先日、義母が同級会に出席するために新潟県の湯沢に行ってきました
そしてお土産は・・・“ちまき”
この形、これが2枚の笹の葉でできているなんて・・・
中には入っているもち米は茹でても出てきません!しっかり納まっています!!
“ちまき”をご存知ですか? “ちまき”を食べたことがありますか?
“ちまき”とは、もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、
ササの葉で巻き、イグサで縛った食品
ササの葉ごと蒸したり茹でて加熱し、ササの葉を剥いて食べる
もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった とのこと
私たちは結婚後間もなく北海道に転勤になりました
そして、北海道で二人の子供が産まれました
下の子が生まれて半年ほどした初夏の頃に、子供たちの顔を見に夫の両親が北海道に遊びに来てくれました
北海道は初めてだということで、義父母を観光に連れて行きました
支笏湖に行った時に、立派なクマ笹の葉がたくさんありました
その葉を採って帰った義母が、娘の為に“ちまき”を作って送ってくれました
たくさん送ってくれた“ちまき”は、水をはった容器に入れてベランダに置きました
初めての“ちまき”はとても美味しかった
お昼に娘と毎日食べたことを懐かしく思い出します。
今思うと水をはった容器に入れたまま外に置いたことも驚きです
昔から“ちまき”は保存食の一つだったのだと思います
新潟には“笹あめ”というのもありました
“くま笹”は強い生命力と繁殖力を持ち、抗菌力が高い
私はその後、夫の実家に遊びに行った時に、“ちまき”を作ることも体験できました
義母が新潟から笹の葉とイグサを取り寄せてくれたのです
2枚の葉を三角形(手の中でロートのよう)に持ち、水に浸していたもち米を半分位入れてきちんと三角形になるように折り
それをイグサで結んで、茹でると“ちまき”の出来上がりです
今では、笹の葉とイグサを手に入れることが大変なのだと義母は言っていたのを思い出します
それから二十数年が経って、またそれをいただけるなどとは夢にも思っていませんでした
今では家庭で作るというよりもお土産用として売られているのかもしれません
美味しくて懐かしいお土産に感謝しました!!
もうすでに実家のない義母にとっては、同級会以外帰省することはなくなっていますが、
郷里での何年ぶりかの81歳の同級会はどんなものだったのだろう
仲良しの友人が近くに住んでいていつも電話をもらいます
今回も電話をいただき、当日も同行してくれるという
それぞれに新幹線のチケットを購入するということで、義母の依頼通りにチケットを購入しようとしたところ・・・
兄弟の多いTさんは、年間何度も帰省しているということで、慣れたもの
新幹線は自由席で行くという
普段でも《電車はグリーン車に乗る》義父母にとっては驚きそのもの
義父は義母に「指定席にした方がいい」という
義母も「そうね」という
二人の話を聞いていて私は何という会話をしているのかと思い
「Tさんは、自由席でお義母さんが指定席だったら一緒に行くのと違いますよ」
義母は「そうね・・・」(・・;)
義父「Tさんの分まで指定席を買ったらいいじゃないか」
ちょっと驚きの会話になってしまっている
義母を見ていると優秀な人だと思うのに、全く自分で考えない・・・
いえ、長い義父との生活の中で考えることをやめてしまったという感じ
いつも義父のいう通り
実のお姉さんが亡くなった時も、義父が義母の体を心配して「行かなくていい」というとそれに従ったくらい
その時も私がお節介にも強引に連れて行った
義母は歩かないために筋肉がなくなり腰が痛い・・・お医者さんの言う通りに運動したら自然に歩けるようになるはず
それも“病気”だと二人は思っているので安静にしている
でも大好きなデパートには積極的に行き、いくらでも歩いている
夫も最近はこの両親のことを「(年だから)しかたがない」と半ばあきらめている
毎日、電気をつけるようにエアコンを点け、
病院通い以外ほとんど外に出ることはない、もちろん出かける時はタクシー
そんな“快適な”生活をしているので、介護カー(補助車)がなければ歩かない
義母は歩けないのではなくて、介護カーなしでは歩こうとしないだけではないかと私は思っている
今回も元気な同級生Tさんに支えてもらって同級会に参加することができた
自分の足で何の不自由もなく歩く同級生を見てどんなふうに思ったのだろうか?
そして現地では亡くなっている同級生のお墓参りもしたとのこと
小高い山の上に行くことができないということで一人だけ登らず、お参りをしてきた同級生を下で待っていたとか
同じ年の幹事さんは、懐かしい友人と温泉に入ったり(義母は温泉に行っても温泉にも入らない)食事ができる旅館も手配してくれた
いつも、少しで良いから足腰を鍛えるために歩くように勧めると「私の年になったらわかる」と言われると何も言えない私
そんな元気な同級生を見て、どんなふうに思うのか義母に聞いてみたかったけれど聞けなかった
日ごろのほんの少しの努力で、同級生と同じように動けたはずなのに・・・
それ以降も同じようにエアコンの効いた涼しい部屋で義父と二人で静かに過ごしている
全く何も感じなかったのかと残念でたまらない
《歩いて欲しい》のは(介護する)私の為ではなく自分の為ですよ!!と声を大にして言いたい
26℃くらいの気温でもエアコンの室外器が動いていると、除湿なのか?何度に設定しているのかと思う
冬になると温室のように温めている部屋、どう考えてみてもわからない (-。-;)
私の頭の中は混乱している
少しは窓を開けはなし、良い汗をかいてもいいのでは・・・いえ、汗はかかないといけない!と信じている
昔から義父母は生活を快適にするために工夫することが多くて、同居した当初は「素晴らしい!!」といつも感激していた
今はその工夫が“快適”ではなく、“楽”をするためのものに変わっていて、どんどん楽をする工夫があちらこちらにみえる
夫は「しょうがないんじゃない」という
私だって年老いた両親には“楽”をさせてあげようと思うけど・・・自ら“楽”をしているのなら私がやることは何もないと思ってしまうのです
お節介な私は家族の誰のことも気になってしかたがない
手を出したい! 何かをしてあげたい!
そんな気持ちがあるのに、何もしないのはとてもストレスなのです
庭では、待ちに待ったアガパンサスが咲き始めました
昨年頂いたもので、3本の花芽が出ています
大好きな花の一つです
前々回アップした“はまゆう”、アガパンサスと花芽が伸びるところも蕾の形もよく似ているのでもう一度登場してもらった =^-^=
アガパンサスの色もそうですが、このルリマツリの花の色が大好きです
また今年もたくさんの蕾ができています
雨模様の日が多くて気に入った写真が撮れないのが残念です (^○^)
そしてお土産は・・・“ちまき”
この形、これが2枚の笹の葉でできているなんて・・・
中には入っているもち米は茹でても出てきません!しっかり納まっています!!
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“ちまき”をご存知ですか? “ちまき”を食べたことがありますか?
“ちまき”とは、もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、
ササの葉で巻き、イグサで縛った食品
ササの葉ごと蒸したり茹でて加熱し、ササの葉を剥いて食べる
もともと中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった とのこと
私たちは結婚後間もなく北海道に転勤になりました
そして、北海道で二人の子供が産まれました
下の子が生まれて半年ほどした初夏の頃に、子供たちの顔を見に夫の両親が北海道に遊びに来てくれました
北海道は初めてだということで、義父母を観光に連れて行きました
支笏湖に行った時に、立派なクマ笹の葉がたくさんありました
その葉を採って帰った義母が、娘の為に“ちまき”を作って送ってくれました
たくさん送ってくれた“ちまき”は、水をはった容器に入れてベランダに置きました
初めての“ちまき”はとても美味しかった
お昼に娘と毎日食べたことを懐かしく思い出します。
今思うと水をはった容器に入れたまま外に置いたことも驚きです
昔から“ちまき”は保存食の一つだったのだと思います
新潟には“笹あめ”というのもありました
“くま笹”は強い生命力と繁殖力を持ち、抗菌力が高い
私はその後、夫の実家に遊びに行った時に、“ちまき”を作ることも体験できました
義母が新潟から笹の葉とイグサを取り寄せてくれたのです
2枚の葉を三角形(手の中でロートのよう)に持ち、水に浸していたもち米を半分位入れてきちんと三角形になるように折り
それをイグサで結んで、茹でると“ちまき”の出来上がりです
今では、笹の葉とイグサを手に入れることが大変なのだと義母は言っていたのを思い出します
それから二十数年が経って、またそれをいただけるなどとは夢にも思っていませんでした
今では家庭で作るというよりもお土産用として売られているのかもしれません
美味しくて懐かしいお土産に感謝しました!!
もうすでに実家のない義母にとっては、同級会以外帰省することはなくなっていますが、
郷里での何年ぶりかの81歳の同級会はどんなものだったのだろう
仲良しの友人が近くに住んでいていつも電話をもらいます
今回も電話をいただき、当日も同行してくれるという
それぞれに新幹線のチケットを購入するということで、義母の依頼通りにチケットを購入しようとしたところ・・・
兄弟の多いTさんは、年間何度も帰省しているということで、慣れたもの
新幹線は自由席で行くという
普段でも《電車はグリーン車に乗る》義父母にとっては驚きそのもの
義父は義母に「指定席にした方がいい」という
義母も「そうね」という
二人の話を聞いていて私は何という会話をしているのかと思い
「Tさんは、自由席でお義母さんが指定席だったら一緒に行くのと違いますよ」
義母は「そうね・・・」(・・;)
義父「Tさんの分まで指定席を買ったらいいじゃないか」
ちょっと驚きの会話になってしまっている
義母を見ていると優秀な人だと思うのに、全く自分で考えない・・・
いえ、長い義父との生活の中で考えることをやめてしまったという感じ
いつも義父のいう通り
実のお姉さんが亡くなった時も、義父が義母の体を心配して「行かなくていい」というとそれに従ったくらい
その時も私がお節介にも強引に連れて行った
義母は歩かないために筋肉がなくなり腰が痛い・・・お医者さんの言う通りに運動したら自然に歩けるようになるはず
それも“病気”だと二人は思っているので安静にしている
でも大好きなデパートには積極的に行き、いくらでも歩いている
夫も最近はこの両親のことを「(年だから)しかたがない」と半ばあきらめている
毎日、電気をつけるようにエアコンを点け、
病院通い以外ほとんど外に出ることはない、もちろん出かける時はタクシー
そんな“快適な”生活をしているので、介護カー(補助車)がなければ歩かない
義母は歩けないのではなくて、介護カーなしでは歩こうとしないだけではないかと私は思っている
今回も元気な同級生Tさんに支えてもらって同級会に参加することができた
自分の足で何の不自由もなく歩く同級生を見てどんなふうに思ったのだろうか?
そして現地では亡くなっている同級生のお墓参りもしたとのこと
小高い山の上に行くことができないということで一人だけ登らず、お参りをしてきた同級生を下で待っていたとか
同じ年の幹事さんは、懐かしい友人と温泉に入ったり(義母は温泉に行っても温泉にも入らない)食事ができる旅館も手配してくれた
いつも、少しで良いから足腰を鍛えるために歩くように勧めると「私の年になったらわかる」と言われると何も言えない私
そんな元気な同級生を見て、どんなふうに思うのか義母に聞いてみたかったけれど聞けなかった
日ごろのほんの少しの努力で、同級生と同じように動けたはずなのに・・・
それ以降も同じようにエアコンの効いた涼しい部屋で義父と二人で静かに過ごしている
全く何も感じなかったのかと残念でたまらない
《歩いて欲しい》のは(介護する)私の為ではなく自分の為ですよ!!と声を大にして言いたい
26℃くらいの気温でもエアコンの室外器が動いていると、除湿なのか?何度に設定しているのかと思う
冬になると温室のように温めている部屋、どう考えてみてもわからない (-。-;)
私の頭の中は混乱している
少しは窓を開けはなし、良い汗をかいてもいいのでは・・・いえ、汗はかかないといけない!と信じている
昔から義父母は生活を快適にするために工夫することが多くて、同居した当初は「素晴らしい!!」といつも感激していた
今はその工夫が“快適”ではなく、“楽”をするためのものに変わっていて、どんどん楽をする工夫があちらこちらにみえる
夫は「しょうがないんじゃない」という
私だって年老いた両親には“楽”をさせてあげようと思うけど・・・自ら“楽”をしているのなら私がやることは何もないと思ってしまうのです
お節介な私は家族の誰のことも気になってしかたがない
手を出したい! 何かをしてあげたい!
そんな気持ちがあるのに、何もしないのはとてもストレスなのです
庭では、待ちに待ったアガパンサスが咲き始めました
昨年頂いたもので、3本の花芽が出ています
大好きな花の一つです
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前々回アップした“はまゆう”、アガパンサスと花芽が伸びるところも蕾の形もよく似ているのでもう一度登場してもらった =^-^=
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アガパンサスの色もそうですが、このルリマツリの花の色が大好きです
また今年もたくさんの蕾ができています
雨模様の日が多くて気に入った写真が撮れないのが残念です (^○^)
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