明治時代の日本髪の立体が欲しいと探しているので、デパートに行き、日本人形を見てみようかと思いました。
ところが、季節の人形である雛人形や市松人形しかありませんでした。
今は、デパートでは扱っていないそうです。
浅草橋の本店の方でも、ほとんどないそうです。
そういえば最近は、浅草で見た、外国人向けの安い舞子さんくらいしか見たことがありません。
昔あった日本髪のミニチュアのかつらが欲しいのに、どこを探してもないのです。
それでもめげないで、祈りつつ探しています。
どこかで見つけた方は、声をかけてくださいね。
昨日は、暖かい日でしたが、今日は再び寒くなってきました。
ところで、今、勝海舟の関していろいろ調べていますが、勝の三女・逸子(妾の子)が結婚した目賀田種太郎が、東方神起のリーダー・ユンホに似ていると言うことが、一部で話題になっています。
前から、ハンサムだと思っていましたが、よくよく写真を見ると似ているなーと思いました。
なんで、今、目賀田の写真が、一般に取り上げられるようになったかと言うと、2008年に専修大学が創立50年になりました。
その記念として、創立者の4人がどのように学校を作ることになったかと言ういきさつを、志茂田景樹氏が「蒼翼(そうよく)の獅子たち」と言う本に書きました。
それが、映画「学校をつくろう」になり、昨年上映されました。
その、4人のうちの一人が、目賀田種太郎です。
映画の、主人公・相馬永胤は三浦貴大さん(三浦友和・百恵の長男)がされましたが、目賀田種太郎は橋本一郎さんが演じました。
かなり、評判がよかったので、1週間上映が伸びたのです。
それで、知られるようになったのではないかと推測しています。
ところで、私はこの映画を見に行く予定日に、いろいろ事情があったので1週間のばしました。
もし、予定していた日に見に行っていたら、あの3.11の大地震にあって帰宅難民になっていたのです。
この映画は、皮肉にも真っ暗な画面の中から「ゴォーーーー!」と言う音が聞こえて、関東大震災から始まりるのです。
映画はともかく、目賀田種太郎は、旧幕臣でアメリカに留学中、4人で学校を作る計画を持ちました。
帰国後、勝逸子と結婚し、男爵にもなりました。
息子の綱美は、パリに留学し社交ダンスを日本に普及させました。
しかし目賀田ダンスは、上流社会に普及しましたが、日本では英国風ボールルーム・ダンスが主流となったのです。
ところで、目賀田種太郎は、あんなにハンサムだったのに、中年になってすごく太ってしまい、全く別人のようになってしまいました。
ユンホさんも、気を付けてくださいね。