2001年1月21日(日)
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べック・ボガ-ト&アピス「ライヴ・イン・ジャパン」(Epic/SME)
すまないが、4連チャンでライヴ盤である。どうしても、このアルバムも聴きたくなってしまった。
これは、タイトル通りBB&A来日時のライヴで、1973年5月18・19日大阪厚生年金会館での録音。
つい最近、日本のチャ-と共演しとったボガ-ト=アピスのコンビだが、ふたりの付き合いは67年にデビューしたヴァニラ・ファッジ時代からだから、相当長い。
一方、ヤードバーズに嫌気がさして66年暮れに脱退したジェフ・べックは、ジェフ・べック・グループ(第一期)を結成、活動していたがリズム・セクションの2名が脱退したため、かわりのメンバーをさがしているうちにボガ-ト=アピスに注目し、彼らに誘いをかけたのである。
ところが新バンド結成寸前の69年11月、べックが自動車事故を起こし負傷してしまい、その間にボガ-ト=アピスは新グループ、カクタスへと参加してしまう。
しかたなくべックは、翌年第二期のジェフ・べック・グループをコ-ジー・パウエルらと結成し、従来よりもファンク路線寄りの音作りをするようになる。
72年7月にはそれも解散、「君の名は」ばりのすれ違いを続けた彼らもようやくひとつとなって、9月にBB&Aとしてデビューすることになる。
前グループでのファンク路線からの反動か、BB&Aでは極めてハードロック色の強いサウンドを追求するようになった。
73年2月発表の1stアルバムは日本でも好セールス、はやくも5月には来日を果たすこととなる。もちろん、3名ともに初来日であった。
マクラが長くなってしまったが、当時のBB&Aの昇り調子と、日本でのハードロックファン急増の勢いがひとつになり、ものすごくパワーを感じさせるライヴ盤に仕上がっている。
日本のみでの発売であったが、英米のファンにもコレクターズ・アイテムとして垂涎の的であった。
また、トーキング・モジュレ-タ-といえば、前出のフランプトン・ライヴの「ショウ・ミ-・ザ・ウェイ」で使われたことであまりに有名だが、もとはといえば、この「BB&A LIVE」で使われてはじめてメジャーな存在になったのである。
オープニングは「迷信」、そう、スティービー・ワンダーが彼らに提供した、あの名曲である。その「迷信」から「プリンス/ショットガン」までの13トラック、全編ハードロック一色である。
カントリー調の「スウィート・スウィート・サレンダ-」でさえ、べックのギター・フレーズはこのうえなくスリリングだ。ソウル・バラード「アイム・ソ-・プラウド」も、しっかりと彼ら流のハードロックに仕上げている。
すさまじいエネルギーでビートを生み出す、当時世界最強といわれたリズム・セクションのふたりをバックに、べックのエキセントリックなギターが暴れまくるさまは、当時高校生になったばかりの筆者にとって、衝撃以外の何ものではなかった。
FMでエアチェックしたテープを、それこそ擦り切れるまで聴いたものだ。
仲間うちでも、「レディ」や「ジェフズ・ブギー」を完コピで弾けるヤツは、ヒーローだった。
その後の、日本のロックシーンに与えた影響から言えば、ZEPの「FOUR SYMBOLS」、DPの「MACHINE HEAD」に匹敵するといえるだろう。
旧世代のJL&Cにせよ、新世代のトライセラにせよ、原点はこのBB&Aであるといってよい。
一時はアナログ盤の廃盤でまったく手に入らず、筆者も中古レコード店を巡っては見つからず溜息の連続であったが、こうやってCDで89年に再リリースされたのはまことにうれしい。
いつだって、ロックがロックらしかった、あの時代にタイムスリップ出来るのだから。