魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

いとこ訪問 -2- 喜さん 

2013-04-05 | ファミリー
私が一年で一番暇な春休も、ついに今日が最後の休み。
明日の名古屋施術を皮切りに、仕事に復活。

いとこ訪問 -1- 喬にいさんを書いた後、
「次は誰を訪問しようか?」
と考えながら日程表とにらめっこをして、
「4/5(金)、喜さん@名古屋!」と決めた。

最後に会ったのは32年前、私の母の三回忌の時だった。
電話で話したことは、これまでの人生の中で一度もなし。

でも思い切って1カ月ほど前に電話をし、
アポを取り、ついに今日、会うことができた。

指示されたデパートの前まで行くと、
たくさんの人の中から、すぐに見つけることができた。
なぜって、私の姉にそっくりだから。

そこから彼女の夫さんに車に乗せてもらって、
平和公園に花見に。
           ↓


名古屋らしく華やかな桜。紅しだれ桜かな?
猫ヶ洞池をバックに記念撮影
            ↓


彼女は、私の父の弟の長女で、私より8歳年上。
私の一番上の兄は、大学生時代、
雪深い冬の季節は、彼女の家に下宿して通学していた。

でも、年が離れている私は、
二人でゆっくりおしゃべりをしたこともなかった。

喜寿を過ぎているというのに、
私の質問に答えるのの、早いこと早いこと!

「あの~、え~と、あの時のあれ」的な言葉は一切発せず
縦板に水のごとし。いや、機関銃?

喜さんは樺太で生まれ、
喬にいさんの家族と同じ屋根の下で育った。

終戦・引き揚げの時は4歳だったというのに、
「家の前に山があって、喬にいさんにおんぶしてもらって、
鬼ごっこをして、遊んでいたことを覚えている」と。

なぜ喜さんから話を聞きたかったかと言うと、
来年、京都トコ会館が完成したら、
いとこ会をしたいと考えているからである。

私ですら戦争を知らない世代。
ましてや、私の子どもや孫達にとっては、遠い昔話。

先祖の歩んできた道を、孫達の記憶にも、
記録にも残らないまま、消滅させてはいけない。

それまでに、できるだけ写真を集め、話を聞き、
その席で、パワーポイントスライドショーをしたいと考えている。
それ用の写真も20枚余り借りることができた。

喜さんは戦後に開校された公立商業高校の第一期卒業生。
学校で学んだ簿記などの特技を生かして
事務員として働いていた。

若くして結婚・出産。二人の子どもが成人した後
40代になってから再度、仕事に出る時、
はたして20年前の事務能力で、務まるかどうか、不安だったと。

ところが、再就職してすぐに、
20年前と同様に働くことができ、67歳まで勤めた。

退職してからは、登山を始め、
昨年は穂高連峰など登ったという。

そんなことできるものなのか?!
私は身体を動かす仕事を続けているが、
今から穂高連峰の登山なんて、とてもそんな自信はない。

20年以上も左を向けない彼女の首だったが、
操体法と体操だけで、右と同様に向けるようになった。

その間、整体などにもいろいろ通ったと言うが・・信じがたい。

夫さんも、ベリーロールでハイジャンプをしていた人で、
背中から首が大きく捻じれていたのを調整。

50年以上前にできた歪みでも、
生まれた時からの歪みを調整するのよりは、はるかに簡単。

昼ごはんも夕ご飯も御馳走になり、
夜の9時頃までおしゃべりや、体操。

そのうえ、喜さんが自分で作ったという桜餅などを
お土産にいただいてしまった。



合う枕に出会えず「肩コリで目が覚める」という二人に、
快眠枕をそれぞれに調整して送ることを約束し、
最寄駅まで送ってもらって別れた。

帰って来てからパクリ。



甘みと葉の塩味が絶妙に口の中で溶けあい
和菓子屋さんで売っているのより美味しい~!

「なんでこんな美味しい桜餅を作れるんやろ?
私も喜さんに負けないよう、若さと元気を保たなくては!」
と思った一日だった。

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