2024年5月29日(水)
#419 ルーサー・アリスン「Help Me」(Delmark)
#419 ルーサー・アリスン「Help Me」(Delmark)
ルーサー・アリスン、1969年リリースのファースト・アルバム「Love Me Mama」からの一曲。サニーボーイ・ウィリアムスンII、ラルフ・バス、ウィリー・ディクスンの作品。ロバート・G・ケスターによるプロデュース。シカゴ録音。
米国のブルースマン、ルーサー・シルベスター・アリスンは1939年アーカンソー州ワイドナー生まれ。15人兄弟 の14番目の子である。
兄弟のうち5人がゴスペルグループのサザン・トラベラーズで歌う、音楽一家だった。アリスンも教会でオルガンを弾くようになる。12歳の時、より良い仕事を求めて一家がシカゴに移住。
兄のオリー・アリスンはすぐにブルースギタリストとして生計を立てるようになる。それに刺激されてアリスンもギターを始める。10代半ばで兄のバンドでも演奏出来る腕前となる。
その後オリーとグラント、ふたりの兄と共にバンドを結成する。当初のバンド名は、なんとローリング・ストーンズ。後にフォー・ジヴァーズと改名する。
57年、ビッグ・チャンスが舞い込む。大御所ブルースマン、ハウリン・ウルフ(当時47歳)のステージに招かれ、共演したのである。アリスンはこれで注目を浴びるようになる。
そしてアリスンの兄弟がバックを務めていた気鋭のブルースマン、フレディ・キング(当時23歳)がメジャーデビューする際に、シカゴのウエスト・サイドのクラブの仕事をアリスンに引き継がせてくれた。
これらのおかげで、アリスンは60年代前半までクラブ・サーキット(巡業)で活躍するようになる。
最初のシングルを65年に録音。67年にデルマークレーベルと契約して、本格的なレコーディング・キャリアが始まる。
そして69年、ついに完成したのが、本日取り上げた一曲「Help Me」を含むデビュー・アルバム「Love Me Mama」というわけである。
このアルバムは彼の10年あまりのプロ生活の、総決算的な選曲になっている。ハウリン・ウルフ、B・B・キング、エディ・ボイド、エルモア・ジェイムズといった大物ブルースマンのカバーがほとんどで、アリスンのオリジナルは3曲のみであった。
「Help Me」もまた、超大物のひとり、サニーボーイ・ウィリアムスンIIの代表的ナンバーだ。
オリジナルは63年、チェッカーレーベルよりシングルリリースされた。ウィリアムスン本人とレコードプロデューサーのラルフ・バス、ウィリー・ディクスンの共作となっている。R&Bチャートで24位のヒットとなる。
ブッカー・T &MG’Sのヒット曲「Green Onions」(62年リリース)のサウンドをうまく拝借したマイナー・ブルースとして知られるこの曲に、アリスンは大胆に自分流のアレンジを加えている。
それは、ワウ・ペダルの使用である。
黒人ブルースギタリストの大半は、69年の時点ではこのギターエフェクターを使うことに対して、ためらいがあったと思う。
ブルースギターはノーエフェクト、クリーントーンこそが尊い、みたいな信仰めいたものが根強くあったからだ。
しかし当時、ブルースをめぐる音楽シーンは、大きく変わりつつあった。
その台風の目のような存在だったのが、ジミ・ヘンドリックスだ。彼は黒人でブルース畑出身でありなから、ファズ、ワウ・ペダルなど、最新のテクノロジーを遠慮なく導入して、あの革新的なサウンドで一世を風靡した。
これに呼応するかのように、黒人ブルース側にも変化の動きが出てくる。大御所マディ・ウォーターズの実験的アルバム「Electric Mud」(68年リリース)である。そこでは、サイケデリックなギターサウンドを大々的にフィーチャーして、多くのブルースファンを驚かせた。
アリスンもまた、この時代の流れを無視することが出来なかった。
従来のブルース・ギターのサウンドを墨守するのではなく、時代に即して変えていく、変わっていく道をとったのである。
ギターをワウ・ペダルに常時通して、ソロを弾くというよりは、リズムギターの延長として弾くこのスタイルは、いうならばブルースギターのコペルニクス的転回である。
この曲の主役はギターではなく、むしろアリスンのハイテンションな塩辛い歌声なのだ。上手いというよりは、個性的な声。マイナー・チューンによくフィットする、ブルージィな声なのである。
「助けて、お前なしでは暮らせないんだ」という男の悲痛な叫びが、アリスンの声に見事にハマり、聴く者の心を揺り動かす。そんな一曲だ。
アリスンはその後、あまり順風とはいえない、いろいろと紆余曲折の多い音楽人生を送る。大手モータウンに移籍したもののあまり売れず、長らくヨーロッパに移住して活動を続けた末、90年代の半ばにようやく本国で本格復帰したのだが、残念なことに97年、57歳で亡くなっている。
せめてもう10年長生きしてくれていたら、60代のアリスンを聴けたのに・・という思いは残る。
とはいえ、異国の地においても、ルーサー・アリスンは常にハイテンションなボーカルとギターで熱演を続けた。その当時の映像も残っていて、Youtubeでも観られるので、いつでもアリスンの勇姿を拝めるのだ。実にいい時代である。
レコードは買わなければ聴けないが、動画サイトならば30年、40年前のサウンドでも聴き直すことが簡単だ。ぜひアリスンの欧州ライブの映像をチェックしてみてほしい。