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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

パン職人世界一!

2012年03月08日 | Weblog

なでしこジャパンは、ドイツに負けましたが、準優勝しましたね。
おめでとうございます。
ところで、パリで行われていたパン職人世界選手権では、日本チームが優勝しました。10年ぶりの優勝だそうです。
3人一組で、パン職人が競うわけですが、今年の日本のテーマは「絆」でした。
黒鳥が、羽ばたく瞬間をパンのオブジェで表現していました。
3人の職人の内、2人が神戸屋のパン職人さんでした。
震災の後、関東にはパンが無くなった時期がありましたが、すぐに神戸屋のパンがたくさんお店に出たことがありました。
本当に助かったものです。
TVで見ていたら、抹茶のパンがおいしそうでした。
バターがいっぱい入ったデニッシュ生地に、抹茶が練りこまれ、柚子のピールが細かく入っています。
抹茶も柚子も大好きなので、どこかで見かけたら、さっそく挑戦してみたいと思います。

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相馬黒光(こっこう)

2012年03月08日 | 歴史

俚譜薔薇来歌(りふばららいか)を、読んでいますが、これが至難の業ではありません。
なにしろ、633ページあり、文章が分かりづらいので、やっと三分の一です。
初め、何が書いてあるのか頭に入らない感じで、最近やっと主人公が星良(ほしりょう)で、彼女が後の相馬黒光(こっこう)だと言うことが分かりました。
仙台出身の彼女の親族は、正教やカトリックの方々がたくさんいます。
明治1年、従兄の笹川定吉(寅吉)は、ニコライから学んだ新井奥邃(おうすい)から、話を聞き信仰をもちました。
笹川は、見かけも行状もキリスト教徒という方だったので、まだ御禁制の時代、捕まり牢に入れられるのです。
ところが、脱獄して行方が分からなくなります。
親族は、キリスト教徒が多いので、謹慎させられますが、みんな逃げおおせて欲しいと祈っていました。
その頃、笹川貞吉は、北海道でロシア正教の二コライから学び、明治4年に、仙台に他の二人と一緒に布教に帰って来たのです。
明治6年2月に、キリシタン御禁制の高札が取り除かれると、おかまいなしということになりました。
その後、ニコライが東京に行きニコライ堂を建てるのですが、それに同行しています。
良のお姉さんは、婚約破棄され精神の病にかかり、弟は足の病で片足切断をするという、厳しい家庭で暮らしていましたが、12歳で洗礼を受けた良は教会の押川方義(まさよし)牧師の計らいで、横浜のフェリスに通うようになります。
その後、憧れの明治女学院に転校しペンネーム「黒光」と言う名前で、随筆などを書きます。
やがて、長野県のクリスチャン養蚕事業家と結婚し、相馬黒光となりますが、病になり東京にやってきます。
1901年(明治34)、本郷で小さなパン屋の中村屋を初めますが、1904年にクリームパンを発明し大ヒットをします。
新宿・銀座へと移動します。
インドの革命家を匿っていた時、本場のカレーの作り方を学び、そのカレーが「恋と革命の味」として大ヒットしました。
そのインド人は、娘と結婚し、ロシアの亡命詩人の面倒も見ていたことがあります。
新宿・中村屋の、創業者のお話ですが、後三分の二は、今までよりは理解して読めそうです。
それにしても、プロテスタント史に名の残る、有名人ばかりが出てくる本ですが、晩年はキリスト教から離れてしまったのは残念です。

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