古物商の友人が、今日は食器類を取りに来てくれた。
食器棚にあるのやら、まだ箱からだしてないのやら・・・。
売れそうなものをピックアップしていく。
私が持っていくものは母が作った食器類。
一時期、陶芸に凝っていた母は、いろいろなものを作っていた。
小さいものは皿から傘たてまで!
納戸に紙袋を取りに行って、ふと上を見ると何やら箱がいっぱい。
ちゃんと仕訳はされていた。
紙袋に1つ1つ入れ「春慶塗」とか「木曽漆器」とか「すし桶」とか・・・。
だしてみると、未使用のお盆とか菓子鉢とかがいっぱい。
私が持っていたかったけれど、使うこともないだろうから、もちろんそれも持って行ってもらう。
私が持っていくものは、いつも使っていた茶わん類と趣味で集めた食器の類。
そして母が作ったすべての食器。
がらんとなった食器棚。
また涙が出てきそう。
昨日、青森の伯母から初彼岸だからお花でもあげてとお金を送ってきた。
引越が忙しいから、弟が代表で墓参りをすることになっていたが、やはり私も行こう。
お礼の電話をすると懐かしい声。
また泣いてしまう。
ちょうどTVの特集で、今「泣く」ということでストレスを解消するのが流行っているそうだ。
名づけて「涙活(るいかつ)」。
哀しい場面を映像でみせて、ただ自然にひたすら泣くだけ。
「泣く」ということで副交感神経が働き、ストレスが解消されすっきりするそうだ。
母をふと思い出しては涙ぐみ、家へ帰れば声を出して泣いている私は、毎日ストレスを解消しているということになるのだろうか。
しかしいろんなビジネスがあるものだ。
疑似不幸で涙を流しストレス解消してすっきりした、と言われても、今の私には他人の不幸を利用してるだけではないかと、複雑な気分だった。
昨日は、東京の事務所をたたみ、今度引っ越すところに移転するという、引っ越し第一弾だった。。
何しろ部屋が多いから、十分荷物は入るだろう。
・・・・と思っているのだが、いざ運び出すとワゴンが一杯になった。
片づけは、引っ越し片づけ隊(甥とその友達)が、とてもよく働いてくれて、私は結局うろうろとしているだけだった。
今度は片づけるのが大変。
一応、ゴミは相当捨てたが、まだまだ細かいものがあるので、新しいところでもまた捨てるものが出てきそう。
元の形にするのが大変そう。
あんな小さな事務所でも大変だったのだから、自宅だったらどうなるだろう。
逃げ出したい気分。
引越を辞めようかとも思ってしまう。
荷物がすべてなくなった部屋。
10階なので景色はよく、広々としている。
10年住んだので懐かしい風景。
東京ドームの白い屋根。
ジェットコースターから聞こえる声。
もう少し広かったら、こちらに引っ越してきているが、なにしろ1Kだから無理。
郷愁に浸っている暇はない。
引越第2弾という、本番がせまっているのだから。
引越に向けて片づけをはじめる
机のひきだしからとりかかったのだが
整理整頓がよくないので
いろいろなものがぎっしり
昔の懐かしい友達の年賀状がでてくる
奥の方にピンクの箱があった
これはもしかしたら・・・
そう、あの人からの手紙が入っている箱
まだメールなどない時代の
高校生の時付き合っていた人からの手紙
東京にでてきてから、私たちはなぜか
いつのまにか疎遠になってしまったので
これは楽しかった時の思い出箱
他の手紙の類はすてたけれど
これは持っていこう
思い出はすこしだけ持っていけばいい
今日は一歩も外へでていなかった
昨日眠れなくて4時ころまで、うだうだしていたせいか、
朝からずっとソファーでうたたね。
外の空気にあたりに庭へ出る。
ちょっぴり冷たい風。
梅は満開で、都忘れの葉の色もこくなってきた。
高野槇の枝が風にゆれる
父と母が旅立った家。
私ももうじきここを去る。
「さよなら」と庭に向かって言う。
昨日聞いた歌ではないけれど、
「サヨナラ」に「さよなら」をして
歩き出さなければならない
でも今はまだ・・・・・
涙がこぼれるだけ・・・・
私が下を向いて歩いていたり、涙で目がくもっていたりしていても、
確実に春は来ていた。
椿の蕾がうっすらと
はにかむようにピンクにそまり
春の知らせをもってきた
そして暖かい日が続いたので
梅も満開!
春がくれば引っ越し間近
新しい季節を新しい場所で
私は歩き出す
昨夜、相変わらず眠れなくて午前2時頃まで起きていた。
時々聞くラジオ深夜便(NHK)、これがなかなか面白い。
落語をやったり、いろいろな人のインタビューがあったり、NHKの朝ドラの主題歌集があったりで、つい聞いてしまって、余計眠れなくなってしまう。
昨日は童謡の特集だった。
音羽ゆりかご会の創設者の孫にあたる方がナビゲーターをしていて、童謡特集だった。
途中からだったので「歌を忘れたカナリヤ」と「かえるの合唱(?)」「蛍の光」だった。
私は学校で歌った記憶はないのだが、何故か知っている。
その歌を解説してくれるのだが、たとえば「歌を忘れたカナリヤ」は本当は恐ろしい童謡なのだ。
歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す
山にすてたり、藪に埋めたり、鞭でぶったりというのが子供の発想で、それはだめですよと母親がほかの解決方法を教えてくれるという、子供の気持ちを素直に認めた歌だそうだ。
歌は昔の童謡歌手の人が歌っていたので古い録音だと思う。
そして正式な題名は「カナリヤ」だった。
そんなのを聞いていたら、もう午前3時ちかくなり、新聞の配達のバイク音をきくことになってしまった。
そしてやはり朝は起きられなかった。
昨夜は7時過ぎから立て続けに人が来た。
まずは新聞の集金。
この人は郷里が母と同じなので、来るたびによく話し込んでいた。
母の死を告げると、お線香をあげたいといってくれた。
何かながいこと手を合わせてくれていた。
この間はクリーニング屋さんがお線香をあげていってくれた。
母はよく、こういう人たちと立ち話だけど、話していることが多かった。
次に来たのは、葬儀屋さん。
返礼がすべて済んだので集金に。
ここの葬儀屋さんは、父の葬式の時からの付き合いだが、細かいところまで気をくばってくれて、葬儀以外のことでも、何でも教えてくれるので頼りになる。
最後は宅配便。
まだソファーも買っていないのに、クッションだけバーゲンをやっていたので土曜日に買ってしまったのだ。
カバーだけでなく、中味も入れてもらったので、軽いけれど4個はとても持って帰れない。
そこで一番遅い時間に宅配を頼んだのだ。
いつもうちにくるヤマト便の人なので、こちらも顔見知り。
長年すんでいると、ご近所だけでなくいろいろな人と関わりを持つことが多い。
私は朝から仕事に出かけ、夜しか帰らないけれど、母は一日中いてこういう人たちと、たわいもない会話をしていたのだなと思う。
昨日は、そんな母を思い出す人たちに会い、一人になってからは大泣きだった。
まだまだ、心のリハビリが進んでいないな。
でもこの家とももうすぐお別れ。
まだこのまま一人でいるとさびしくて涙が出てくる。
どちらにしろ、引っ越しても一人だけれど、生活が変われば気持ちも変わるだろう。
今度の引っ越しに伴い、東京の事務所もたたむことにした。
そして自宅兼事務所にしようかと思う。
部屋が広いので、PC1台あれば十分仕事ができる。
そこで昨日、弟と甥と3人で、とりあえず事務所の荷造りをしに行った。
ワンルームだし、パソコンと机だけと思っていたが、書類や資料が結構あったりして、なんとなく片付いたのは4時30分を過ぎていた。
あとは当日レンタカーを借りて、甥の友達も助っ人で雇って引っ越すことにした。
この部屋には2年くらいしかいなかったし、事務所として使っていたのできれいではあるし、荷物も少ないと思っていたが、なんだかわからないものもあったりして、大変だった。
この部屋で1日かかるのだから、家のほうの引っ越しはいったいどうなるのだろう。
今から頭が痛い。
あ、私が声を出して笑っている
暖かな心の友人たちの
たわいもない話の中で
声を出して笑っている
もうすっかり忘れていた笑い声
飲み会に誘われて
気遣ってくれながらも
楽しく場をもりあげてくれて
それもごく自然に
ありがとう 大切な友達たち
私はひとりじゃないと感じているから
少しずつ元の生活にもどっていくよ