PPKというのが巷で騒がれているが、これはピンピンコロリの意味。
元気でいて、死ぬときは病院にもいかずにコロッと死ぬということ。
だから、うちの母親の話をすると、みんなうらやましがる。
母はピンピンではなかった。
足が悪いので外へ出るときは介助が必要。
そして膠原病を長いこと患っているので、具合がいい時と悪い時の差が大きい。
でも最後はKだった。
みんなにいい最後だったねと言われるたびに腹が立つ。
病院で管につながれて、痛みと闘いながら死ぬのは辛いけれど、どんな死に方でも死ぬということは、やはり哀しいことだ。
言われるたびに涙が出そうになるので、ちっとも慰めの言葉にはならない。
金曜日に心療内科の診察日だったので、まだ、家へ帰ると号泣してることを話したら、薬をかえてみることになった。
今の私の状態は「悲嘆」というのだそうだ。
でも長すぎると判断したのだろうか。
母への愛が深いせいだとDr.は言った。
新しい薬を飲み始めたら、少しは心の落ち着きが感じられる。
そしてなぜか、母がそばに来ているような気がした。
背中がふんわりと温かい。
きっとあまり泣いてばかりいるので、心配して見に来たのかもしれない。
昨日の夜も父がいたような気がした。
朝も誰もいないはずなのに、皆で暮していた時のような気分だった。
でもやっぱりひとり。
それに気づき、また哀しくなる。
さあ、私は引っ越しの準備をしなくては。
仏壇は弟の家に行くので、本当に一人になってしまう。
でも父も母も、いつもそばにいるような気がするようになった。