2008年7月20日(日)
#43 ザ・バー・ケイズ「Attitudes」(The Best Of Bar-Kays/Mercury)
バー・ケイズ、77年のヒット。当時のメンバー9名による作品。
バー・ケイズゆーたら、白人バンドのレイナード・スキナードと並んで「悲劇のバンド」「宿命のバンド」と呼ばれることが多いのぉ~。
事実、デビューしてまもない67年12月、オーティス・レディングのバックバンドとしてツアーに同行中、飛行機の墜落によりメンバー4名が死亡という、とんでもない悲劇に見舞われている。
しかし、彼らのスゴいところは、ツアーに同行せず生き残ったメンバー2名が、新たなメンバーを集めスタートさせた新生バー・ケイズで、以前よりもはるかに大きな成功を収めたことだ。
70年代前半は悲劇の痛手からなかなか立ち直れず、ヒットをろくに出せずにいたが、76年、スタックスからマーキュリーに移籍したことをきっかけに、快進撃が始まる。
名プロデューサー、アレン・ジョーンズを得て、単なる演奏の巧いR&Bバンドから、真にキャッチーなファンク・バンドへと変身を遂げるのである。
76年の移籍第一弾アルバム「Too Hot To Stop」を皮切りに、87年の「Contagious」に至るまでの10枚、11年間はまさに彼らの黄金時代。
最大のヒット「Freakshow On The Dance Floor」(84年)をはじめとする数多くのヒットを連発、名実ともにトップ・バンドとなったのである。
彼らのファンク・サウンドは、確かな技術に裏打ちされたもので、いわゆるカリスマ性とか、けれん味みたいなものはほとんど感じられないのだが、後発のバンド(たとえばコモドアーズ、カメオなど)に大きな影響を与えている。
キャリア、実力ともに、三役クラスは与えていいバンド。残念ながら当時の日本では、この手のバンドのウケがいまいちで、人気は出なかったが、ファンクとは何かを知るうえで最もいい教材的存在だったと思う。
きょう聴いていただくのは、アップテンポの曲が多い彼らにしては珍しいスローめのバラード。
バラードとはいえ、甘アマな路線に流れず、適度にビターで、リードボーカル・ラリー・ドッドスンの独特な歌いまわしがファンクネスを感じさせますな。
バー・ケイズの職人ワザに、不撓のファンク魂を感じとってほしい。