小倉山
平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名でした。
特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、
八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、
涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。
後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してより、嵐山は桜の名所、
小倉山は紅葉と鹿の名所として親しまれてきました。
小倉山の中腹に建つこの常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、
平安の歌人・藤原定家の山荘「時雨亭」があった所と伝えられています
茅葺きの仁王門に、紅葉が散りかかる風情は定家の和歌の世界を思わせるほど
明治時代頃までは、多宝塔の北側の墓地に前中書兼明親王の墓碑が存在しました
多宝塔の西側には、木下長嘯子の歌塚が有り
歌人としても有名であった日禛上人との交流が偲ばれます
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* 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき (後拾遺和歌集1154) 兼明親王
* 牡鹿なく小倉の山の裾近みただひとりすむわが心かな (山家集、上、秋歌) 西行法師
* わか庵は小倉の山の近ければ浮き世を鹿と鳴かぬ日ぞなき (新勅撰集、五、秋歌下) 八条院高倉
* 山里はみな冬がれて小男鹿の音にぞ僅かに秋は残れる (出観集、秋歌) 覚性法親王
* 忍ばれむものともなしに小倉山軒端の松ぞ馴れて久しき (拾遺愚草2082) 藤原定家
紅葉の名所がひしめく京都嵐山
散り紅葉、敷き紅葉と、さながら極楽浄土へと迷い込んだかのような光景
常寂光寺は久しぶりです、さっそく歩いてみます
仁王門
散り紅葉一直線に続く石段にも可愛い散り紅葉苔むした古刹が、
この時期だけは彩豊かな境内へと変わり、、、
本堂
鐘楼北側灯籠
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優美な京の紅葉
多宝塔
末吉坂から下って仁王門へ
常寂光寺
慶長年間(1596〜1614)に大本山本圀寺第16世究竟院日禛上人により開創
本堂は慶長年間に小早川秀秋公の助力を得て、伏見桃山城客殿を移築し造営する
仁王門は、元和二年(1616)に大本山本圀寺客殿の南門(貞和年間の建立)を移築
仁王像は運慶作と伝えられる
什物に高倉天皇より小督局に下賜された車琴がある
これは小早川秀秋公より当山に納付されたものである(非公開)
参照:常寂光寺HPより
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