魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

山鹿 ‐灯籠・八千代座・鞠智城-

2015-12-03 | 史跡
山鹿に到着し、さくら湯の近くの駐車場に車を止め、
さくら湯を撮影。お城か大きな旅館のよう。
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さくら湯の2階に展示されている、
灯籠師の徳永正弘さんの追悼展を見学。

その後、隣の観光案内所に入り、
この男性からいろいろと説明を聞いていると、
何度も山鹿に来たくなった。
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頭上からするすると降りて来た金灯籠を頭でキャッチし、
太宰府天満宮の奉納灯籠をバックに、記念撮影。

灯籠民芸館が改装中で見学できず、残念。

しかし、観光案内所隣にある温泉プラザの2階が
仮の展示場となっているので、そちらに移動。

山鹿の灯籠まつりは1,900年前、第12代・景行天皇を
山鹿に迎えたときに始まったとのこと。

1,900年前って、弥生時代が始まって間もない頃。
そんな昔から、形を変えながらも続いているのだろうか? すごい。



たくさんの奉納灯籠を片っ端からカメラに収めたが載せきれず…。



姫路城をはじめ全国の有名な建物が、たくさん和紙だけで作られている。

   古式台灯というそうだが、立派でひときわ美しい。
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法隆寺の五重の塔  山鹿市にある鞠智城(きくちじょう)鼓楼(ころう)  
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その後、八千代座を見学。

今なお、子ども歌舞伎や、小中高等学校の踊りなどの発表会、
中高年女性のフラダンスの発表会に使われていることを



    案内の女性が演技をしながら解説してくれる。
       彼女の身体能力の素晴らしいこと!



俳優をしていた人かと思ったが、保育士だったとのこと。



奈落も見学し、回り舞台を私も押してみたが全く動かなかった。
朝青龍は一人で動かしたそうだから、すごいね~。



それから、鞠智城へと向かって走ると、突然目の前にそびえ立つ鼓楼!
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鞠智城は7世紀後半(約1,300年前)に、大和朝廷が築いた山城の一つ。

663年の白村江(はくすきのえ)の戦いで
唐・新羅の連合軍に大敗した大和朝廷が、
日本列島への侵攻に備え、西日本各地に城を築いた。

その要の城が大野城で、その補給基地として使われていたと。

   鼓楼の内部は柱がみっちりと林立していて、芯柱がない。
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    これは発見された当時そのままの柱跡
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 ここの売店に大きくて軽いきれいなバッグが、
  1600円で売られていた。
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  今のショルダーバッグは小さくて不便なので購入
    いい買い物ができた(*^_^*)

私の買い物はたいていこんな旅や、移動の途中に済ませる。

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