marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕<休息>川端康成「雪国」の草稿案原稿の発見?!

2022-04-06 12:25:52 | 小説

 ”国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。・・・” 

◆雪国に住んで、冬、夜の列車にも乗ったことがある僕はこの冒頭が好きだった。「雪国」の最後は、主人公の島村が天の川を見上げる場面で終わっているが、このたび見つかった川端康成の「雪国」の結末は「狂った葉子は、駒子を思い、島村を殺した」!と、なるかも知れなかったと、そういう草稿案メモであったというのである。こう言う結末だと、高校の教科書には載らないのではなかったか。どうだろうか。しかし、そうでなくとも島村との再会とのやりとりの部分は、全文読めば生徒には知られてはいけないようなちょと色物だから。理系の方に進もうとしている僕にとっては、かったるくて仕方がなかったのだが、雪国に住んでいる僕にとっては、川端康成の教科書に載った部分のみ、島村が列車の中での葉子を見ながら窓に映る夜の外の情景はよくわかったし、当時の蒸気機関列車の夜の風景とダブらせながら文章を運んで行く様は、うまいなぁ、と思ったのだった。「雪国」はよく芝居にもなっていたな。

◆しかし、内容は同じく僕にとってはかったるかった、というより異性については思うことを強いて否定したきていたことからなのだろうと今では思われる。心理的反抗期か性的には関心があっても実際は異性との交渉どころか苦しいという感じで疾風怒濤の時代だった。ノーベル賞は、情景描写のうまさということになるのだろうか。そういう僕も、年取ってからの心の変化というか、生活臭から離れた男女間の心情のやり取りというのは、お互い、特に男は実際から離れた男女間の心のやりとり観念を勝手に遊ぶものなのだろうと思ったりする。現実に生きる人の生き様は小説より胸を打つのではないかと、掲載の新聞の切り取りを文庫本に挟んでいた。あの時代とその人の年齢とか立場とか・・・。

『小高さんは1915年(大正4年)11月23日、同市の生まれ。10歳の頃から新潟県長岡市や「雪国」の舞台となった同県湯沢町の置屋で「松栄」の名で芸者として働いていた。川端が初めて湯沢を訪れたのは34年の冬。川端は高半旅館(現・雪国の宿高半)に宿泊し、当時19歳だったキクさんが呼ばれ、酒の相手をした。川端は36年まで、湯沢を訪れるたびに高半旅館の二階の「かすみの間」に泊まり、キクさんを電話で呼び出したという。キクさんは40年、24の時に芸者をやめた。湯沢町の神社で川端にもらった原稿や本をすべて焼き捨てて三条市へ帰り、小高久雄さんと結婚。以降、和服仕立て屋の女将として暮らした。その後、川端との交流はなかったが、川端がノーベル賞を受けたのを聞き「あの人も世界の先生になりよございましたの」と越後なまりで答えたという。亡くなる間際、「最後は静かに送ってくれ」との遺言があり、葬儀・告別式は三条市内で親族のみで営まれた。』

◆作家というのは、なにがしかの偶像をもってそれに、言葉を紡いでいくものなのだろう。短い言葉で的確に、表現されているか、あるいは、情景描写や心理描写が言葉すくなに暗示されているかなど・・・。川端は、女性に対する淡い観念的なイメージをずぅうと引きずっている作家だった。それが、途絶えたとき、彼は自分から今生での生をやめたのだった。・・・


世界のベストセラーを読む(922回)親愛なるMへの手紙(その1)

2021-09-18 20:35:05 | 小説

◆親愛なるMへ ご無沙汰です。ブログ1000回になったら残りある人生の新たなるスタートをしようと思っているが、ブランクができたけど記録は載せていなかっただけで、それを続けて送ることにします。

みなさん元気でおすごしでしょうか。こちらは朝方、だいぶ肌寒くなりました。コロナ禍いろいろ変種が出て来て治まりませんね。いつも健康でいられうように祈っています。これから忙しい時期ですので一つの生き方の哲学也をしっかり持って、よく話あいをしてこれからの人生計画をしていたでければと願います。「蛇のように聡く、鳩のように素直に」とは、聖書にある言葉ですが、貴殿は蛇歳ですから、それにKさんも計算には強いでしょうから問題ないかと思いますが、第一には健康に留意されて、これが基本ですから、日々、元気にすごされますことを願っています。ところで、8月22日に礼拝で小生が話をしました。前回、話した内容は手紙で送ったかと思いますが、長々と書くのはボケ防止のためとご了解ください。(次回の続で)しかしながら、宗教オタクとして小生は、これは、生まれてから人生をかけての課題でもあるわけで、一生かけてその課題を小生はこれをライフワークとしているのです。これはなぜかと言えば、誕生から与えられていたものですね。宿題として。実に後ろ向きになるような話ですが、思えば人生など100年生きてもわずかなもので、さらなる長い永遠の命がある・・・と大層なことを思わせられているのです。学者でもないのに教えるられることは誰にでもあるもので、まさにそれがこの地上にあなたは一人であるという証拠にもなったわけで、人格や人権ということがキリスト教から出てきたわけです。親と言えども先の時代に生きて来ただけで、自分の子供にこのようにお話できることは感謝なことです。ただ、普通の親は普段の会話で人生をすごすでしょうが、貴殿も知っているように、欠陥のある親父は特殊という例外に入るでしょうか。しかし、その例外は通常の生活への覚醒、目覚めさせるものであるということの自覚はあるのです。昔の預言者が突飛なことを掲示し、しかも実に大切にことであったにもかかわらず、誰からも相手にされず困窮を極めたが、啓示を受けた人には何を言われたのかが分かったように。


世界のベストセラーを読む(911回)僕らのあの時代・・・Mの日記から

2021-09-05 18:06:06 | 小説

(Mの日記から抜粋)◆雄が雌に対して、特に繁殖期、性的イメージを持つことは、動物として当然の成り行きである。・・・とまぁ、客観的に述べられるのは、僕が歳をかなりとってきたからなのであって、若いことの欲動?なるものは、不可思議な思考の対象事となる。吉本隆明や岸田秀や栗本慎一郎とか浅田彰なる思考を云々する時代で、幻想論なるものがあって、まずは訳分からぬも思考に重きをおいて、まずは自分探しの土台を強化しようと偉ぶっていた。アウトサイダーやアウトローや何某かの発散の思考を躍起にぶっ放していた時代だったように思える。肉体の欲求を正直に発露する、それが商売になるそんな時代。

◆1960年代のこの国にの高度成長期などには、不思議な目に見えるような動きが実際に沢山あった。ずうーと上り坂の不思議な時代だったように思う。1970年代には学生運動も、それからウーマンリブなどもあからさまにあって、人の内面の「何故?」が、陽明学のように実行にならなければ考えてもいないことと同じなのだ、という鬱憤が日本を世界を取り巻いていた。ベトナム戦争もそうだし、あからさまにイデオロギーなる言論によって人は一つの方向性を持たなくていけないのだと躍起になっていたように思われる。アメリカ合衆国誕生から、それはキリスト教から起こった哲学、プラグマティズムは実に目的志向型の考えで、それは結局、非常に前頭葉を使う考えであったように思うがビンビン頭には響いた。それが経済に転用されると人命までもが手段となってくる危険なものとなりそうだった。イージーライダー:1960年代アメリカンバイク・ハーレーに乗ってルート66を走って見たい物だと思ったりしたものだ(映画は南部であったけど)。いずれ僕らは、自分たちのエネルギーのはけ口をもとめて躍起になっていたものだ。ウッドストック。。。

◆1000回目指してスパートをかける。到達したら次の世界に出発する。その準備に4000冊以上はある書棚(あったからといってどうというものでもないのだが)の整理をしていた。僕はやたらと整理しないで読み終わると無造作にどんどん本棚にあちこち詰め込むので、ジャンルわけでも大変だ。・・・で、18歳のころに書いつづっていたノートを見つけた。茶色のノート、青色のノート、当時から僕は大江健三郎やカミュやキィルケゴールを読んでいた。いずれ、当時の僕は自分の存在をなぜかとても憎んでいたのだ。次回、そのキィエルケゴールの手記を茶ノートに書いていた記事を見つけてので書いてみたい。


世界のベストセラーを読む(910回)インナートリップ:Uとの会話

2021-09-04 08:08:08 | 小説

◆昨日の表題の答えが書かれていなかった。結論、「地球人」が「宇宙人」と呼ばれるのは、宇宙をあちこと旅ができるようになってからだねぇ。しかし、宇宙は途轍もなく広い。周期的に起こる空間の波の動きが、起こることを知りその揺らぎが接近した時に、時空を飛び越えるなどということを理解し実際に検証しそのような乗り物を作るまでに、地球は壊れるかもしれないけれど。

◆あなた方に介在した我々の歴史は、前進するためには、と言えばいいか、現状そのことを過去のこととしても相対的に冷静に考察できないと思われた時は、破壊しなければならない、否、ならなかった。それは、古代の遺跡にみることができる。無論、多くは地球上の自然災害で破壊したし、人為的に破壊させたものある。その多くは、古代には我々はこの地上に来ていたということ。さらには、今も普段の人としてそのDNAを持ち続けて生存している。我々の思いは、実体としてこの地球に繁栄をして結果として完成に近づけなければならないという使命があるのだ。

◆あなた達の思いの反映は、いな、その逆、私たちの思いの反映があなたたち世界に現象として現れているのであるが、主体性という自由を、誰でもがどんな些細なことにおいても人は持とうとするものだ。排他性や優位性。どんな些細なことでも、それ以上の世界を知らなければ、相対的に自己を見つめることなどしない。そこでは、思考の障害となるものは何もない。ひとつの格言を取得したとして、実は長い歴史の中で、過去の誰かが考えて来たものだとしても、知らねばそのときあなたはトップランナーだ。ささやかな、自己肯定を持って、人々は生きているのである。

◆すべての生命へのシステムとして、そのプログラムを仕組んだのだ。多くの緩衝(あそび)というものを残して。そこに主体的自由を持たせるために。けれど、これが実に困難な事業だったと言える。・・・それは次回、話すことにしよう。・・・


世界のベストセラーを読む(909回)地球人も宇宙人👽の仲間入りをしようとしている

2021-09-03 09:09:09 | 小説

◆彼らは、僕らの中にいるので、特に区分はないのだけれど、彼らに言わせれば、地球という星を離れて他の星までの行き来ができて、初めて宇宙人と言われるそうだ。だから、地球が滅びれば、その上の人類やその他、すべての生き物は滅びてしまうと実にシンプルな情などない話。だから、まだ「アナ達は、地球人」と言う。彼らにしてみれば、万物の霊長、つまり動物の種の内で最も霊的存在なのだろうけれど、その意味を知らないとするならば、あなたたちが、チンパンジーやゴリラの世界を見て、彼らの集団社会もあるなどと思っているがごとくに、地球上に於いては所詮、地球が壊れていけば、それに順応して苦しんで壊れていくという存在なのだという、まあ、彼らにしてみれば地上の生き物として少し進化しているだけで、結局、子孫を残そうと躍起になっているが、その土台である舞台、つまり地球自体がなくなればどうするのか、というそっけない話。

◆「例えば、と」もう一人の顔長、つり目一重まぶたのつるんとした素肌の中性的な(彼あるいは、彼女)が、様々な電機、電子器機が世界中に張り巡らされたとして、おおもとの電気が遮断されたらどうするか、蓄電池も多く開発利用されるでしょうけれど、皆無になる前のようには行かないでしょう。それでも手放しでも、熱を出し続ける、しかも有機物には目にみえない危害を加える放射能に対しても、人工的に作り出してコントロールしきれているとは言えないでしょうと。何を言いたいのかといえば、インフラ(土台)が崩れれば芝居はできなくなるのだ、ということを言いたいらしいと理解した。・・・お断りしておくが、この方達は地球人と同じ顔をしている。男か女かわからない、僕は地球人の男だから、どちらかと言えば彼ら彼女は、女に見える、物静かな中性、しかも髪は長いが完全なおかっぱ頭というわけではなく、色は白髪に近い金髪だった。ふたりとも。

◆さらに、静かな微笑みのこれまた、どこから見ても僕にとっては美人だなと思える彼、または彼女がいうには、あなた達はテレパシーというもので会話ができないでしょうとさらに突っ込んできた。第一に、自分自身とも会話が実はできていない人が殆どなのですから、と。・・・そいうことを問われても、分からないと僕は応えて、寒さを感じて目が覚めた。一昨日の深夜1時半頃だった。