#247 マイケル・ボルトン「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」(Greatest Hits 1985-1995/Columbia)
アメリカの白人男性シンガー、マイケル・ボルトン、1987年の初ヒット曲。オーティス・レディング、スティーブ・クロッパーの共作のカバー。
「苦節十年」という表現がある。小林幸子、天童よしみ、あゆ朱美(戸田恵子)のように、若くしてデビューしながらなかなか芽が出ず、長い下積みの期間を経てようやく成功した芸能人についてよく使われるのだが、このマイケル・ボルトンの場合、十年どころではない。「苦節二十年」の人なのである。
53年コネチカット州ニューヘイヴン生まれ。ロシア系ユダヤ人で、本名はマイケル・ボロティン。68年、15歳でエピックよりレコードデビューしたものの、彼の名前が一般的に知られるようになったのは、この「ドック・オブ・ザ・ベイ」がトップ40に初チャートインした87年。実に19年もの歳月を、鳴かず飛ばずで過ごしてきたのである。まさに苦節二十年。
とはいえ、ブレイクのきざしは83年あたりからあった。当時彼はコロムビアに移籍してソロで再デビューしたばかりだったが、それと並行して他の歌手への楽曲提供もはじめるようになった。筆者もかつてインタビューしたことのある女性シンガー、ローラ・ブラニガンが83 年に出したヒット「How Am I Supposed to Live Witout You(邦題・ウィズアウト・ユー)」がその一例である。他にはバーブラ・ストライザンド、キッス、ケニー・ロジャーズ、ピーボ・ブライスンといった大どころのアーティストの曲を書く機会に恵まれる。
ソングライターとしての実績を重ねる一方で、彼は新しい取組みを考えはじめる。85年ころまでの彼は、ハードロック/ヘビーメタルのシンガーとして活動していた。トレードマークともいえる彼のロン毛(いまはさすがに短く切っている)は、その時代の名残りであったということだ。
しかし、彼の本来の音楽的ルーツは、また違うところにあった。オーティス・レディングに代表される、サザン・ソウルである。
87年、これまでの自分のイメージを塗り替えるように、ハードロック・サウンドを抑えてソウル色を濃くしたアルバム「The Hunger」をリリースし、その中からカットされた「ドック・オブ・ザ・ベイ」を見事ヒットさせる。彼の資質とリスナーの嗜好が、初めてジャストミートしたのである。
これがきっかけとなり世間的に認知された彼は、2年後のアルバム「Soul Provider」を400万枚の大ヒットとする。現在の彼の人気・地位は「ドック・オブ・ザ・ベイ」あってのものと言える。
前置きが長くなったが、曲を聴いていただこう。オリジナルよりほんの少しスローテンポで、アレンジ的にはほぼオリジナルに忠実。ただ、中間のギターソロがかなり派手にフィーチャーされているのは、さすがに80年代という時代を反映しているといいますか。ゴスペル味のコーラスが加わるなど、音の響きも、相当分厚くゴージャスになっとります。
それにしてもやはり一番印象に残るのは、ボルトンの声だ。一度聴いたら忘れられないくらいの、超ハスキー・ボイス。よくこういう発声法で喉がおかしくならないなぁと感心するほどの、苦しそうな歌い方をするのだが、まさにそこが彼のソウルを感じさせるポイントでもある。
彼の悲痛な叫びを聴けば、聴き手はみな、楽曲に込められた悲しい想いをストレートに感じとることが出来るのだ。
理屈抜きに100%ソウルなボルトン・ワールドに浸ってほしい。御本家オーティス・レディングだって、草葉の陰から唸って聴いているかも。
アメリカの白人男性シンガー、マイケル・ボルトン、1987年の初ヒット曲。オーティス・レディング、スティーブ・クロッパーの共作のカバー。
「苦節十年」という表現がある。小林幸子、天童よしみ、あゆ朱美(戸田恵子)のように、若くしてデビューしながらなかなか芽が出ず、長い下積みの期間を経てようやく成功した芸能人についてよく使われるのだが、このマイケル・ボルトンの場合、十年どころではない。「苦節二十年」の人なのである。
53年コネチカット州ニューヘイヴン生まれ。ロシア系ユダヤ人で、本名はマイケル・ボロティン。68年、15歳でエピックよりレコードデビューしたものの、彼の名前が一般的に知られるようになったのは、この「ドック・オブ・ザ・ベイ」がトップ40に初チャートインした87年。実に19年もの歳月を、鳴かず飛ばずで過ごしてきたのである。まさに苦節二十年。
とはいえ、ブレイクのきざしは83年あたりからあった。当時彼はコロムビアに移籍してソロで再デビューしたばかりだったが、それと並行して他の歌手への楽曲提供もはじめるようになった。筆者もかつてインタビューしたことのある女性シンガー、ローラ・ブラニガンが83 年に出したヒット「How Am I Supposed to Live Witout You(邦題・ウィズアウト・ユー)」がその一例である。他にはバーブラ・ストライザンド、キッス、ケニー・ロジャーズ、ピーボ・ブライスンといった大どころのアーティストの曲を書く機会に恵まれる。
ソングライターとしての実績を重ねる一方で、彼は新しい取組みを考えはじめる。85年ころまでの彼は、ハードロック/ヘビーメタルのシンガーとして活動していた。トレードマークともいえる彼のロン毛(いまはさすがに短く切っている)は、その時代の名残りであったということだ。
しかし、彼の本来の音楽的ルーツは、また違うところにあった。オーティス・レディングに代表される、サザン・ソウルである。
87年、これまでの自分のイメージを塗り替えるように、ハードロック・サウンドを抑えてソウル色を濃くしたアルバム「The Hunger」をリリースし、その中からカットされた「ドック・オブ・ザ・ベイ」を見事ヒットさせる。彼の資質とリスナーの嗜好が、初めてジャストミートしたのである。
これがきっかけとなり世間的に認知された彼は、2年後のアルバム「Soul Provider」を400万枚の大ヒットとする。現在の彼の人気・地位は「ドック・オブ・ザ・ベイ」あってのものと言える。
前置きが長くなったが、曲を聴いていただこう。オリジナルよりほんの少しスローテンポで、アレンジ的にはほぼオリジナルに忠実。ただ、中間のギターソロがかなり派手にフィーチャーされているのは、さすがに80年代という時代を反映しているといいますか。ゴスペル味のコーラスが加わるなど、音の響きも、相当分厚くゴージャスになっとります。
それにしてもやはり一番印象に残るのは、ボルトンの声だ。一度聴いたら忘れられないくらいの、超ハスキー・ボイス。よくこういう発声法で喉がおかしくならないなぁと感心するほどの、苦しそうな歌い方をするのだが、まさにそこが彼のソウルを感じさせるポイントでもある。
彼の悲痛な叫びを聴けば、聴き手はみな、楽曲に込められた悲しい想いをストレートに感じとることが出来るのだ。
理屈抜きに100%ソウルなボルトン・ワールドに浸ってほしい。御本家オーティス・レディングだって、草葉の陰から唸って聴いているかも。
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