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☆万葉・記紀の昔を偲んで明日香村 * 石舞台古墳

2020-03-11 | ♥京都・奈良の旅

日本最大級の石室は、飛鳥のシンボル

 

飛鳥は、万葉の明日香日本書紀の飛鳥石のあすか

「古代」がぎっしり詰まっています

時間の都合で石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳だけですが

悠久の歴史に思いをはせるのも、至福の時間

 

自転車道路が整備されていますので

観光客向けの電気自転車レンタルするのもいいですね

飛鳥路サイクリングで、野花が咲いている田舎道を走りながら

由緒ある古刹や謎の石仏を巡りるのも、充実した観光になるでしょう

 

古代の謎に満ちた、のどかな田園地帯に、辿り着きました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石舞台古墳は、奈良県明日香村にあるわが国最大級の方形墳

7世紀の初期に造られたとみられています

 

 

 

 

巨石を積んだ石室(玄室)が露出した墳墓

盛り土は失われたが、濠に囲まれた日本最大級の方墳

※石舞台の由来は、天井石の上部が地上に現れたのを舞台に見立てたもの

(この上でキツネが女性に化けて踊っていた、などの伝説があります)

 

 

 

総重量2,300tの巨石に封印された墓

 

 

石舞台古墳は、蘇我馬子の墓と有力視されています

 

 

玄室(中)から外を見て

 

 

石舞台の玄室内は

外から見るよりずっと天井が高く広々としています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

被葬者は

この時代に天皇家の外戚(がいせき:甥や姪が多数天皇に即位していた)であり、

大臣(おおまえつきみ)として権勢をふるっていた蘇我馬子だといわれます

現在は、墳丘を覆っていた土は失われ、巨大な石積みが露出していて

玄室(げんしつ:使者を埋葬した墓室)にも自由に入ることができます

通常の古墳のなかで、封土がなくなり石組が露出している遺構は大変珍しいとされています

 

 

 

石舞台古墳の復元石棺

 

 

 被葬者とみられている蘇我馬子は

敏達(びだつ)天皇が即位した西暦572年ごろから

 推古36年(626)に亡くなるまでの50年余り

大臣(朝廷の最高位の官職)として権勢をふるっていました

推古天皇の治世で行われた様々な改革(冠位十二階制定、十七条の憲法発布、遣隋使の派遣など)

は聖徳太子の手腕によるとされています(『日本書紀』)が、馬子の同意なしではできなかった

あるいは、馬子の発案であって、太子は指示に従って実行しただけだという説もあります

 

資料出典日本人のこころのふるさと飛鳥を訪ねて

 

 


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