先ほどは、森本貞子著「秋霖譜(しゅりんふ)のあらすじを書きましたが、常の離婚の原因が養子の民権運動がらみの犯罪ではないという、説を延々と書いていらっしゃるブログを見つけました。
重雄が養子ななったのが常の家ではなく、一読のどこかほかの家ではないかと言う説なので、そうすると森本さんの仮説は全くなくなるわけです。
同じく常のことを書いた小説植松 三十里著「攘夷開花」は、多く年代のずれとあり得ない内容になっているそうです。
たとえば、森たちが結婚した後に、クララ達が来日したのに、結婚式に出ているとか、仲の良かった関係をいじめられたとか・・・枚挙にいとまがないそうです。
前に、細川ガラシャの小説や伝記をたくさん読んだことがありましたが、ガラシャと侍女が入れ替わり、スパイのようなことをしているのまでありました。
何でも書かれてしまうと、死人に口なしなので、それがまことしやかに流れるので怖いですね。
ところで、「秋霖」とは、秋の初めに降る長雨のことです。
森有礼の最初の奥さん常さんの実家は男の子がいなかったので、養子をもらいました。
その養子の重雄が、民権運動にかかわり、彼のグループは政府転覆を計り資金調達のために強盗を働いたのです。
当時は、事件を起こすと家族までが処罰されましたが、しかし、民権運動家は国民が応援していたのです。
重雄たちは、森の恩人伊藤博文暗殺を計画していたので、森は手をうってこの事件は思想犯ではなくただの強盗事件とされたのです。
そして、森やその子供まで、政治犯の連座が及ぶのを恐れて、常さんは離婚したのです。
生まれたばかりの子は、森の兄の家に引き取られましたが、どこかに養女に出されたのです。
そして常さんの妹の福子さんは、明治屋の創業者と結婚しましたが、心労からやせ衰え、出産後間もなく亡くなりました。
重雄たちは、政治犯として裁いて欲しいと訴えましたが、常さんたちの悲劇を聞いて取り消しました。
仲間の家族の中にも、自殺者が出たのです。
重雄たちは、牢に入れられ、重労働の中亡くなる人もいましたが、罪を問われなかった仲間の一人が、伊勢神宮の神官になりました。
そして、森有礼が伊勢神宮に行った時、ちょつとした行き違いがあったのを森はキリスト教徒で伊勢神宮で不敬を働いたという嘘をついて、マスコミに流したのです。 そのデマを信じた男に森は憲法発布の朝、暗殺されました。
常さんは、外人と浮気をして青い目の子を産んで、発狂したので離婚されたといううわさが流れましたが、それを否定すると、真実が暴かれるため、口をつぐんだと森本貞子さんの「秋霖譜」の中に書いてありました。
事件と言うのは、表面から見ているだけでは分からない深いものがありますが、それにしても人間の恐ろしさを感じました。