2011年12月11日(日)
#196 ハウリン・ウルフ「Spoonful」(Howlin' Wolf/MCA)
#196 ハウリン・ウルフ「Spoonful」(Howlin' Wolf/MCA)
先週4日、ヒューバート・サムリンが亡くなった。80才だった。
サムリンといえばウルフ。彼らは50年代の前半よりタッグを組み、ウルフが76年に65才で亡くなるまで一緒に活動を続けた刎頸の仲だ。
親子ほど年齢が違っていたが、ウルフは実の息子のようにサムリンをかわいがり、ウルフの葬式のときには、サムリンが息子扱いで列席したくらいだ。
サムリンはウルフよりも相当長生きして天寿を全うしたが、今ごろ天国では二人がようやくの再会を喜び、さっそくジャムっているに違いない。
サムリンというギタリストは、テクニック的には突出したところはなかったが、別の意味では、非常に革新的な存在だったと思う。
ブルースマンはおおむね自分でギターを弾くが、ウルフの場合は自分でも少しリズムギターを弾くものの、ほぼサムリンに任せ切っていた。
ボーカルとギターの因数分解。これが従来の弾き歌い型のソロ・ブルースマンとは違い、新鮮だった。
このスタイルだと、歌い手は身振り手振り、いわゆる派手なアクションでオーディエンスにアピールすることが出来る。ステージングも、華やかなものとなる。
彼らのやり方に影響されて、ジャガー&リチャーズ、プラント&ペイジ、ダルトリー&タウンゼントといった白人ロッカーのコンビ、さらには日本でも清志郎&チャボ、ヒロト&マーシーのようなコンビが続々登場していったと言えよう。
さらにいえるのは、サムリンはあまたいるブルース・ギタリストの中でも、ギターを弾く立ち姿がずばぬけて格好よかったということだ。
中年のオッサンが多いブルースマン連中の中では20代前半と若く、長身、スマートでイケメンなサムリンは、かなり目立っていた。いわば元祖ビジュアル系ブルースマン。
十代の頃のクラプトン、ペイジ、ベック、リチャーズらは、ジェイムズ・バートンやスコッティ・ムーアみたいな白人アダルト・ギタリストよりもサムリンのほうをカッコいいと思っていた。それこそ写真をピンナップにするくらいの憧れかたで。
筆者も一度だけ、2001年5月のブルース・カーニバル(@日比谷野音)で生のサムリンを観ることが出来たが、ダンディぶりは健在で、背筋がピシッと伸びていて、70才目前とは思えない若々しさがあった。文句なしにカッコいいんである。
プレイのほうも、ものすごくテクがあるわけではないが、とにかく意表をつくような音の選び方をし、自由奔放に演奏するサムリンに、みな度肝を抜かれていた。そう、あの天才ジミ・ヘンドリックスでさえも。
そのへんは以前、当HPの「週刊ネスト」でも取り上げたのでぜひ読んで欲しいが、そういう意味で白人のロックにもっとも大きい影響を与えたブルース・ギタリストのひとりだったのだよ、サムリンは。
サムリンのブルース本来の「お約束」を無視したかのようなトリッキーなプレイは、彼ら白人ロッカーたちに「ギターってどんな弾き方をしたっていいんだ」という確信を与えてくれたのだと思う。
さて、きょうの一曲は通称「ロッキンチェア・アルバム」に収録された60年録音のナンバー。ウィリー・ディクスンの作品。
ウルフ、サムリンの他にオーティス・スパンのピアノ、作者ディクスンのベース、フレッド・ビロウのドラムスという黄金の布陣だ。
ウルフの咆哮に負けない、ソリッドでシャープなサムリンのギター・プレイがリスナーを捉えて離さない。
リズム楽器としてのギターを越えて、ソロで勝負するリード・ギター、ボーカルとさえ拮抗するギター・スタイルが、当時のサムリンによって確立されたといえる。
クリームでのクラプトンのプレイもたしかにスゴい。でも本家の音も、ハンパなく衝撃的だ。ビートルズ、ストーンズさえ登場していなかった1960年にこのプレイをしていたウルフ&サムリンは、真の意味でパイオニアだったといえる。
筆者も個人的に師と仰ぐサムリン殿。80年間、生涯現役でわれわれにカッコいい音楽を提供してくれて本当にありがとう。あなたを継いで、これからもイカした音楽を追究していくからね。