと根付いた。
ロックンロールの源流、ロイ・ブラウンのご機嫌なジャンプ・ブルースで、今宵もロッキンしようじゃないか、ブラザー。
米国のブルースシンガー、ロイ・ジェイムズ・ブラウンは1920年(または25年)、ルイジアナ州キンダー生まれ。本欄で取り上げてきたアーティスト達の中では、かなり早い時代に生まれている。
生まれてまる一世紀が経った今日では、本国でさえブラウンを知る者は少数派になってしまったが、実はこの人の影響力はとんでもなく強大である。
もし彼が登場することがなければ、ブラックミュージックのみならず、それにインスパイアされて生まれたロックンロール、ロックといった白人系音楽の様相も大きく変わっていたとまで言われる。
それらの全ては、彼の最初のヒット「Good Rockin’ Tonight」から始まったのだ。
ブラウンは、多くのシンガー同様、幼少期に教会でゴスペル音楽を学んで歌い始める。20代には郷里のルイジアナからロサンゼルスに移住、短期間だがプロのボクシング選手もやっている。
20代半ば、45年にチャンスがブラウンに巡ってくる。ビング・クロスビーの曲「There’s No You」を歌って、LAの映画館での歌唱コンクールで優勝する。翌46年、テキサス州ガルベストンに移り、ジョー・コールマン楽団で歌うようになる。その時すでに持ち歌として「Good Rockin’ Tonight」を作っていたという。
黒人ながら白人の曲もソツなく歌えるシンガーとして認められ、各地のクラブで活躍したのち、47年に郷里に戻る。
ニューオリンズのクラブで歌っていた頃、人気ブルースシンガー、セシル・ガント(1913年生まれ)と知り合いになり、彼の伝手でデラックスレーベルのオーナー、ジュール・ブラウンに「Good Rockin’ Tonight」を聴かせることができ、さっそく同レーベルと契約に至る。
ノリのいいジャンプ・ブルース・スタイルの本曲は、47年6月にレコーディングされ、シングルリリースされた。
これがいきなりヒットとなり、まったくの新人シンガーとしては異例のR&Bチャート13位となる。この様子を見た人気シンガー、ワイノニー・ハリス(1915年生まれ)はさっそくカバーシングルを出し、R&Bチャート1位を獲得する。その後、ブラウンは49年に再度チャートインし、11位にランクアップしている。
オリジナルとカバー版の連続ヒットにより、「Good Rockin’ Tonight」はその年最も売れたR&Bナンバーのひとつとなり、リスナーの記憶に強く残ったのである。
その証拠として、54年にデビューしてまもないエルヴィス・プレスリーが、この曲をセカンド・シングルとしてサンレーベルよりリリースしたことが挙げられる。その後もパット・ブーン、モントローズ、ブルース・スプリングスティーンらがカバーしている。
新人シンガーゆえに初戦は先輩シンガーにお株を取られるかたちになってしまったが、ブラウンはその後大躍進を果たす。
47年中にリリースしたセカンド・シングル「Long About Midnight」は、見事R&Bチャート1位となる。49年には「Good Rockin’ Tonight」の続編ともいうべき4枚目のシングル「Rockin’ At Midnight」をリリースして、R&Bチャートでひと月2位をキープする大ヒットとなった。
ブルースというよりも、すでにロックンロールに近い陽性のノリを持ったブラウンのサウンドは、その後約10年間R&B界を牽引し、10曲ほどのベスト10ヒットが生まれた。
その中には、以前取り上げたアルバート・キングの「Bad Luck Blues」の元となった「Hard Luck Blues」(1950年)というブルース曲もあったりする。
前掲のアーティスト達以外にも、ブラウンの曲をカバーしたミュージシャンは数多い。ざっと挙げるなら、ポール・マッカートニー、リッキー・ネルスン、ジェリー・リー・ルイス、ジェイムズ・ブラウン、ドアーズなどキリがない。
黒人ブルースシンガーには、その特徴ある唱法が大きな影響を与えているようだ。メリスマと呼ばれる、こぶしを効かせたスタイルである。B・B・キング、ボビー・ブランド、リトル・リチャードといったあたりが代表例と言えるだろう。
つまり、ロイ・ブラウンこそは、ブルース、R&Bが50年代にロックンロールへと変化、進化していくきっかけを作ったアーティストのひとりなのである。
彼自身の音楽は、その大きな変化の渦に巻き込まれて、時代の経過とともに忘れ去られてしまったが、彼にインスパイアされた人々が大成功することによって、その遺伝子はしっかりと根付いた。
ロックンロールの源流、ロイ・ブラウンのご機嫌なジャンプ・ブルースで、今宵もロッキンしようじゃないか、ブラザー。