2024年5月21日(火)
#411 シバ「夜汽車にのって」(キング/Bellwood)
#411 シバ「夜汽車にのって」(キング/Bellwood)
シバ、1972年8月リリースのオムニバス・ライブ・アルバム「春一番コンサート・ライブ!」からの一曲。シバ自身の作品。同年5月6日、大阪市天王寺公園野外音楽堂にて収録。
日本のフォーク・ブルース・シンガー、シバ(綴りはShivaらしい)は1949年8月生まれの現在74歳(出身地は不詳)。本名・三橋誠(みつはし・まこと)。
1969年から始まった、岐阜県中津川で開催された「全日本フォークジャンボリー」の第2回(70年8月)、第3回(71年8月)に出演して、その名前を知られるようになる。
72年、ファースト・アルバム「青い空の日」をURC(アングラ・レコード・クラブ)よりリリースする。
その一方、「武蔵野タンポポ団」というグループにも参加している。バンドというよりはメンバー不定のフォーク集団で、高田渡、シバ以外は流動的で、他に山本コウタロー、若林純夫らがいた。グループ名の由来は、シバが武蔵野の河原でタンポポを食べていたことによる。
シバはそのミュージシャン活動のかたわら、三橋乙椰(みつはし・おとや)というペンネームで漫画家としても活動しており、永島慎二のアシスタントをしていた時期もある。主に漫画誌「ガロ」で作品を発表、後に80年代以降、ブックマン社や青林堂などから作品集を出している。ファースト・アルバムのジャケット・イラストレーションも彼自身の手によるものだ。
フォークと漫画、言ってみれば70年代当時の若者によるアンダーグラウンド文化(サブカルチャー)をひとりで体現しているようなアーティストだったのだ、シバという人は。
その演奏スタイルは、基本アコースティック・ギターの弾き語り。それにハーモニカが加わることもある。
そのギタープレイは、ミシシッピ・ジョン・ハートやライトニン・ホプキンスといった、黒人フォーク&ブルース・ギタリストたちに強く影響を受けたフィンガーピッキング・スタイルである。
本日取り上げた一曲「夜汽車にのって」は、デビュー・アルバムにも収められたシバのオリジナル。
それを71年以来始まった、大阪のフォークイベント「春一番」で披露しているので、そちらのバージョンで聴いていただこう。
実はこの曲、筆者もギターを覚えたての72年秋、中学校の文化祭のステージで演ったことがある。当時の筆者は一緒に組んでくれるメンバーがいなかったため、まずはひとり弾き語りというスタイルをとるしかなく、そこで選んだのがこのシバの曲だったのだ。
この曲、実際に弾いてみると、なかなか難しい。フィンガーピッキングも結構高度なテクニックを使っているし、少し吐きぎみに歌うそのボーカルも、一見素朴そうに見えて決して簡単ではなかった。
結局、再現度は40パーセント以下だったが、まぁそこはギター1年目の中坊、チャレンジしただけでも良し、と考えるべきなのだろう。
この曲は、米国のブルースでもよく見られるタイプの歌詞、つまりある街にしばらく滞在したものの、いろいろヤバいトラブル(オンナか、金か?)が起きてしまい、そこにはいられなくなってしまった。荷物をまとめて、別の街に逃げていくしかねぇという、わりと紋切り型の内容だ。
でも、そのひなびた曲調により、あまり深刻さは感じさせない。夜汽車にひとり乗るという行動も、10代前半の子供から見ると、普段は出来ない魅力的な冒険にさえ見えた。
しょせんおいらは風来坊、風のようにどこからか来て、またどこかへ消えていくのさ、みたいな感じで、それがまた放浪生活やアンダーグラウンド文化に憧れる中坊には、えらく魅力的に感じられたのである、結局のところ。
シバの独特の高めの声質、少しクセのある歌い方は、とても万人向けとは言えないものの、一定の層にはグッとくるものがある。
決してメジャーにはならないが、少しずつ確実にファンを掴んでいく、そんな歌声だ。
同じく弾き語りを得意としたほぼ同世代のシンガー、加川良(1947-2017)も、この曲を気に入って翌73年リリースのライブ・アルバム「やぁ。」でカバーしている。こちらもなかなか味わい深い好演だ。
日本人としては珍しく、ごく自然にブルース感覚を体得し、表現したシンガーとして、シバは記憶されていいと思う。
シバは70代となった現在も、たまにライブ活動を行なっているということなので、本欄を読んで興味が湧いた方は、機会があればぜひ彼のパフォーマンスに触れてみてほしい。
日本のフォーク・ブルース・シンガー、シバ(綴りはShivaらしい)は1949年8月生まれの現在74歳(出身地は不詳)。本名・三橋誠(みつはし・まこと)。
1969年から始まった、岐阜県中津川で開催された「全日本フォークジャンボリー」の第2回(70年8月)、第3回(71年8月)に出演して、その名前を知られるようになる。
72年、ファースト・アルバム「青い空の日」をURC(アングラ・レコード・クラブ)よりリリースする。
その一方、「武蔵野タンポポ団」というグループにも参加している。バンドというよりはメンバー不定のフォーク集団で、高田渡、シバ以外は流動的で、他に山本コウタロー、若林純夫らがいた。グループ名の由来は、シバが武蔵野の河原でタンポポを食べていたことによる。
シバはそのミュージシャン活動のかたわら、三橋乙椰(みつはし・おとや)というペンネームで漫画家としても活動しており、永島慎二のアシスタントをしていた時期もある。主に漫画誌「ガロ」で作品を発表、後に80年代以降、ブックマン社や青林堂などから作品集を出している。ファースト・アルバムのジャケット・イラストレーションも彼自身の手によるものだ。
フォークと漫画、言ってみれば70年代当時の若者によるアンダーグラウンド文化(サブカルチャー)をひとりで体現しているようなアーティストだったのだ、シバという人は。
その演奏スタイルは、基本アコースティック・ギターの弾き語り。それにハーモニカが加わることもある。
そのギタープレイは、ミシシッピ・ジョン・ハートやライトニン・ホプキンスといった、黒人フォーク&ブルース・ギタリストたちに強く影響を受けたフィンガーピッキング・スタイルである。
本日取り上げた一曲「夜汽車にのって」は、デビュー・アルバムにも収められたシバのオリジナル。
それを71年以来始まった、大阪のフォークイベント「春一番」で披露しているので、そちらのバージョンで聴いていただこう。
実はこの曲、筆者もギターを覚えたての72年秋、中学校の文化祭のステージで演ったことがある。当時の筆者は一緒に組んでくれるメンバーがいなかったため、まずはひとり弾き語りというスタイルをとるしかなく、そこで選んだのがこのシバの曲だったのだ。
この曲、実際に弾いてみると、なかなか難しい。フィンガーピッキングも結構高度なテクニックを使っているし、少し吐きぎみに歌うそのボーカルも、一見素朴そうに見えて決して簡単ではなかった。
結局、再現度は40パーセント以下だったが、まぁそこはギター1年目の中坊、チャレンジしただけでも良し、と考えるべきなのだろう。
この曲は、米国のブルースでもよく見られるタイプの歌詞、つまりある街にしばらく滞在したものの、いろいろヤバいトラブル(オンナか、金か?)が起きてしまい、そこにはいられなくなってしまった。荷物をまとめて、別の街に逃げていくしかねぇという、わりと紋切り型の内容だ。
でも、そのひなびた曲調により、あまり深刻さは感じさせない。夜汽車にひとり乗るという行動も、10代前半の子供から見ると、普段は出来ない魅力的な冒険にさえ見えた。
しょせんおいらは風来坊、風のようにどこからか来て、またどこかへ消えていくのさ、みたいな感じで、それがまた放浪生活やアンダーグラウンド文化に憧れる中坊には、えらく魅力的に感じられたのである、結局のところ。
シバの独特の高めの声質、少しクセのある歌い方は、とても万人向けとは言えないものの、一定の層にはグッとくるものがある。
決してメジャーにはならないが、少しずつ確実にファンを掴んでいく、そんな歌声だ。
同じく弾き語りを得意としたほぼ同世代のシンガー、加川良(1947-2017)も、この曲を気に入って翌73年リリースのライブ・アルバム「やぁ。」でカバーしている。こちらもなかなか味わい深い好演だ。
日本人としては珍しく、ごく自然にブルース感覚を体得し、表現したシンガーとして、シバは記憶されていいと思う。
シバは70代となった現在も、たまにライブ活動を行なっているということなので、本欄を読んで興味が湧いた方は、機会があればぜひ彼のパフォーマンスに触れてみてほしい。