『ソーシャルネットワークは「空気のような存在」へ』という記事がCNETに掲載された。Li氏の講演の詳細が分からないので何とも言えないが記事から類推するに、ソーシャル・ネットワークは今後、「空気」のように当たり前に在る存在、常に/既に「繋がっている」状態になると言うことなのだろう。しかもそれは1つのサービスに閉じたというより、サービス間のシームレスな連携によって実現されるのだと。
ソーシャルネットワークは「空気のような存在」へ:スペシャルレポート - CNET Japan
ソーシャル・ネットワークの「繋がり」を考えて行く上で、繋がり方(空気)を4っに区分して考える必要があるとのこと。まずユーザーのプロフィールを公開・自由に参照出来るというもの(「ユーザープロフィール」)、関連するユーザー同士の繋がりを公開・自由に参照出来るというもの(「ソーシャルグラフ」)、そして3つ目が、そうしたユーザー同士の「繋がり」の上で展開されるサービスや活動(「ソーシャルな結びつきの文脈で共有される活動」)であり、4つ目がそうした間主観性によって産み出されるビジネスモデル(「ビジネスモデル」)となる。
こないだ「ソーシャル×××」と言うのは「二重の繋がり」が必要になる、と書いたけれど、その1つ目の「システム的に接続された状態」というのがここでいう最初の2つ、各ユーザープロフィールの公開とユーザーグラフの公開・共有にあたると言えるだろう。
こうした情報がサイト間・サービス間を越えて、勝手に(システム的に自動で)やりとりされることがソーシャル・サービスの前提となる。そしてその上で、「もう1つの繋がり」とでもいうべき、具体的なサービスやビジネスモデルへの応用が展開されるのだ。
4つの区分と同時に、Li氏は最初の接続性で必要となる情報の種類は益々多くなり、メールアドレスや電話番号等のユニバーサルIDもいずれOPENになると考えているようだ。
アメリカの事情は分からないのだけれど、しかしこれは中々難しいところだろう。
OpenIDの場合、あくまで個人を特定しないID(URL)が対象であり、シングルサインオンの一種として認証に関わる行為をIDの発行もとが代行しているくらいの位置付けだろうが、Li氏が描いているのは個人が特定されやすいメールアドレスや個人情報そのままの電話番号を直接流通させて、他社のサービスを結びつけるということは、個人保護の観点からも難しい。
仮にこうしたものをベースとしつつ、個人を特定しない「UID」のようなものを使って流通させるとすれば、可能かもしれないが、各社の共通のプラットフォームとしてどこまで利用可能なものか(レガシーを売りにする電話会社がどこまでこうした発想を理解できるだろう)。また複数のサービスにユーザー情報が分散していた場合、それらを紐付けることがどこまで可能で、誰の責任においてそれをどう管理するのか。
RSSやAPIを通じた緩やかなサービス間の連携というのであれば、できないこともないが、そうなるとサービスを超えたソーシャル・ネットワークがどこまで魅力的になるのかも微妙なところ。
結局のところ、こうしたソーシャル・ネットワークというのは、個人にカスタマイズされたサービスの徹底化と他者との「つながり」「共有」の実現ということなのだろう。後者の「つながり」「共有」はそれぞれのサービスが進めているとはいえ、前者の「個人」指向というのはまだまだといったところ。各社に分断された個人プロファイルをどのように「個人」中心にまとめるのか、OpenIDがベストな選択という気もしないのだが…
時空の消滅とソーシャルサービスの誕生
ソーシャルネットワークは「空気のような存在」へ:スペシャルレポート - CNET Japan
ソーシャル・ネットワークの「繋がり」を考えて行く上で、繋がり方(空気)を4っに区分して考える必要があるとのこと。まずユーザーのプロフィールを公開・自由に参照出来るというもの(「ユーザープロフィール」)、関連するユーザー同士の繋がりを公開・自由に参照出来るというもの(「ソーシャルグラフ」)、そして3つ目が、そうしたユーザー同士の「繋がり」の上で展開されるサービスや活動(「ソーシャルな結びつきの文脈で共有される活動」)であり、4つ目がそうした間主観性によって産み出されるビジネスモデル(「ビジネスモデル」)となる。
こないだ「ソーシャル×××」と言うのは「二重の繋がり」が必要になる、と書いたけれど、その1つ目の「システム的に接続された状態」というのがここでいう最初の2つ、各ユーザープロフィールの公開とユーザーグラフの公開・共有にあたると言えるだろう。
こうした情報がサイト間・サービス間を越えて、勝手に(システム的に自動で)やりとりされることがソーシャル・サービスの前提となる。そしてその上で、「もう1つの繋がり」とでもいうべき、具体的なサービスやビジネスモデルへの応用が展開されるのだ。
4つの区分と同時に、Li氏は最初の接続性で必要となる情報の種類は益々多くなり、メールアドレスや電話番号等のユニバーサルIDもいずれOPENになると考えているようだ。
アメリカの事情は分からないのだけれど、しかしこれは中々難しいところだろう。
OpenIDの場合、あくまで個人を特定しないID(URL)が対象であり、シングルサインオンの一種として認証に関わる行為をIDの発行もとが代行しているくらいの位置付けだろうが、Li氏が描いているのは個人が特定されやすいメールアドレスや個人情報そのままの電話番号を直接流通させて、他社のサービスを結びつけるということは、個人保護の観点からも難しい。
仮にこうしたものをベースとしつつ、個人を特定しない「UID」のようなものを使って流通させるとすれば、可能かもしれないが、各社の共通のプラットフォームとしてどこまで利用可能なものか(レガシーを売りにする電話会社がどこまでこうした発想を理解できるだろう)。また複数のサービスにユーザー情報が分散していた場合、それらを紐付けることがどこまで可能で、誰の責任においてそれをどう管理するのか。
RSSやAPIを通じた緩やかなサービス間の連携というのであれば、できないこともないが、そうなるとサービスを超えたソーシャル・ネットワークがどこまで魅力的になるのかも微妙なところ。
結局のところ、こうしたソーシャル・ネットワークというのは、個人にカスタマイズされたサービスの徹底化と他者との「つながり」「共有」の実現ということなのだろう。後者の「つながり」「共有」はそれぞれのサービスが進めているとはいえ、前者の「個人」指向というのはまだまだといったところ。各社に分断された個人プロファイルをどのように「個人」中心にまとめるのか、OpenIDがベストな選択という気もしないのだが…
時空の消滅とソーシャルサービスの誕生
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