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音曲日誌「一日一曲」#383 エラ・フィッツジェラルド「Sunshine Of Your Love」(MPS)

2024-04-23 08:20:00 | Weblog
2024年4月23日(火)

#383 エラ・フィッツジェラルド「Sunshine Of Your Love」(MPS)





エラ・フィッツジェラルド、1969年リリースのライブ・アルバム「Sunshine Of Your Love」からのタイトル・チューン。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ピート・ブラウンの作品。ノーマン・グランツによるプロデュース。

米国の女性ジャズシンガー、エラ・フィッツジェラルドは1917年バージニア州ニューポート・ニューズ生まれ。幼少期ニューヨーク州に移住。1934年、17歳でハーレムのアポロシアターでデビュー、翌年チック・ウェブ楽団の専属シンガーとなり、デッカレーベルよりレコードデビュー。38年、シングル「A-Tisket, A-Tasket」が大ヒット。

39年、ウェブの死後、エラがバンドリーダーとなり、ライブ、ラジオ、レコードで全国的人気を獲得していく。

42年にはバンドと袂を分かち、ノーマン・グランツ率いるジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)に参加、ビ・バップに対応した、アドリブ・スキャットを多用する新しいボーカル・スタイルを編み出す。

その後は、56年にグランツが設立したヴァーヴレーベルより意欲的にアルバムをリリース、中でも58年に出した「At The Opera House」はジャズボーカルのライブ盤の最高峰との評価を得る。

40代のエラはシングル曲をヒットさせる人気歌手から、アルバムでじっくり聴かせるアーティストへと成長したのである。その頃には「歌のファースト・レディ」「ジャズの女王」「レディ・エラ」といった称号が定着し、エラは国民的なシンガーとなった。

さて、本日取り上げた「Sunshine Of Your Love」は、みなさんご存知のように、英国のロック・バンド、クリーム(1966-1968)がオリジナル。

67年11月リリースのセカンド・アルバム「Disraeli Gears」に収録されたが、米国では同年12月シングルとしてリリースされ全米3位の大ヒット、クリームの名を一気に高めた。英国では68年9月にリリース、全英25位となっている。

米国で特に人気を得た曲ということもあってか、エラはこれに注目して、さっそく自らのレパートリーとしたのだろう。68年10月カリフォルニア州サンフランシスコのホテル、ザ・フェアモント・サンフランシスコでのライブで、ビートルズの「Hey Jude」、パート・バカラックの「This Guy’s in Love With You」といった当時の最新流行曲と共に、披露したのである。

バック・ミュージシャンは歌伴の名手と呼ばれるピアノのトミー・フラナガン、ベースのフランク・デラロ、ドラムスのエド・シグペン(オスカー・ピータースン・トリオでお馴染み)、そしてトランペットのアレン・スミスをはじめとするアーニー・ヘクシャー楽団だ。

エリック・クラプトンが弾いたリフをホーンのハイテンションなサウンドに代えて(編曲は名バンドリーダー、マーティ・ペイチ)、オリジナルのブルース・ロックを見事なジャズ・サウンドにお色直ししている。

エラは当時51歳。彼女のシャープでよく通る歌声が、自由自在なアドリブで、この曲の持つ魅力を縦横に引き出していく様子は、驚きのひとことである。

クリーム、ビートルズといった、自分のジャンルとはまったく違う若者向けのポップ・ソングであっても、どこかピンと来るところがあれば積極的に取り入れ、大家ぶることなく貪欲に新曲に挑んでいく姿勢が、文句なしに素晴らしい。

まさに米国の誇る国民的歌手。当時の人気ナンバーワン女性シンガーは20代半ばのアレサ・フランクリンであったが、50代のエラもまだまだ負けちゃいない。

その圧倒的な声量とドライブ感、豊かなブルース・フィーリングにおいて、女王の名にふさわしいことを証明してみせたライブ。ぜひ、聴いてみて。





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