2024年4月25日(木)
#385 マッド・モーガンフィールド「Trouble No More」(Severn)
マッド・モーガンフィールド、2014年リリースのアルバム「For Pops|A Tribute To Muddy Waters」からの一曲。マッキンリー・モーガンフィールド(マディ・ウォーターズの本名)の作品。デイヴィッド・アール、スティーヴ・ゴメスによるプロデュース。
黒人ブルース・シンガー、マッド・モーガンフィールドは、その名前からも分かるように、ブルースの頂点に君臨したマディ・ウォーターズの息子。長男である。
本名はラリー・ウィリアムズ。1954年、マディと彼の最初の妻、ミルドレッド・ウィリアムズとの間にシカゴで生まれている。幼少期に父母が離婚したため、父親の顔を知らず、ずっと疎遠で暮らしていたという。
音楽の道に進むこともなく、地味にトラックの運転手で生計を立てていたウィリアムズだったが、1983年4月、28歳の時に人生の一大転機を迎える。父、マディ・ウォーターズの死である。
それを機に、彼の中で父親のように歌ってみたいという気持ちが高まり(夢にまで出てきたという)、ミュージシャンに転身する道を選んだ。そして、マッド・モーガンフィールドという父にちなんだステージ・ネームを名乗ったのである。
歌ってみると、モーガンフィールドの歌声は、なんと亡き父にそっくりであった。顔も親子だけによく似ているのだが、それ以上に声が瓜二つ。こんなことは、滅多にあるものではない。
シカゴ南部のブルースクラブを拠点として活動を始めたモーガンフィールドは、父親の曲をそのままカバーするだけでなく、雰囲気の近いオリジナル曲も自ら作り、歌っていた。
それを自主制作盤というかたちでまとめたのが、2008年リリースのアルバム「Fall Waters Fall」である。1曲、ウィリー・ディクスン作、マディが歌った「The Same Thing」の改題曲「Same Old Thing」以外は、マディ風味のオリジナルである。
このアルバムリリース以降、マッド・モーガンフィールドは、ゆっくりとしたペースでレコーディングしていく。
2012年リリースの「Sons Of The Seventh Son」に続いて2014年に出したのが、本日取り上げた「Trouble No More」が収録された「For Pops|A Tribute To Muddy Waters」である。Popsとはむろん、マディのことを指している。
このアルバムでは、ファビュラス・サンダーバーズのフロントマン、キム・ウィルスンがハープで全面的にバックアップしている。かつてのマディ&リトル・ウォルターを彷彿とさせるコンビネーションである。
曲はアルバムタイトルが示すように、全曲、マディのカバー。ファーストとセカンドアルバムでは、マディのカバーは一曲ずつであったが、ここでは全面解禁したかのようにマディ一色となっている。
このアルバム、モーガンフィールドの30年にわたる音楽人生の総決算であり、そして父への諸々の想いをひとつにまとめて集大成したとも言える。
「Trouble No More」のオリジナルは1955年にレコーディングされ、シングルリリースされた、マディ自作のナンバー。とはいえ、カントリーブルースのベテラン、スリーピー・ジョン・エスティスの「Someday Baby Blues」(1935年)が下敷きになっている。
ロックファンの皆さんには、マディ版よりもそれをカバーしたオールマン・ブラザーズ・バンドのバージョンの方がより有名かもしれない(スタジオ版、フィルモア・ライブ版共にあり)。また、「Someday Baby」というタイトルのボブ・ディラン版(2006年)を思い出す人もいるかも。
要はエスティスのまとめたカントリーブルースをマディが都会風にアレンジして広め、それが白人ロックミュージシャンたちにも強い影響を与えたのである。
このモーガンフィールド・バージョンを聴いていただくと、単に父親の声に似ているだけでなく、その唱法や微妙なニュアンス、つまり芸風までほぼ完璧に再現していることが分かると思う。
まさに二代目マディ・ウォーターズ。モーガンフィールドが「マディ・ウォーターズ・ジュニア」の別名でも呼ばれている所以である。
偉大なる父の存在無くしては、自分というミュージシャンも存在しなかった。そして、父のフォロワーである限り、本当のトップには立てない。それはモーガンフィールド自身が一番強く感じていることだろう。
でも、父親のことを一番尊敬し、愛しているから、それでも構わないのだ。
そんな父親であり、先達であるマディ・ウォーターズへの想いが滲み出た、モーガンフィールドの熱唱。ぜひ聴いてみてほしい。
黒人ブルース・シンガー、マッド・モーガンフィールドは、その名前からも分かるように、ブルースの頂点に君臨したマディ・ウォーターズの息子。長男である。
本名はラリー・ウィリアムズ。1954年、マディと彼の最初の妻、ミルドレッド・ウィリアムズとの間にシカゴで生まれている。幼少期に父母が離婚したため、父親の顔を知らず、ずっと疎遠で暮らしていたという。
音楽の道に進むこともなく、地味にトラックの運転手で生計を立てていたウィリアムズだったが、1983年4月、28歳の時に人生の一大転機を迎える。父、マディ・ウォーターズの死である。
それを機に、彼の中で父親のように歌ってみたいという気持ちが高まり(夢にまで出てきたという)、ミュージシャンに転身する道を選んだ。そして、マッド・モーガンフィールドという父にちなんだステージ・ネームを名乗ったのである。
歌ってみると、モーガンフィールドの歌声は、なんと亡き父にそっくりであった。顔も親子だけによく似ているのだが、それ以上に声が瓜二つ。こんなことは、滅多にあるものではない。
シカゴ南部のブルースクラブを拠点として活動を始めたモーガンフィールドは、父親の曲をそのままカバーするだけでなく、雰囲気の近いオリジナル曲も自ら作り、歌っていた。
それを自主制作盤というかたちでまとめたのが、2008年リリースのアルバム「Fall Waters Fall」である。1曲、ウィリー・ディクスン作、マディが歌った「The Same Thing」の改題曲「Same Old Thing」以外は、マディ風味のオリジナルである。
このアルバムリリース以降、マッド・モーガンフィールドは、ゆっくりとしたペースでレコーディングしていく。
2012年リリースの「Sons Of The Seventh Son」に続いて2014年に出したのが、本日取り上げた「Trouble No More」が収録された「For Pops|A Tribute To Muddy Waters」である。Popsとはむろん、マディのことを指している。
このアルバムでは、ファビュラス・サンダーバーズのフロントマン、キム・ウィルスンがハープで全面的にバックアップしている。かつてのマディ&リトル・ウォルターを彷彿とさせるコンビネーションである。
曲はアルバムタイトルが示すように、全曲、マディのカバー。ファーストとセカンドアルバムでは、マディのカバーは一曲ずつであったが、ここでは全面解禁したかのようにマディ一色となっている。
このアルバム、モーガンフィールドの30年にわたる音楽人生の総決算であり、そして父への諸々の想いをひとつにまとめて集大成したとも言える。
「Trouble No More」のオリジナルは1955年にレコーディングされ、シングルリリースされた、マディ自作のナンバー。とはいえ、カントリーブルースのベテラン、スリーピー・ジョン・エスティスの「Someday Baby Blues」(1935年)が下敷きになっている。
ロックファンの皆さんには、マディ版よりもそれをカバーしたオールマン・ブラザーズ・バンドのバージョンの方がより有名かもしれない(スタジオ版、フィルモア・ライブ版共にあり)。また、「Someday Baby」というタイトルのボブ・ディラン版(2006年)を思い出す人もいるかも。
要はエスティスのまとめたカントリーブルースをマディが都会風にアレンジして広め、それが白人ロックミュージシャンたちにも強い影響を与えたのである。
このモーガンフィールド・バージョンを聴いていただくと、単に父親の声に似ているだけでなく、その唱法や微妙なニュアンス、つまり芸風までほぼ完璧に再現していることが分かると思う。
まさに二代目マディ・ウォーターズ。モーガンフィールドが「マディ・ウォーターズ・ジュニア」の別名でも呼ばれている所以である。
偉大なる父の存在無くしては、自分というミュージシャンも存在しなかった。そして、父のフォロワーである限り、本当のトップには立てない。それはモーガンフィールド自身が一番強く感じていることだろう。
でも、父親のことを一番尊敬し、愛しているから、それでも構わないのだ。
そんな父親であり、先達であるマディ・ウォーターズへの想いが滲み出た、モーガンフィールドの熱唱。ぜひ聴いてみてほしい。