日経エコロミーをチェックしていて、呆然とした。再びマエキタミヤコさんが、連載コラムの中で
「
アドボカシーに実効性はあるのか?」と題して、
日本版ホワイトバンドに触れ、
「
ほっとけない世界のまずしさ(ホワイトバンド)」はそれまでの貧困解消運動を「チャリティからアドボカシーへ」大きくシフトさせた画期的なキャンペーンでした。
とおっしゃっており、
アドボカシーを根付かせ、世界を貧困から救ったのは、あたかも「
ほっとけない日本の貧しさ」(=日本版ホワイトバンド)である、といいたいように見受けられる。
何度も言うように、マエキタさんは、時代の雰囲気を掴み、それを切りとり、伝えること、そしてメディアをまきこむことに長けた優秀なクリエーターだ。
それだけに日本版ホワイトバンドへ批判の本質を理解せずして、全く的外れな反論や論理のすり替えを繰り返す姿勢が、私は残念でならない。
ここでいわゆる「
日本版ホワイトバンド」はなぜ批判されているか再び整理する。
(世界中のホワイトバンド活動と区別する意味で、「日本版ホワイトバンド」=「ほっとけない世界のまずしさ」と書いている)
■活動の目的や
ホワイトバンド売上金の使途などの不明確さ
■実際に仕切っていたのがPR会社であること
■「政策提案」と「その支持収集」が本来の目的だ、ということが、テレビコマーシャルやその他の宣伝活動内で十分に説明されていなかった。むしろ誤解を生むような表現だった。
■
ホワイトバンドの価格が他国の同活動の約3倍(Tシャツも同様)。
■「意思を表明するのは、日本で販売されている"ホワイトバンド"ではなく、身近にある白い布や白いひもでもよい」とされていることに対しての説明が当初よりなされなかった。
■「活動費用として使われたお金については、独立した監査人に監査を依頼する予定」とあるものの、その予定が実行に移されていない。(もしくは公表されていない)
■「日本版ホワイトバンド」が行った「政策提案」とその成果についての具体的な報告が十分になされていない。
繰り返しになるが、「日本版ホワイトバンド批判」は、説明が足りなかったり、資金の使途が不明瞭なことが批判されているのだ。
決してアドボカシーが理解されていないために起こったのではない。
また今回マエキタさんがコラムの中でホワイトバンドの成果として披露した内容は世界的活動の成果であり、その中で日本版ホワイトバンドが果たした役割や「日本版ホワイトバンド」が行った政策提言や具体的成果については依然として述べられていない。
もしマエキタさんが、「ほっとけない日本の貧しさ」=日本版ホワイトバンドへの批判に反論したいのであれば、売上金の使途を含む、日本版ホワイトバンドが実際に批判されている内容にこたえるのが合理的だと思う。
しかし、コラムの中では、上記の問題については全く触れられていない。
ちなみに、2005年に開催された
G8(主要国首脳会議)の場で発表された日本政府のODA(政府開発援助)への増額に対して、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン実行委員会」のウェブサイトにおいては、『政府内部からは「この増額は、GCAP(「グローバルな貧困根絶キャンペーン)への回答である」というコメントがキャンペーンに届けられている』との内容の記述がされている。
しかし「日本政府(各関係省庁や関係省庁の閣僚、および与党自由民主党の国会議員に対して、「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン実行委員会」や、委員会が支援するとされるNPOから援助政策の変更要求が行われた結果、上記のようなODA増額が行われた」と言う事実は確認されていない。
また、上記のサイト内において記述されている、「政府内部」とは、具体的に日本政府のどの組織の、どのような地位の人物によるものなのかはまったく記されていない。
また会計監査についても、「
ほっとけない世界の貧しさ」のHPでも永遠に「これから監査をうけます」と書いてあるのみ。ふう。
話を本題にもどすね。
もし、単純にアドボカシーについて啓発したいのであれば、
「ほっとけない世界のまずしさ」(=日本版ホワイトバンド)を持ち出すべきではないだろう。
日本でも世界でも着実に根付いている各NPO・NGOのアドボカシー活動を切り開いたのは「ほっとけない世界の貧しさ」=日本版ホワイトバンドでは決してない。
今回のコラムのような認識をもし本当に持っているとしたら、それは無神経を通り越して傲慢ですらある。
多くの関係者は、当時批判を真摯に受け止めて、その教訓のにもどづいて、前に進んでいることを私は信じたい。
関わった人の中でも、言い訳をしながら、その場所に立ち止まる人と、そこから前に進む人は大きな違いがある。
実際、ある意味利用されてしまった著名人の方たちの中には、自ら社会貢献活動をされている方がたくさんおられる。利用されたことに腹を立てて終わるのではなく、自ら新しい活動をはじめる、
このような方々の建設的思考には感動し、学ぶことは多い。