NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#198 エッタ・ジェイムズ・ウィズ・スティーヴ・ウィンウッド「Give It Up」(The Right Time/Elektra)

2023-10-16 05:22:00 | Weblog
2012年1月8日(日)

#198 エッタ・ジェイムズ・ウィズ・スティーヴ・ウィンウッド「Give It Up」(The Right Time/Elektra)





明けましておめでとう。今年もよろしく。2012年の第一弾は、これだ。

ベテラン女性シンガー、エッタ・ジェイムズ、90年のアルバムより。ハリー・ウェイン・ケイシー、ジョー・サンプル、アラン・トゥーサンの作品。

エッタ・ジェイムズは38年LA生まれの73才。「一日一枚」でも一回彼女を取り上げたことがあるので(2002年6月30日)、そちらも読んでほしい。アフリカ系黒人とイタリア系白人のハーフで、ブルース、R&Bの女王として50~60年代に君臨した彼女は、その後も精力的にアルバムをリリースし続け、現在に至っている。

最近では、自分の中の白人的要素を意識したのか、あるいは年齢的なものか、激しいソウルフルなものから、ジャズィな作風に移行しているが、きょうの一曲はまだエネルギッシュにソウルしていた頃(エッタ52才)のナンバー。

ゲストとして、既にソロデビューして10年以上が経っていたスティーヴ・ウィンウッドを迎えている。

ふたりの年齢差は10才。歳の離れた姉と弟ってところだが、このコンビネーションが実に見事だ。ともに名うてのシャウター、姉貴が唸れば、弟も負けじと吠え返す。

もちろん、曲の素晴らしさ(実に豪華なライター・チームではないか!)があってのこそだと思うが、あまたある「Give It Up」のカバーの中でも、特筆すべき出来ばえだと思う。

いまでもバリバリの現役で活躍しているという点で共通している二人だが、残念ながら日本ではいまひとつ英米ほどの突き抜けた人気がないのも似ている。

ウィンウッドは昨年も来日しているが、クラプトンとの抱き合わせ(一応、ブラインド・フェイスの再結成みたいな扱いになっているが、明らかにクラプトンの人気に大きく依存しているよな~)でしか、大きなハコでやれないのも、ちょいと残念。

はっきり言って、クラプトンじゃあ、エッタとデュオしようとしてもまったく太刀打ち出来ないっしょ。歌い手としての実力は、明らかにウィンウッドの方が上である。

単に黒人っぽいフィーリングがあるとか、そういうレベルを遥かに越えて、ウィンウッドの歌(ソウル)は、ハンパなくスゴい域に達している。同じ歌い手なら皆そう思うはず。

もちろんエッタは、さらにその上を行き、年齢を重ねるほどに、誰も追いつけない高みに到達している。某極東の島国のゴッ●姐ちゃんに、エッタの歌を聴かせて、教えてやりたいぜ。「あんたのソウルは40年間成長がない」って。

世の中、上には上がある。ソウルを語るなら、まずこの魂の姉弟(きょうだい)を聴いてからだ。

音曲日誌「一日一曲」#197 ココ・モントーヤ「Am I Losing You」(Gotta Mind to Travel/Blind Pig)

2023-10-15 05:13:00 | Weblog
2011年12月25日(日)

#197 ココ・モントーヤ「Am I Losing You」(Gotta Mind to Travel/Blind Pig)





今年もあとわずか。おそらくこれが今年最後の更新になると思うが、クリスマス・デーに聴くのは、あえてブルース(笑)。

きょうの一曲は、アメリカの実力派シンガー/ギタリスト、ココ・モントーヤのデビュー・アルバムより。モントーヤの作品。

モントーヤは1951年、カリフォルニア州サンタモニカ生まれの、当年60才。

多くのブルース系アーティスト同様、一人のローカル・ミュージシャンに過ぎなかったモントーヤの運気が一気に上がったのは、彼のナイトクラブでの演奏を、たまたまアルバート・コリンズが聴いたことに始まる。コリンズに気に入られて彼のツアーバンドに加入。モントーヤはなんと当時、ギタリストではなくドラマーだったという。

バンドメンバーとしてのおつとめが終わった後もコリンズとの付き合いは続き、ギターの手ほどきも受けたというから、実にラッキー・ガイであるな。

80年代にはギタリストとして、地元のバンドで活動するようになる。そして彼にとって、人生二度目の幸運が舞い込む。

クラブで演奏していたところ、ジョン・メイオールが来店。憧れのアーティストへの敬意を捧げて「All Your Love」を演奏したところ、メイオールはこれをいたく気に入り、かつてクラプトン、グリーン、テイラーらを見染めたときのように、「おれのバンドに入らないか」との誘いをモントーヤにかけたのである。もちろん、そのバンド名はブルースブレイカーズ。

85年以来モントーヤはメイオールのもとにて活動、10年後に独立して、このファースト・ソロ・アルバムを世に出したのだ。時にモントーヤ、44才。

ホント、絵に描いたようなシンデレラ・ボーイなサクセス・ストーリーなのだが、それに十分値いするだけの実力が、歌と演奏から感じられる。本当に安定したボーカルとギターなのだ。

強烈な個性みたいなものはあまりないのだが、常に平均点以上を獲得できるスキルの持ち主。それがモントーヤ。

これはごく個人的な意見だが、英国でいえばゲイリー・ムーアに通じるところがあるように思う。世代もほぼ同じだし(ムーアがひとつ年下)、歌の雰囲気、ギターのスタイル、曲作りのセンスなど、同じような音楽を聴いてきただけに、出身国の違いはあっても、共通したものが感じられるのだ。

ふたりとも、ものすごく器用なだけに、自分ならではの独自なカラーがないという点も、似通っているような気がする。

きょうの一曲も、ムーアがお得意としているマイナー系R&B。芸風かぶりまくりではあるが、いいものはいい。

ワイルドだがコクのある歌声、王道な泣きのギター。新味はないけど、これがプロの仕事だと思う。

コリンズにメイオール。師匠に比べるとまだ全然知名度はないが、60代を迎え、これからがミュージシャンとしての正念場だろう。

ブルースをもちろん基本としているがそれにこだわり過ぎず、幅の広いスタイルでロックしている姿勢が彼には感じられる。ブルースマンという枠組みにおさまらない、スケールの大きな活躍を期待したい。


音曲日誌「一日一曲」#196 ハウリン・ウルフ「Spoonful」(Howlin' Wolf/MCA)

2023-10-14 05:00:00 | Weblog
2011年12月11日(日)

#196 ハウリン・ウルフ「Spoonful」(Howlin' Wolf/MCA)





先週4日、ヒューバート・サムリンが亡くなった。80才だった。

サムリンといえばウルフ。彼らは50年代の前半よりタッグを組み、ウルフが76年に65才で亡くなるまで一緒に活動を続けた刎頸の仲だ。

親子ほど年齢が違っていたが、ウルフは実の息子のようにサムリンをかわいがり、ウルフの葬式のときには、サムリンが息子扱いで列席したくらいだ。

サムリンはウルフよりも相当長生きして天寿を全うしたが、今ごろ天国では二人がようやくの再会を喜び、さっそくジャムっているに違いない。

サムリンというギタリストは、テクニック的には突出したところはなかったが、別の意味では、非常に革新的な存在だったと思う。

ブルースマンはおおむね自分でギターを弾くが、ウルフの場合は自分でも少しリズムギターを弾くものの、ほぼサムリンに任せ切っていた。

ボーカルとギターの因数分解。これが従来の弾き歌い型のソロ・ブルースマンとは違い、新鮮だった。

このスタイルだと、歌い手は身振り手振り、いわゆる派手なアクションでオーディエンスにアピールすることが出来る。ステージングも、華やかなものとなる。

彼らのやり方に影響されて、ジャガー&リチャーズ、プラント&ペイジ、ダルトリー&タウンゼントといった白人ロッカーのコンビ、さらには日本でも清志郎&チャボ、ヒロト&マーシーのようなコンビが続々登場していったと言えよう。

さらにいえるのは、サムリンはあまたいるブルース・ギタリストの中でも、ギターを弾く立ち姿がずばぬけて格好よかったということだ。

中年のオッサンが多いブルースマン連中の中では20代前半と若く、長身、スマートでイケメンなサムリンは、かなり目立っていた。いわば元祖ビジュアル系ブルースマン。

十代の頃のクラプトン、ペイジ、ベック、リチャーズらは、ジェイムズ・バートンやスコッティ・ムーアみたいな白人アダルト・ギタリストよりもサムリンのほうをカッコいいと思っていた。それこそ写真をピンナップにするくらいの憧れかたで。

筆者も一度だけ、2001年5月のブルース・カーニバル(@日比谷野音)で生のサムリンを観ることが出来たが、ダンディぶりは健在で、背筋がピシッと伸びていて、70才目前とは思えない若々しさがあった。文句なしにカッコいいんである。

プレイのほうも、ものすごくテクがあるわけではないが、とにかく意表をつくような音の選び方をし、自由奔放に演奏するサムリンに、みな度肝を抜かれていた。そう、あの天才ジミ・ヘンドリックスでさえも。

そのへんは以前、当HPの「週刊ネスト」でも取り上げたのでぜひ読んで欲しいが、そういう意味で白人のロックにもっとも大きい影響を与えたブルース・ギタリストのひとりだったのだよ、サムリンは。

サムリンのブルース本来の「お約束」を無視したかのようなトリッキーなプレイは、彼ら白人ロッカーたちに「ギターってどんな弾き方をしたっていいんだ」という確信を与えてくれたのだと思う。

さて、きょうの一曲は通称「ロッキンチェア・アルバム」に収録された60年録音のナンバー。ウィリー・ディクスンの作品。

ウルフ、サムリンの他にオーティス・スパンのピアノ、作者ディクスンのベース、フレッド・ビロウのドラムスという黄金の布陣だ。

ウルフの咆哮に負けない、ソリッドでシャープなサムリンのギター・プレイがリスナーを捉えて離さない。

リズム楽器としてのギターを越えて、ソロで勝負するリード・ギター、ボーカルとさえ拮抗するギター・スタイルが、当時のサムリンによって確立されたといえる。

クリームでのクラプトンのプレイもたしかにスゴい。でも本家の音も、ハンパなく衝撃的だ。ビートルズ、ストーンズさえ登場していなかった1960年にこのプレイをしていたウルフ&サムリンは、真の意味でパイオニアだったといえる。

筆者も個人的に師と仰ぐサムリン殿。80年間、生涯現役でわれわれにカッコいい音楽を提供してくれて本当にありがとう。あなたを継いで、これからもイカした音楽を追究していくからね。


音曲日誌「一日一曲」#195 ジェイムズ・コットン「Buried Alive In The Blues」(GIANT/Alligator)

2023-10-13 05:00:00 | Weblog
2011年12月4日(日)

#195 ジェイムズ・コットン「Buried Alive In The Blues」(GIANT/Alligator)





ジェイムズ・コットン、2010年のアルバムより。ニック・グレイヴナイツの作品。

コットンは1935年生まれの76才。説明するまでもなかろうが、50年代後半、マディ・ウォーターズのバックで名を上げ、60年代後半からは自らのバンドを率いて活躍してきたブルースハープの大御所。シンガーを兼ねていたが、喉頭がんをわずらったためかすれ声となり歌うことが出来なくなって久しい。が、ハープのプレイのほうは健在、現在もレコーディングにライブにと、精力的な活動を続けている。バリバリの現役なのだ。

さて、現時点での最新アルバムは、彼自身のバンド「ジェイムズ・コットン・ブルース・バンド」の演奏によるもの。

きょう聴いていただく曲は、ジャニス・ジョプリンの遺作「パール」に収められていたナンバー。レコーディング中に彼女が亡くなってしまったため、歌抜きのインストゥルメンタルとして収録せざるをえなかったという、いわくつきの曲なのである。タイトルの特殊性とあいまって、まさに彼女の「葬送曲」として作られた曲のような印象を与えてしまったわけだが、もちろん、そういう意図で作曲されたわけではない。

エレクトリック・フラッグのボーカリストとしても活動していたニック・グレイヴナイツのペンによるこの曲は、もともとアップテンポで威勢のいい曲調。けっして、しんねりとした雰囲気のナンバーではない。

筆者が考えるに、白人女性ながらブルースという「生き方」を決然として選んだジャニス・ジョプリンのマニフェストを、代弁するかたちでグレイヴナイツが作った歌なのだと思っている。

だから、このうえなくアグレッシブで力強いのだ。

ジェイムズ・コットン版「生きながらブルースに葬られ」はコットンのかわりにバンドのギタリスト。スラム・アレンが歌っている。ちょっと軽快明朗にすぎるかなという感じはあるが、非常に勢いのある歌いぶりだ。ノエル・ニール、ケニー・ニール・ジュニア(名前からわかるように、ルイジアナのブルースマン、ケニー・ニールの兄弟と息子だ)のリズム・セクションも、ごきげんなシャッフル・ビートを聴かせてくれる。

そしてなにより、御大ジェイムズ・コットンのブロウが文句なしに素晴らしい。70代半ばとはとても思えない、もたつきのないパワフルなブロー。おなじみの速いパッセージを連発して、健在ぶりを見せつけてくれている。

「ジャイアント」というアルバム・タイトルは、そのままブルースの巨人、ジェイムズ・コットンのことを意味しているのだろう。老いや病などものともせず、ブルース道をひた進む綿爺、ハンパなくカッコええ!

音曲日誌「一日一曲」#194 チャールズ・ブラウン&エイモス・ミルバーン「I Want To Go Home」(ACE)

2023-10-12 05:00:00 | Weblog
2011年11月27日(日)

#194 チャールズ・ブラウン&エイモス・ミルバーン「I Want To Go Home」(ACE)





ともにブルースシンガー兼ピアニストである、チャールズ・ブラウンとエイモス・ミルバーンによるデュエット曲。ブラウン=ミルバーンの共作。

59年にエースよりリリースされたシングル。日本ではほとんど知られることのない曲だが、実はポピュラー音楽史上、大変重要な曲なのだ。

まずは一聴願いたい。ね、ピンときたでしょ?

ブラック・ミュージック、いやポップス系の音楽を聴かれるかたなら、まず100%おわかりになると思うが、そう、かのサム・クックの名曲、「Bring It On Home To Me」の原曲ともいうべきナンバーなんである。

両者を聴きくらべてみると、若干のフレージングの違いこそあれ、コードやメロディの大半(おもに前半)は、この元ネタに忠実であることがわかる。一番大きな違いは、歌詞がまるごと新作であることと、テンポが大幅に違い、元曲がスローであるのに対し、クックのはミディアムであることだろうか。

デュエットする二人のアダルトな雰囲気もあいまってか「I Want To Go Home」は非常にまったり、しみじみとした「望郷の歌」になっている。それに対し「Bring It On Home To Me」は、失恋というテーマを前面に押し出した歌に仕上がっている。

クックは元歌のブルースっぽさを極力おさえて、歯切れのよい歌い口により、いかにもソウルフルな歌へと生まれ変わらせている。これぞ、ミスター・ソウルの面目躍如といったところか。

ブルースが「おっさん」の歌なら、ソウルは若さ、血気にあふれた「あんちゃん」の歌。その躍動的なリズム感で、過去のブラック系ミュージシャンをすべてけちらし、あれよあれよという間にスターダムにのし上がったのも、むべなるかな。

ブラウン、ミルバーン、あるいはファッツ・ドミノのようにピアノを弾きながら歌うスタイルでなく、また多くのブルースマンのようにギターを弾きながらでもなく、スタンダップで身振り手振りも自在な歌唱スタイルをとった彼こそ、60年代、つまりテレビの時代をリードするスターたりえたのだ。

ブルース、R&Bの時代から、ソウルの時代へ。その立役者だったサム・クックも、まったくゼロの状態から新しいサウンドを、魔法のようにひねり出したわけではない。

過去のブルース、R&B、ゴスペル、そういった自分がリスペクトしてきたものをベースに、新しい発想で新しいアレンジを加えて生み出されたもの、それが60年代のソウル・ミュージックなのだ。

まさに結節点の時代にリリースされた名曲、「I Want To Go Home」。クックとはひと味もふた味も違った、「おとな」の音を楽しんでみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#193 ラリー・カールトン&松本孝弘「Room 335」(Live 2010 Take Your Pick at Blue Note Tokyo/335)

2023-10-11 05:29:00 | Weblog
2011年11月20日(日)

#193 ラリー・カールトン&松本孝弘「Room 335」(Live 2010 Take Your Pick at Blue Note Tokyo/335)





2010年、ラリー・カールトン来日時に企画されたコラボレーション・ライブより。カールトンの作品。

このふたりについては説明不要だろう。日米のトップ・ギタリストの共演。なんとグラミー受賞のおまけまでついた話題のライブ盤である。

オリジナルは78年の「Larry Carlton(邦題・夜の彷徨)」収録。カールトンの名刺代わりともいえる代表曲だ。

61年生まれの松本は当時17才。憧れのギタリストのフレーズを日夜コピーして、プロを目指していた時代である。その曲の中には、この「Room 335」も含まれていたはずだ。

その後、プロデビューを果たし、国内でもっともCDを売るアーティストへと昇りつめた松本だったが、30年以上、雲の上の存在であり続けたギターの大先輩からの、いきなりの共演の指名である。天にも昇る思いだったに違いない。

瓢箪からコマ、みたいなこの顔合わせ企画は、予想以上に高い評価を得て、見事グラミーまで取ってしまった。

もちろん双方のファンからは、いろいろと否定的な意見もあった。ことにカールトン・サイドからは「格が違うだろ」的な意見。また松本サイドからは「ラリー・カールトン? 知らねえな、そんなヤツ」的な意見もあった。

もちろん、ふたりの音楽性がぴったり一致しているわけではないし、師弟関係ともいいがたい。でも、松本がカールトンを聴いて、ギターの腕前をブラッシュアップしてきた事実を否定できるものでもない。

若いリスナーには「ギターを弾く初老のオジさん」くらいの認識しかないだろうが、やっぱりカールトンは特別にスゴい人なのだよ。

ギタリストのみならず器楽プレイヤーには「テクニック」と「フィーリング」という二大要素が問われるものだが、このふたつをともに持ち合わせている人は、なかなかいない。が、カールトンはデビュー当初から、このふたつを見事に兼ね備えていた。まさに、ギタリスト中のギタリストだった。

これは筆者の私見だが、松本孝弘というギタリストは、B'Zでデビューする前、スタジオ・ミュージシャンだった若いころからテクニック的には申し分なかったが、フィーリングのほうはどうかというと、まだまだ発展途上かなぁと思っていた。

人のフレーズならどんなものでも吸収消化してしまう器用さはあったが、それは彼自身のオリジナリティがどこにあるかわからないという、器用貧乏さにもつながっていた。

そんな松本も、今年50才。押しも押されもしない重鎮的な存在だ。もう、器用さだけでなく彼自身のカラーを前面に押し出していかなきゃいけない年齢だと思う。そういう意味で、大先輩はいいチャンスを彼に与えてくれた。

昨年のコラボがきっかけとなって、ホームだけでなくアウェイな環境でも活動をひろげていってほしいもんだ。それに見合った音楽の才能が、松本にはあると思う。

ところできょうご覧いただく映像は、ブルーノート東京でのステージより。おなじみのテーマを合奏→カールトンのソロ→松本のソロが応酬という流れで、終始リラックスしたムードで進んでいく。

ふたりともスクウィーズ・スタイルを得意とするギタリスト、ということもあって、サウンド上の違和感はほとんどない。カールトン・ファンにも松本のプレイは楽しめただろうし、松本ファンにもカールトンの音は十分なじめたのではなかろうか。

意外な顔ぶれが共演することで、それぞれのファンにも、ふだん聴くものとは違ったジャンルの音楽への理解が生まれる。

少し世代は違うが、彼らのギター・ミュージックへの愛は共通のものだ。ぜひ、そのコンビネーション・プレイの妙を味わってみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#192 the pillows「When You Were Mine」(Swanky Street/キングレコード)

2023-10-10 05:17:00 | Weblog
2011年11月5日(土)

#192 the pillows「When You Were Mine」(Swanky Street/キングレコード)





先週のARBほどではないが、1989年結成とこれまた息の長い日本のロック・バンド、the pillows(ザ・ピロウズ)の7枚目のシングル(96年リリース)より、カップリング曲を。プリンスの作品。

ピロウズはギターの山中さわお、真鍋吉明、ドラムスの佐藤シンイチロウの3名によるオルタナティブ・ロック・バンド(レコーディング等では、ベースの鈴木淳がサポートで入っている)。

格別のヒットがあるわけではないが、どちらかといえばクロウト受けのする幅の広いサウンドで、現在も根強い人気を保っている。

近年ではアニメ「けいおん!」の中で山中・真鍋を意識して作られた山中さわ子、真鍋和というキャラクターが登場したこともあってか、固定ファン以外にもその存在を広く知られるようになってきた。

商業バンドとしての「成功」は果たしていないが、一時休止期はあったものの、その22年という歴史は、彼らの確たる実力の証明であるといっていいだろう。

そう、22年間にシングル34枚、アルバム17枚(ベスト盤を除く)を生み出したそのパワーは、ホンモノだ。

さてきょうの一曲は、15年前に出したシングルに収録されたカバー・ナンバー。オルタナ・バンドのピロウズが黒人アーティストのプリンスをカバー? なんだか不思議な感じもするが、聴いてみると意外とイケるのだ、これが。

原曲はプリンスのサード・アルバム「Dirty Mind」(1980)に収録。当然、プリンスのあの挑発的な声、そして耳を刺激するエレクトリカルなアレンジがそこでは聴けるのだが、ピロウズ版は一転、まるで自分たちのオリジナルであるかのように、山中の素朴な歌声になじんだ一曲になっている。

まさにアレンジの妙。もともとギター・バンド用に作られた曲のようにさえ聴こえる。

まあこれは、元の曲の懐の深さをしめしているといえるし、また、ピロウズの引き出しの多さをしめしているともいえる。

プリンスは、マイケル・ジャクスンなどとともに、黒人でありながら、白人のロックも取り込んで従来の黒人音楽を越えた音楽を作り出したスーパースターのひとりだ。マイケルが輝かしい「光の王子」的な存在ならば、プリンスは常に毒をはらんだ「闇の王子」的な存在といえよう。このふたりは表裏一体、インアンドヤンみたいな関係にある。

プリンスの作る音楽世界は、明らかにレース・ミュージックとしてのブラック・コンテンポラリーを越え、黒人以外のリスナーの心をとらえた。

そしてその曲をピックアップしたピロウズもまた、従来のロック・バンドのフォーマットにこだわらない柔軟な音作りの出来る稀有なバンドだと思う。

この曲以外にも、サイモン&ガーファンクル、ルースターズ、コレクターズ、Mr. Childrenの曲をカバーレコーディングしているほか、ステージではビートルズ、ニルヴァーナ、バグルスの曲なども演奏してるとか。とにかく、守備範囲が広いのだ。

2004年には彼らへのトリビュート・アルバム「SYNCHRONIZED ROCKERS」もリリースされていることからわかるように、多くの後発バンドにも影響を与え、また慕われているピロウズ。強烈な個性があるというタイプではないが、ソウル、ロカビリー、ボサノバなどさまざまなジャンルの音楽をベースにした曲作りのセンスのよさは、さすがのものがある。ミュージシャンズ・ミュージシャンとは彼らのことだな、うん。

惜しむらくは、ヒットらしいヒットがないということ。。この2年ほどはコンスタントにシングル・リリースをしているのだから、ここいらでガン!とヒットを飛ばして欲しいものだ。

「邯鄲の枕」のような、イマジネーションに満ちた音世界をもつピロウズ。日本にもこんなハイセンスなバンドがあるんだから、ぜひ耳を傾けてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#191 ARB「ROCK OVER JAPAN」(ROCK OVER JAPAN/ビクターエンタテインメント)

2023-10-09 05:00:00 | Weblog
2011年10月30日(日)

#191 ARB「ROCK OVER JAPAN」(ROCK OVER JAPAN/ビクターエンタテインメント)





息の長い日本のロックバンド、ARB(エーアールビー)、1987年のアルバムより(映像は1988年の武道館ライブ)。バンドメンバー、Ryo & Hisashi(石橋凌・白浜久)の作品。

この曲が発表されたのは24年も前のことなのだが、ここのところにわかに再注目を浴びている。何がきっかけかというと、先日も当欄で取り上げた人気深夜アニメ「輪(まわ)るピングドラム」にて、カバー・バージョンが挿入曲として頻繁にかかっていることが大きい。それもピンドラの中で最も印象的なシーン、「生存戦略~!」のくだりで繰り返し使われているので、その認知度は相当高いのだ。

ピンドラのほうでは、トリプルH(高倉陽毬役の荒川美穂、伊空ヒバリ役の渡部優衣、歌田光莉役の三宅麻理恵によるユニット)が歌っており、橋本由香利によるシンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップ調のアレンジになっているが、オリジナルのARB版とはだいぶん印象が違う。なんといっても、女声ユニゾンコーラスと男臭い石橋のソロ・ボーカルとでは、ポップスVSロックというぐらい雰囲気が違う。

古くからの硬派なARBファンが聴いたら「なんじゃこりゃあ~っ?」みたいな感じだろうが、ここはまったく別物として聴いたほうがよさそうだ。

むしろこの曲を、そして他のいくつかの曲(「灰色の水曜日」「Bad News 悪い予感」「イカレちまったぜ!!」「ダディーズ・シューズ」)も含めてARBといういにしえのアーティストを、2011年の新作アニメの中で改めてフィーチャーした発想が、スゴいという気がするね。

筆者はARBを今からだいぶん前、まだ大学生だった80年頃(!)にライブを観たことがあるが、当時から骨太でビターな持ち味のバンドだなぁと思っていた。デビュー当時はキーボードも含めた5人編成で、後にチューリップへ流れて行った2人のメンバーも含まれており、だいぶんポップス寄りだった記憶もあるが、セカンド・アルバムあたりからロック指向にまとまってきて、当初の「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」(もちろん、ジャズのアーヴィング・バーリンの曲名が由来である)という名も捨て、ARBというシンプルなバンド名を選んだ。

ファン層もこの手のバンドにしてはどちらかといえば男性が多く、後続のボウイのようにはミーハーな女性ファンもつかず、特に大ブレイクするようなこともなく男ウケするバンドとして地道に活動していたが、彼らに影響を受けた後輩ミュージシャン達は意外に多いようだ。たとえばユニコーン。たとえば現在クロマニヨンズの甲本ヒロト&真島昌利。「日本語によるロック」というものを、はっぴいえんど流でもツイスト流でもサザンオールスターズ流でもなく独自のアプローチで追究していた姿勢に共感し、けっこう多くのフォロワーが生まれていったのだ。

筆者的には、そのメロディラインもちょっとユニークだなと感じることが多い。必ずしもブルース色が強いとは限らず、ときには日本的な陽旋法も織り交ぜて、民謡風のノリで日本のロックを生み出している。この「ROCK OVER JAPAN」 はその好例といえるんじゃないかな。ロックとは標榜しているものの、海外の人々が聴いたら、オリエンタルなものを感じるのではないかと思う。

日本語でロックするからには、日本流のアプローチでやっていいんじゃないか、そういう風にARBは、われわれに道を指し示してくれたんだと思う。

ピンドラのヒットのおかげで、ARBへの再評価の動きも出てきた。まさに温故知新である。

ライブ映像は、第3期後半のARBを知ることが出来る貴重なもの。石橋、白浜、浅田孟、KEITHらの一体となったパフォーマンスが実にカッコいい。トリプルHとはまたひと味違うARBの、ロック魂を感じてくれ。


音曲日誌「一日一曲」#190 トム・ジョーンズ&ジェフ・ベック「Love Letters」(Martin Scorsese: Red White & Blues/HIP-O Records)

2023-10-08 05:00:00 | Weblog
2011年10月23日(日)

#190 トム・ジョーンズ&ジェフ・ベック「Love Letters」(Martin Scorsese: Red White & Blues/HIP-O Records)





英国人監督マイク・フィギスによるブルース・ドキュメンタリー映画「Red, White & Blues」より。エドワード・ヘイマン=ビクター・ヤングの作品。

まず、この顔合わせにビックリされる人も多かろう。コテコテの歌い方でおなじみの絶倫シンガー、トム・ジョーンズに、孤高のギター・ヒーロー、ジェフ・ベック。なんともはや濃ゆ~いお二人が、なぜかナット・キング・コールやプレスリーでおなじみの甘いラブ・バラードを演っているのだ。おもわず聴いてみたくなったでしょ?

でも、これが意外とイケるのだ。トムの大げさな歌いぶりはいつもの通り、一方ジェフは特にジャズっぽく弾くでもなく、さらりとしたバッキングをつけ、ソロもあっさりとしてる。でもスタジオ・セッションらしく、リラックスした、いい感じにまとまっている。

そして、何よりもはっきりといえるのは、原曲そのものはブルース色がほとんどないのに、ちゃんとブルースとして聴こえてくるのだ。

それは、そのリズムの取り方、特にピアノやリズム隊の、「タメ」のリズムによるところが大だろうな。そしてもちろん、演ずる者の強い個性が、この曲に内包された「ブルース性」を見事に引き出しているのだと思う。

ブルーノートで書かれていなくても、8小節や12小節形式でなくとも、3拍子のワルツであっても、そのノリがブルースであれば、ブルースとよんでいい。そういう好例だ。

この二人はトムの方が4才年上。音楽性には違いがあるものの、ブルースに親しみ、60年代に出身地英国、さらに世界でブレイクしたという点では共通している。いわば仕事仲間だな。

レコーディング当時(2002年)、トムは62才、ジェフは58才ってところか。ふたり合わせて120才の超ベテランコンビが生み出す、ハートフルなブルース・バラード。その名人芸に酔い痴れてくれい。

音曲日誌「一日一曲」#189 パット・ベネター「I Get Evil」(True Love/Chrysalis Records)

2023-10-07 05:31:00 | Weblog
2011年10月15日(土)

#189 パット・ベネター「I Get Evil」(True Love/Chrysalis Records)





白人女性シンガー、パット・ベネター、1991年のアルバムより。アルバート・キングの作品。

パット・ベネターは53年、ブルックリン生まれの御年58才。でも外見からは、とてもそんな年齢には見えない。

79年デビューだから、実に32年のキャリアがある、大ベテランなんだけどね。

デビュー当初は、ハートのウィルスン姉妹などと並ぶ、白人女性ロッカーの旗手、そんなポジションだった。

スレンダーな体つきでショートヘア、大きな瞳が印象的な小顔美人だったので、女性ロッカーというよりはむしろ、ファッションモデルのような雰囲気があった。

歌声のほうも、他の多くの女性ロッカーがハスキー・ボイス系、低音系だったのに対し、澄んだ高音で異彩を放っていた。ブルースっぽさも、ベネターの声には希薄だった。

そんな彼女が最初に放ったシングル・ヒット、「Heartbreaker」は都会的なハードロックナンバーで、リスナーの耳にはとても新鮮に感じられたものである。

その後も着実にヒットを飛ばし、80年代は確実にアメリカの音楽シーンの中心にいたといえる。

90年代、すなわち彼女自身が30代後半に入ったあたりから、ハードロック中心の音作りに変化が見られるようになる。

それがきょうの一曲を含むアルバム「True Love」だ。

単に「ロック」というジャンルにこだわらず、そのルーツたるブルース、R&Bにも目を向けた、意欲的な試み。バックのサウンドも、かなりジャズやブルースに接近している。

「I Get Evil」は、おなじみアルバート・キングの60年代前半の代表作だが、このルンバ・ビートの陽気でダンサブルなナンバーを、ちょっとドスを効かせた低めの声で歌い上げている。姐御っぽいカッコよさがあるよな。

このアルバムでは、他にBBやチャールズ・ブラウンあたりの曲もカバーしていて、これまでのロック、ポップ路線のベネターからは想像できなかった、大人のシンガーとしての魅力がかいまみられる。

本来の彼女の持ち味とはいささか違うのだが、これもまた佳き哉。すぐれたブルースは、何十年たっても古びないこと、そして新しい魅力的な歌い手を得て再び甦ることが、よくわかる。必聴です。

音曲日誌「一日一曲」#188 サム・クック「ユー・ガッタ・ムーブ」(Night Beat/RCA)

2023-10-06 05:00:00 | Weblog
2011年10月8日(土)

#188 サム・クック「ユー・ガッタ・ムーブ」(Night Beat/RCA)





サム・クック、63年のアルバムより。ミシシッピ・フレッド・マクダウェルの作品。

ロサンゼルスにてスタジオ・ミュージシャンをバックに、主にブルース系の曲をカバーしているのだが、ソウル・シンガーというイメージが極めて強い彼の、別の顔を知ることが出来る貴重な音源だ。

なかでも、カントリー・ブルースの名曲に、ジャズィなアレンジをほどこしたこの曲は、とりわけ異彩を放っている。

皆さんはこの曲を、おそらくストーンズ、あるいはエアロスミスのカバーで知ったことと思うが、マクダウェルの原曲はいかにも泥臭さを絵に描いたような8小節ブルースであるにもかかわらず、クックの明るめの歌声で聴くと、まるで別の曲のように思えたのではないかな。

ほどよくスウィングしたサウンドは、どう聴いてもジャズ。

クックの歌いまわしも絶妙で、ジャズ・ナンバーをフェイクして歌っているかのよう。

しかしながら、よく聴き込めば、原曲のブルース感覚、その特徴あるメロディ・ラインを決してそこなっていのがわかる。さすが、天性のソウル・マン、サム・クックである。

バックでは、ビートルズとの共演でおなじみのビリー・プレストンがオルガンを弾いており、それがまた、非常にリラックスしたムードを醸し出している。

ブルースの曲ながら、あくまでもクックの陽性な歌声をひきたてるような洗練された味付けをしているのが、心憎いね。

ナイトクラブで歌われていても違和感のない、カントリー・ブルース。アレンジの妙をとくと味わってほしい。

音曲日誌「一日一曲」#187 ラリー・カールトン「BLUES FOR TJ」(FRIENDS/MCA)

2023-10-05 05:00:00 | Weblog
2011年10月1日(土)

#187 ラリー・カールトン「BLUES FOR TJ」(FRIENDS/MCA)





今年も残すところ三月かぁ。ホント、一年ってあっという間に過ぎてしまうよね。

さて、10月の第一弾はこれ。ラリー・カールトン、83年のアルバムより。ゲストにB・B・キングを迎えてギター共演をしたブルース・ナンバー。カールトン、キングの共作。

ラリー・カールトンというギタリストは、ジャズ、フュージョン、ロックなど、さまざまな引き出しを持っているが、やはりその音楽の原点はブルースだといえるだろう。彼のプレイには常に、濃厚なブルースの「匂い」がぷんぷんと漂っている。

彼が最もインスパイアされた先輩ギタリストの一人、BBとの共演。これはもう、聴かないわけにいかない。

この曲は、カールトン名義のアルバムということもあってか、あえて歌は入れず、インストのみの構成となっている。

まずはBBのソロから、スタート。おなじみのタメのフレーズが炸裂する2コーラスの後、カールトンにバトン・タッチ。

ナチュラル・ディストーションをばりばりに効かせて、盛り上がった彼のソロの後は、ふたたびBBが、ぐっとトーンを落したソロで引き継ぐ。

ときには二人でハモりを入れるなど、息の合ったところを見せているうち、このスロー・ブルースは静かに幕引きを迎える。

実にさらっとした、リキみのない仕上がり。さすが、大御所と実力派のタッグでありますな。

ボーカルは入っていないもの、歌心に満ちた二人のソロは、ハンパなシンガーよりは、よっぽど説得力のある「うた」だといえる。

エイブ・ラボリエル、ジェフ・ポーカロ、ジョー・サンプルをはじめとする、バック・ミュージシャンの前に出過ぎないサポートぶりもまた、素晴らしい。

ブルースにもいろいろなスタイル、サウンドがあるが、この曲こそはインストゥルメンタル・ブルースの粋(すい)といっていいんじゃないかな。

白人・黒人それぞれのトップ・ギタリストの共演。聴かなきゃ、ソンです。

音曲日誌「一日一曲」#186 小林麻美「TYPHOON」(CRYPTOGRAPH~愛の暗号/ソニーミュージック)

2023-10-04 05:21:00 | Weblog
2011年9月24日(土)

#186 小林麻美「TYPHOON」(CRYPTOGRAPH~愛の暗号/ソニーミュージック)





「その女(ひと)のことを、僕は40年前から好きだった。そして、今もなお」

な~んて、いかにもセンチな書き出しでスマソ。今回は筆者の個人的思い入れ120%を書きつけるだけなんで、それが気に入らないご仁は「てめぇの呟きなんか聞きたかねぇよ。チラシの裏にでも書いてろ、ペッ!」とスルーしてくれ。

小林麻美という、4才年上の、特別に美しい女性のことを意識したのは、71年。彼女がテレビドラマ「美人はいかが?」で脇役として出演しているのを観てからだ。。

主演の奈良富士子(今どきの女優でいうと柴咲コウタイプの女優さん)を明らかに食う(ように筆者には見えた)愛らしさで、彼女は筆者のハートをわしづかみにした。

以来、彼女は自分のアイドル・ランキングの、トップ1か2に、常にランクされていた。

ときおり芸能活動を休止したり、仕事をセーブしたり、そして結婚して完全に引退したりと、彼女のアイドル/芸能人としての実質的な活動期間はわりと短かったが、それでも十分印象に残る作品を残してきた。

その代表格が、彼女が30才を過ぎてから本格的に現場復帰して発表したアルバム「CRYPTOGRAPH~愛の暗号」だ。

彼女はそれまでのアイドル・ポップス路線を脱皮して、よりアーティスティックな表現をそのアルバムで見せてくれた。

アルバムほぼ一枚分、まるまるビデオ化するという、ビジュアル的展開も、84年当時では斬新なものだった。

きょう聴いていただくのは、シングルにはならなかったが、まちがいなく佳曲といってよいだろう「TYPHOON」だ。

松任谷由実の作品。アレンジは武部聡志。

ユーミンの曲ながら、小林麻美が歌うことにより、いわゆるユーミンぽさはほとんど感じられない。声のキャラクターがいかに、曲のイメージを塗り替えるか、よくわかるね。

でも何度も聴き込めば、ユーミンならではのセンスも十分感じられる。ことに転調してからの「あの夏の島の~」からのメロディラインとか、最高だよね。

武部聡志の繊細でやや控えめなアレンジも、彼女の線の細い、物憂げなボーカルと見事にマッチングしていた。今はもう製造されていない電子管楽器、リリコンかと思われる間奏の調べも、実にいい感じだ。

とにかく、曲を聴くだけで、あのPVの映像がいまも目に浮かんできて、至福のときを筆者に与えてくれる。これを神曲といわずして、何を神曲というのだ。

ところで筆者はほんものの小林麻美に、一度だけ遭遇したことがある。それもコンサートとかそういうのでなく、彼女のプライベート・タイムのときに。

十二、三年くらい前であったか、当時筆者はゴルフのレッスンを受けるために大森駅近くのスクールに通っていたのだが、ある日自転車に乗ってそこへ向かおうとしている筆者の目に、見覚えのある女性の姿が飛び込んできた。

それが、小林麻美だった。

彼女は車から降りてきて、笑顔で家族かだれか連れの人に手振りの合図をしていた。

長めの髪。長い手足。アイドル時代に比べてもさらに小顔になり、くっきりとした目鼻立ち。可愛いというよりはむしろりりしいといったほうがいい。見まちがえようもない、彼女本人だった。

そして彼女は僕の目には、うつし世の女神(ディーバ)そのものに見えた。

が、至福の瞬間は短かった。筆者は自転車に乗って移動していたのだ。立ち止まることも出来ず、あっという間に彼女の姿は視界から消えていった。

その間、ほんの1分足らず。

だが、その記憶は筆者の脳髄に一生刻み込まれた。

筆者は感謝した。最も美しいと30年近く思い続けていた女性が、そのイメージをまったく裏切らないかたちでいてくれたことに。

27年とはとんでもなく長い歳月だが(自分にとってもこれまでの人生の半分に相当するぐらいだ)、そんな隔たりなど、この曲は一瞬で忘れさせてくれる。

そう、この台風の季節が来るたびに「TYPHOON」は、不滅の佳曲としてよみがえるのである。

音曲日誌「一日一曲」#185 やくしまるえつこメトロオーケストラ「ノルニル」(スターチャイルド)

2023-10-03 05:13:00 | Weblog
2011年9月18日(日)

#185 やくしまるえつこメトロオーケストラ「ノルニル」(スターチャイルド) 





やくしまるえつこの、この10月5日発売予定の第5弾シングルより。やくしまる自身の作品(ティカ・α名義)。

天才、すなわち天賦の才能とは何か。その定義は極めて困難であるが、筆者は経験的にこういう自説を持っている。「天才とは名状しがたいものである」と。

容易に言葉によって説明が可能なものは、ごくごく並みの才能であって、天賦の才能ではない。ことに芸術においては。

そういう意味で天才はごく稀にしか発見されえないのだが、筆者的に「このひとはもしかしたら、天才なのかもしれない」と最近(椎名林檎以来ひさしぶりに)思っているのが、やくしまるえつこなのだ。

年齢、出身地等、そのプライベートな情報がほぼ完全に非公開なアーティスト。年齢は5年のキャリアのわりには、まだかなり若いようだ。

恥ずかしながら筆者は、彼女について最近まで「不思議ちゃん系シンガー」「アイドルもどきのアーティスト」程度の認識しかなかった。その往年のビッグ・アイドルを連想させる芸名と、フレンチ・ポップス風のウィスパー・ボイスから、どうしてもそういう先入観を持たざるをえなかったのである。

しかし、ここのところ、彼女の活躍ぶりは目覚ましい。いくつもの主宰/客演ユニットに参加。坂本龍一、鈴木慶一、近田春夫、高橋幸宏、砂原良徳(まりん)、光嶋誠(BOSE)といった錚々たるベテラン・ミュージシャンたちがこぞってコラボレーションを申し出てくるといった人気ぶりなのだ。まさに「小蹊を成す」が如き状態。

単に彼女が可愛いとかいったレベルで説明出来ることではない。「才能は才能を知る」。明らかにそういうことなんだと思う。

論より証拠。まずはこの7月からの深夜アニメ「輪(まわ)るピングドラム」オープニングテーマ「ノルニル」を聴いて欲しい。アニメオープニング用のショート・バージョンながら、その異才ぶりは十分に感じとってもらえると思う。

冒頭からのフレンチ・ロリータなささやき歌唱でずっと通すかと思いきや、サビ直前で急激な昂りを見せ、あとは雪崩のようにサビへと突入。序破急、1分半の見事なドラマを作り上げている。

その独自の(としかいいようのない)言語感覚といい、特異なメロディのセンスといい、まぎれもなくワン・アンド・オンリーな世界を持っているのだ。

しかもそれらすべてを自分自身がディレクトし、プロデュースしているというところが、他のアイドルとアーティストの境界線上にある女性シンガーとの決定的相違点だと思う。

プロ・ミュージシャンが注目する特別な才能、やくしまるえつこ。一般リスナーもこれからは目を離せないね。いやマジで。

音曲日誌「一日一曲」#184 ザ・コミットメンツ「グリッツ・エイント・グロッサリーズ」(THE COMMITMENTS VOL.2/MCA)

2023-10-02 05:18:00 | Weblog
2011年9月13日(火)

#184 ザ・コミットメンツ「グリッツ・エイント・グロッサリーズ」(THE COMMITMENTS VOL.2/MCA)





ごぶさたスマソ。ひさしぶりの一曲はこれ。映画「ザ・コミットメンツ」のサントラより。タイタス・ターナーの作品。

アイルランドの首都ダブリンで結成されたアマチュア・ソウルバンド、ザ・コミットメンツの活動を描いた映画だが、ドラマの内容以上にわれわれを魅了したのは、役者達が自ら演奏・歌唱した、懐かしのソウル・ミュージックが全編でフィーチャーされていたことだ。

中でも、リード・ボーカリスト、デコ役を演じたアンドリュー・ストロングの歌は強烈だった。

彼が映画に出演したのは、弱冠16才の頃。しかしその堂々たる歌いぶりは、長いキャリアを持つプロ・シンガーも顔負けの出来ばえだった。

それもそのはず、ストロングは11才からプロのバンドで歌ってきたという、文字通りの天才少年。昨日今日、ソウルを歌い始めたわけではない。

器楽なら十代に満たない若さで異能を発揮するケースも少なくないが、大人の音楽ソウルの歌い手で、これだけの早熟ぶりを示したのは、スティーブ・ウィンウッド以来かもね。

本日聴いていただくのは、ベテラン・ソウルシンガー、リトル・ミルトンのオリジナル歌唱で知られるナンバー。

ストロングのワイルドな咆哮、ホーン・セクションのハジけっぷり、そしてタイトなリズムが渾然一体となって、聴く者を「これぞソウル!」と唸らせてくれる。理屈なんかいってないで聴くしかない。ノレまっせ。