『 赤の思い出 』
ロシアの侵略を見ていて、逆に穏やかだった米軍の進駐の時を思い出した。
もちろん戦争は終結してからの占領軍の進駐だから今のロシアの様相とは
比較にはならないが、その進駐してきた日の朝の光景は忘れられない。
ジープと軍用トラックの隊列はとても格好良く、カーキ色の流れは堂々シズシズ
と我が町へ入ってきた。そこには恐れも混乱もなかた。
戦争は終わっていたとはいうものの、米兵に対する恐れよりも好奇心の方が強かった。
銃を打ちながら攻め込んでくるロシア人に対してウクライナの住民はどんなに恐ろしい
だろうか。まさに胸が痛くなる思いである。
私が初めて米兵を見たのは疎開先の会津若松であった。格好良く礼儀は正しく明るい若者
ばかりだった。やがて家にまで遊びに来る兵隊が何人も出来た。
ジープで乗り付けてくる彼等に好感を覚えた。よく兄と私にはチョコやガムを、両親には
軍の缶ビールやスープを持ってきたものだ。あのチョコのハーシーの味と香りは忘れられない。
今でもチョコは明治もロッテも良いけどやはりハーシーが一番だと思っている。
やがてうちの家族が東京へ戻ってからも、東京の家までよく遊びに来ていた。
本当に明るく親切なやさしい兵士達だった。
あとで聞いたのだが、もし日本で暴動とか革命が起きるとすれば、西の方と九州だろう、
保守的な東北ではまずないだろうと読んでいて、特に会津などにはワシントン州の
ハイスクール出身の部隊を当てたそうだ。
大人になって九州の人に聞いたのだが、九州に来た彼等は気が荒く酒に酔っては銃を乱射
するなど、事件が多く住民は恐ろしくて大変だったという。
彼等は米国の中でも、カナダ辺りの山奥の木こりなどで編成された部隊で、字もよく書か
ない兵士が多かったそうだが本当だったのだろうか。
ロシア兵の残虐振りを見ていて、ふとそんな子供の頃を思い出した訳である。
ゴミ箱に長い足を組んで腰掛けて、群がって来た子供達にアメやチョコをやっている姿と、
それを恥ずかしそうに貰って居る自分の姿が浮かんできた。