誰かがしないと、でも誰でもできる… 2021-08-06 09:58:00 | 日記 ケアの価値づけ=給与とすると問題となるのが「しんどい」労働である…同じことの繰り返しだったり、感情労働だったり、汚かったり、体力勝負だったり、長時間だったり、…にも関わらず出来栄えを気にしなければ「誰にでもできる」活動だ…ということだ。ここが本当に難しい。誰にでもそれなりにできなければ、人類はここまで繁栄できなかった。今日一日
タイトル 2021-08-06 09:52:00 | 日記 p111にして、タイトルが出現しました。ちょっと感動。秀逸だと思います。私は子どもを産んで、これにリアルに直面しました。泣く子どもを抱えながら、「まって、まって、ちょっとまって。これ、どうすんねん?」一番近くにいた旦那さんはまさにwho cares?でした。というか、テキストにも書いていたように「気にしなくてもすむ特権階級」でした。そしてこれは、本人の意志とは無関係なんです。こぼした味噌汁は、誰かが拭かなければ、翌日も翌々日もカピカピになってそこにありゴミはあふれ洗濯物はたまりトイレはよごれるWho cares?ケアの価値を決める人は、ケアをしない人。今日一日
who cares? 2021-08-06 09:45:00 | ケアするのは誰か? …既存の政治、既存の社会の中心が、特権的に、ケア活動に関心がなく、担わなくてもよく、「自分が知ったことではないWho Cares?」と誰かにケアを押しつけておくことのできる者たちの無責任さに覆われていることに、否応なくわたしたちは気づくことになる。 日時2021年8月15日(日)14:00〜16:00場所NPO法人ガジュマルの船事務所およびオンライン(zoom)内容AAの「12のステップ12の伝統」を読んでシェアします。
p110 2021-08-06 09:40:00 | ケアするのは誰か? わたしたちの社会が何に価値をおいているのかを明らかにし、他方で、社会的な評価を与えないどころか時にその価値を貶めながらも、誰かが担わないといけないとされる活動が存在し、そして実際にその活動を担っているひとがいることに気づかされる… 日時2021年8月15日(日)14:00〜16:00場所NPO法人ガジュマルの船事務所およびオンライン(zoom)内容AAの「12のステップ12の伝統」を読んでシェアします。