4/6(木)は姉宅で、姉や義兄とおしゃべり。
義兄はスリムになり、予想以上に血色良好。
裏庭・畑の見回りに出られたので
私も撮影しながら畑庭と畑の見学。
とてもきれいに手入れされていて
我が家の庭とは大違い。
「楽しくて仕方ない」と言いながら、見回る義兄。↑
「前は野菜の苗を買っていたが
今は、種をまいて苗を育てている」 ↑
と、ここだけでも
十数種類の野菜の芽が育っている。
これは「つまみ菜」 ↓
この日の昼食に漬物・お漬しとなって
私もいただいたが、甘味のあるとてもおいしい菜。
表庭もきれいに手入れされているが
造園業者に任せているのではなく
剪定などすべて自分でしているのだと。
この後、義兄は日帰り温泉に行ってしまい
私は姉とその娘と孫の3人を施術。
健康オタクの姉をはじめ
3人とも、なかなか立派な体。
普段、私が施術している方々とは
脊柱の彎曲も、全身の頑強さも、違うと感じた。
4人で昼食を摂りながらおしゃべりをし
私は姉の車で片山津のホテルまで
送ってもらえることになり、娘と孫も帰宅時間に。
何年間も姉の家族の写真を撮っていないので
せめて1枚でもと
写真を撮られたくない姉の後姿をパチリ。
と同時に、娘・孫の姿も納まった。
片山津に向かう途中
子どもの頃、毎夏、姉と2人で遊びに行った
安宅の叔母さんの家のあった所に
行ってみることにした。
安宅の関の駐車場・公衆トイレ・入口のある所に到着。
60年余り昔
この道路を挟んだ反対側に広場があり
広場の奥に弁慶・富樫像があった。
その広場の入り口の東北の端に
叔母の家を兼ねた茶店があった。
弁慶・富樫像が松が生い茂った
防砂林の中に引っ越したのが
私が中学に入学した頃だったと思う。
その後、茶店にお客さんがだんだんと来なくなり
叔母の家族の生活は苦しくなり
広場を閉鎖し売り出すことになったのか
地主から立ち退きを迫られ
叔母一家は暮らせなくなり
兄の家である私の実家に転がり込んで来た。
私は看護学校の寮に入っていた時だったので
詳しいことは覚えていないが
姉は「よく覚えている」と。
叔母の家兼店があったのは
たぶん、この黄色っぽい色の建物の場所から
この「焼きイカ」と書かれた朽ちかけた店の間。
叔母さんの家があった頃は
近所には建物は何もなかったので、わからない。
それに、道路の向かい側は防砂林が
ずーっと続いていたし
子どもの頃は広場はもとても広く感じたし
防砂林も果てしなく広く感じたし…。
とにかく、引っ越した弁慶・富樫像を
見に行くこととし
子ども時代の怪力弁慶像のところで
姉が私を撮影。
でも、自分は絶対に撮られたくないと。
防砂林を進むと、すぐに海が見え始めた。
子どもの頃は「海はとても遠い」と思ったのに…。
子どもの頃は、ここで地引網漁がされていて
鍋を持って魚を買いに来たことが懐かしい。
今は、モダンなビューテラスが立っていて
広いと思っていた砂浜は、とても狭くなってしまった。
ビューテラスの隣に、弁慶・富樫像があり
座っている義経像も加わっている。
我々は子どもの頃は
「弁慶も富樫もこんな着物を着ていたんや」
と信じて疑わなかったが
これは歌舞伎「勧進帳」の衣装であって
こんな着物を着て弁慶が旅をしたり
富樫が仕事をしていたり、なんてはずがない。
少し右に進んだところに
安宅の関址の石碑が立っているが
本当にここにあったのかな?
「関所のあったところは、とっくに波で浸食されて
海になってしまった」
と、昔聞いたことがあるが…?
さらに進むと、弁慶像。
この着物の方が実際に近いだろう。
ここは安宅住吉神社の境内で
これが本殿のよう。 ↓
昨晩、Tさんに「住吉神社の境内に弓道場があり
そこで稽古をしていた」と聞いたので
見たくなり
キョロキョロしたが見当たらず
諦めてこの鳥居をくぐったところで
姉が「あった!」というので見ると
お~っ、なんと美しく広く、立派な弓道場。
的を置く的場の屋根に桜の枝が伸び
矢道(中庭)は苔むしていて、とても風流。
姉が「ここで写真を撮ってあげる」
と言うので、苔がない所を歩き
松の根を踏まないように
姉の立つ射場の方を向いてポーズ。
いたずらっ子が2人、神聖な領域に
勝手に入り込んで
写真を撮って遊んでいるみたい😄
射場の玄関はどころあるのだろうと
裏に回ってみたところ、立派な玄関があった。
玄関の表には石灯篭。なんて立派な弓道場。
昨日見た小松高校の弓道場とは雲泥の差。
こんな美しい弓道場で、死ぬまでに一度でいいから
弓を引き矢を射てみたい気が…、しないでもない。
南参道を通って公道に出て、駐車場に向かう途中
昔は松の木ばっかりで
茸の一種である松露採りを楽しんでいたのに…
今は桜の木がたくさん植えられていて
花が美しい。
毎夏、安宅で過ごしていた時から
もう60年以上も経つのだから
すっかり変わってしまって、当然なんやな~。
と語りつつ、片山津へと向かった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます