2010年8月7日(土)
#133 キャロル「やりきれない気持」(ゴールデン・ヒッツ/マーキュリー・ミュージックエンタテインメント)
#133 キャロル「やりきれない気持」(ゴールデン・ヒッツ/マーキュリー・ミュージックエンタテインメント)
キャロルのサードシングル。73年2月リリース。大倉洋一・矢沢永吉の共作。
キャロルについて、いまの若いリスナーたちが知っていることは「その昔、矢沢永吉がデビューしたバンド」、そんな程度だと思うが、リアルタイムでキャロルの出現を体験した世代にとっては「存在そのものが、未曾有の衝撃」、そんな感じだった。いやホントに。
キャロルは1972年6月、ベース、ボーカルの矢沢永吉が書いた、一枚のバンドメンバー募集ビラから始まった。
「ビートルズとロックンロールの好きなヤツ、求ム!」
これにこたえて集まったのが、ジョニーこと大倉洋一(g,vo)、内海利勝(g)、ユウ岡崎(ds)だった。バンド名は、大倉が命名したという。
いまでいうところのライブハウス(「ヤマト」など)で活動を始めたところ、あっという間に人気が出て、10月にはテレビ番組「リブ・ヤング」に出演というビッグ・チャンスが舞い込む。
出演して即日、レコーディングの契約。12月にはシングル・デビュー。なんというスピード出世(笑)。
以降、怒濤の毎月シングルリリースが続く。きょう聴いていただく「やりきれない気持」はその第3弾で、その攻勢は6月に彼ら最大のヒット「ファンキー・モンキー・ベイビー」が出るまで7か月も続いた。
なにもかもが新記録ずくめのキャロルだったわけだが、キャロルがこれまでのバンドと最も違っていたのは「彼ら本来の不良性まる出しのファッションでデビューし、それがそのまま受け入れられた」ということだった。
彼らの少し前に一世を風靡したグループサウンズの連中、いやいや海外のご本家・ビートルズ、ストーンズでさえ、デビュー時には一般ウケするよう、それなりに不良性を抑えたファッションで登場したのにである。これは、ホント、衝撃だった。
ハンブルグ時代のテディボーイ・スタイルのままで突然登場した、ビートルズ・チルドレン。これには、現役の不良はいうにおよばず、元不良、さらには非不良層まで魅せられたんである。まさに革命だった。
いま改めて考えてみるにキャロルは、世界中に無数に存在する、あるいはしてきたビートルズ・フォロワーの中でも、もっともヒップでいかしたバンドだったと思う。
キャロルに先立ってビートルズ・フォロワーとして注目されていたのが、72年6月デビューのチューリップだった。が、このキャロルの出現で、見事にかすんでしまった。
大学のフォークサークルの匂いのする非不良、つまり草食でいかにも安全パイ的なチューリップに比べて、キャロルは肉食のガテン系。断然ワイルドでセクシーな不良の匂いをぷんぷんとさせていた。
歌も演奏もあきらかにキャロルのほうがうまい。となれば、「不良な男性は怖いですぅ」なんて言うオタク女子を除けば、男も女も、こちらにひきつけられるに決まっている。
当時の筆者も、自身不良としては中途半端で、髪型をリーゼントに変えこそしなかったが、「チューリップは音も見かけもダサい。キャロルのほうが上」と思っていた。
というわけで、前フリが長くなってしまったが、きょうの一曲、聴いてほしい。リードボーカルはジョニー大倉。
キャロルの曲は、ヒットしたのはどちらかといえば矢沢がリードをとったものが多いのだが、ジョニーの甘い声もなかなかいい。
後にはその出自をカミングアウト、俳優としても活躍。矢沢のような、なかば神格化されたスターへの道はたどらなかったものの、ジョニーもシンガーとして素晴らしいものをもっているし、日本語・英語をたくみに織り交ぜた作詞術にも、時代を先取りしたセンスを感じる。
ファッション的には、どちらかといえばメジャーデビュー後のビートルズの線を狙っていた矢沢に対して、あくまでもテディボーイスタイルにこだわって、キャロルの独自性、革新性をリードしたのがジョニーと聞くと、キャロルとは矢沢というよりはジョニーのバンドだったのかもしれない。
永遠の、そして唯一無二の不良バンド、キャロル。
その音楽のキャッチーさは、日本のポップ音楽史上でも突出したものだと思う。CHECK IT OUT!