欧米の国々は「戦火を交えて撤退しても戦後の日本のように立ち上がるさねぇ、人がいる国と言うものは・・・そのきっかけの模範をちと進んでいる我らが見本を示してやればいいのさ、かつての日本のように精神的までもといわず、経済的には地下世界で詰まり媒介となるお金の面での動きはどうにでもなんるものなのさ。」・・・と思ったかどうか、この国はさにはあらん、古来からの精神性となる土台が異なって居たのである。DANが異なる、否、そんなことなど考えずに「革命だ、壊して建てるぞ!時間は掛かるが平静をとり戻すにつれうまくいくさなぁ」などとどの国も日本のようになると思っては大きな間違いなのであった。
それは紀元前の古代から大陸を渡って東へ東へと渡って来た彼らがいたからなのだね。・・・唐突に割り込むように話すのを怪訝な思いで・・・と言っても読んでいただくならどのような思いでも結構なのだが、古来からの”言葉の宗教”、それは旧約や新約の民はそうであった。彼らがこの国に古来来ていたのであることは何度も述べて来た。14000年も続いていた争いのない縄文時代に唐突に大陸から渡来、帰化してドラマを作り始める。いいやつも入れば自分の部族のことしか関挙げない奴らもいたわけだ。
多くの国がキリスト教と言えば今の世界のと思うが、古来、まさにキリストが誕生してから彼が示した教えは今も生きて動いているということなのである。古代のことだから耶蘇と書くと感じでいいかもしれないが。隣国ではまさに太平天国の乱とかあって、その素地となるキリスト教が(無論、多くの宗教が乱立していた隣国)古来からあって、それらが東の島国にまで影響を与えていなかったなどということは当得ていありえない。
生命の元であると思われた太陽を求めて東へ向かって彼らはこの島国に順次たどり着く。順次と言うのは、根は同じ神と言うものを信ずるその根底からの表層への現われの思考は部族間で異なっていたけれど、その志向は、自分らの国を持つことだったといのは変わらない。そもそもモーセがイスラエルの民を引き連れエジプトから大脱出する話も、当時のエジプトのファラオ、アメンホテプ4世だかが今までの多神教を捨て、唯一の太陽神を礼拝することに切り替えて国中の騒乱が起こってそれに乗じて脱出を図ったという話がある。
モーセは太陽神(そのものではなく生命なる天の星)の思いをこの島国まで運ぶきっかけを作ったのではなかったか。だから彼らはその後、国が分裂しても東へ向かったと言われる北イスラエル10部族は、この国について太陽の国旗を当然のごとく掲げているということになる。時代は現代に近くはなるが。モーセは山に登って石に刻んだ神の言葉を渡される時、待ちわびた祭司アロンが金の牛を神として作ってしまう。牛を神とするのは東に向かってインドにいすいた残党の残りであろうと言われる。
その根っこにあたるというのが、旧約聖書(彼らにとっては聖書である)を書き知らしめた東に離散した、この地球人類の行く末の背後の黒子達の礎をなしていたのである。無論、彼らは外見も一瞥不明で自身も気がついてはいない。その神の存在を知らしむべく、自らがその神にあしらわれる地上の出演者になっていることであった。
更にそのDANを遡ると、この地上に人を創造した唯一の神にまで至るというのである。しかし、この宗教の逆説は、この地上の人の思いの優位性などではなく、以上の人々の判断や考えは、背後にいる人類のプロデューサーが居られることの現実社会での実証物語であもあったということになる。
起源前から東に向いこの国が不思議にも統一して、宗教的にも古代兄は一見争いがないように見えるのは、そのDNAにおいて西の古来の出自の同じ創造の神を知っていたからなのである。だから、これからは時代を作るから政権を譲りわたして悪いようにせんからと地上の神に祭り上げてよいしょしておとなしくしてもらう、というのが彼らのやり方であったのだ。
つまりは人と言う生き物は、言葉で考え、自分の行動を意思決定するなどどういう生き物であるかということを知っていた黒子たち、その中でも人を創造した方を古い古い先祖伝来から知っていた言葉や文字を駆使する彼ら、神の言葉を操り、日々の生活で一杯だった民衆に神と言う畏れの念を持たせ、少し高い次元で神からのお達しと創作物語を語り聞かせるならば、文字を持たない民衆はその伝承者となるべくその願望に途方なく拡大されて多数に広範囲に伝達されるのであった。
そういう意味で八百万の神と言われる神々は中央政権の創作もあり、地方豪族をよいしょするために神々としたものもあり、古来からの人手ではない、食を与えるあるいは、手には負えない災害をなす自然であったりするのである。いずれ、部族の長に神の言葉を伝える預言者はその働きから山に入り修験者になるか、人が通常は無しえない動物の解体や、死人の処理などやその他、所謂嫌われごとをおこなう担当を請け負った。税の免除もおこななわれるほどの特権者だった。まさに神人(じにん)と呼ばれた。
律令政権が崩れてくると、税も払えなくなり、それぞれは自前でそのことをおこなわねばならぬようになり、それまで特権として税の免除もおこなれていた彼らは、それなりに周囲から厭われる目で見られるようになる。これがエタ、とかヒニンと呼ばれる現代まで問題となる同和問題となってくる。仏教が蔓延し、殺生をおこなうことが疎まれたこともある。関西以西に多いのは大和政権つまり天皇のお抱えとしてのその仕事などの影響があったからであろう。関東や東北にないのは、もともとマタギなど、自分らで食物を得るための狩りを行っていたからなのであった。
ここで彼らの歴史において時代が下り、人類の救い主イエスという男が、そのように時代のヒーローにされたのかどうかということも、そもそもイスラエル人には大衆操作の術が非常に長けていたということからその善い意味での、つまりは神の言葉の宣教、拡散に用いられるのは大衆が大勢、時勢の思いに同調していることが必要であり、それが自然の摂理であるように行動を促すように見えるように操作したからでなのであろうか。イエスという男に関してはそうではなく、事実彼は神の子であったとしきりに述べるのが新約聖書の福音書である。
彼ら(黒子X)は言葉を変えるなら、大衆の同意があっての行動、人それぞれが自らの意欲を持っての決定であろうとする、本来の民主的な熱意の発露の操作に非常に長けていたということになるだろう。彼らは、あのメソポタミアに降りき立った多くの宇宙人がそれぞれの神々を創作しはじめ、人を惑わし始めたのも、それにNOを突きつけ、新しい時代を作るためにその地から脱出を図るべく地上の人を選んだのがそのもそもの創造者と言われる神であり、それに答えたのが信仰の父と呼ばれるアブラム(後のアブラハム)であった訳だ。
さて、そういう歴史の中から、その神の声を取り持つ預言者が生まれてくる。預言者:神からの言葉を預かる者。
そのような大衆操作にユダヤ人の特にレビ族(日本の神主のような、古代、神からの御神託というもので当時は神の言葉を上から受け取り、政治動向のアドバイスをもした)が、非常に長けていたということは、これも神の摂理(世界の行く末のプログラム)を知ることが彼らには先んじて与えられていたということなのである。
だからこそ、神の使いに”イスラエル”の名を賜ったのであったのだから。彼らは人類創世の時代からのプログラム遂行のためにこの地上で選ばれたものたちであったのを忘れてはいけない。地上の人類が存在する限り、彼らのプログラムは遂行される。
彼らは預言者とされて、国の行く末を、時代のヒーローを求め決定した。天皇政府に貢献しうまく入り込んで国作りをするのも先祖の血筋からなのだが、紀元前の彼らの物語は、神から声を掛けられ王を選出し神聖政治をおこなう仕組みが周囲民族からの防衛のためにも必要なこととなっていたのである。これは旧約聖書(彼らにとっては聖書)に詳しい。実に旧約聖書の列王記や歴代誌など、無論、彼らにもピンからキリまでいて神に叱責を受ける話もある。
しかし、優れているのはとてつもなく飛びぬけていた。自分が死んでも生きている預言者のように読めるイザヤなどもいる。優秀な黒子は同族を集め、集団で活動する。何と言っても数段レベルの神の域にちかい黒子も居て、天地創生から地球の終わりまでを予見する者たちもいるのである。第一に彼らは政治を動かす背後のプロデューサーとなる。北イスラエル、南ユダに分裂。神の摂理により世界に離散する彼らのその予見能力、彼らの秀でた神の預言者と実際の出演の黒子Xたちはこの時代から非常に神の摂理をまま表すようになっていく。
さて、そういう先祖の秀でた国作りの筋書きは古代、この国のありようを決定するものであった。現にこの国の足固めは隣国で彼らが渡って来た半島で大ききな争いがあったからであったが、国のありようを統括すべく物語が、そして多くの各地に離散した同族の長を神として持ち上げ(八百万というのはそうして生まれた)できあがっていくのである。日本書記や古事記・・・無論、背後で書かせた黒子プロデューサーがいるのである。
この国に古代渡来し神官の役割、詰まりかつてのレビの血を引く彼らは、当然のごとく政治の中枢に入り込むようになる。国の行く末を神に伺うこの国の多くの神社になっていくのである。格式の高い伊勢、鹿島、香取(古代彼らはあの太陽の昇る東の果てにたどり着いたのである。当時、関東地帯は一帯、海だった。)、はじき出された諏訪、各地の豪族を神としてよいしょし古来からの大国主を筆頭に出雲に封じ込めたのも、策士にたけた後発の内心は同じDNAを持つ彼ら異なる部族なのであった。体制側になった熊野信仰主権者も平安中期にははなはだ政治に係わっていた背後の黒子達であった。
いずれ、神国日本などと言われる者は、渡来人、その後帰化する人々で、かの地から時代を経て、理想の国作りを考え求め経験を積んでこの島国にたどり着いた人々だったのである。多くの地方豪族の争いから、大和政権に作り上げていく一つの国作りは、彼らの天性であったし、いざ何事かの事態には結集して才を発揮してことにあたるのは、彼らの得意とするところであったのだ。
その中での優れていたのは、タケミカズチなる神を創造した鹿島から鹿に載ってきたとされ、奈良に居好き天皇体制の中枢に入り込んだ政治の天才藤原氏であった。
奈良の鹿は神の乗り物とされるが、諏訪では御頭祭といって多くの鹿の首を切りとって飾る祭りがあったのは、その辺の関係がなきにしもあらず。諏訪は体制側からはじかれた者らの神社として成り立っている。
ここで、古代において先だつ物部に対し、政治に入る込む術に秀でていた蘇我氏が当時の大陸で時勢の潮流となっていた仏像に心惹かれ根は先祖の神のDNAを持ちつつも、自分の娘らを天皇に嫁がせ、横暴を極めるようになった。物部は言う「あだしくにの神をとりいれるならこの国は亡びるであろう」。実施にその後、多くの天災(天然痘)が起こったのであったが、しかし、蘇我氏の時勢にのった争いに物部は敗れ、北の地に蝦夷地へ追いやられるのである。蘇我の横暴はとまらない。
そこで、政治の天才、のちの藤原氏を名乗るようになる(そもそも紫色の藤の木々は寄生の木であるなぁ)藤原の祖、中臣鎌足であった。蘇我氏の横暴に際して、大化の改新を起こすが、ひいては、実のところ蘇我氏の天才政治家聖徳太子一族を抹殺した影の黒幕は、彼であろう。その後の、彼ら一族の天皇体制の中枢部に入り込んで、表には出て来ず、その体制を乱そうとする者らを北や西に蹴散らしたのは、彼ら一族である。
この国が自我に目覚めていく過程で、時代のヒーローが出てくる。もともといた者らも居れば、思惟的に造られた者らもいた。反旗を翻して出てきた者らもいた。律令制度が崩れてくる時代に従い、彼らの勃興が始まる。時代のヒーローは、背後の多くの大衆同調操作を起こし、あるいは先祖古来の血が騒ぐ、血気結集のDNAがあったからなのである。宗教を制するものは民衆を制する。その大半があの不思議な神を信ずるそのDNAを持ったもの達、怪僧らであった。
長野県の諏訪大社は追いやられ側、古い西からの流れてきた彼らのDNAになるしきたりも多く残っている。旧約聖書のアブラハムが神に自分の子供イサクを捧げんとして神に最終制止させられるという演技も伝統としてそこでは受け継がれていた。
そこばかりではない、追いやられた側の修験者は山形の出羽三山(湯殿山、月山、羽黒山)などの山は所謂、体制側によることのない純粋なDNAを引き継ごうとした古代の信仰の修行山であった。天皇体制にいいように使われていた同様に彼らの先祖が持っていた同じDNAが、自我に目覚め起こって来たのが東国武士と言われたもののふらであった。だから、はじき出された彼らは修験道となって八千八坊となって関東武士団を応援するのである。
歴史は動くのであるが、深層のかられの信仰心というDNAは変わらない。神があの神と人との争いに勝ったから”イスラエル”という名にせよと言われ、夢の中で東西南北にお前の子孫は広がっていくであろうと言われこの国までたどり着いた彼らなのである。部族間の相克はあの旧約時代からあった。それら同じ神を信仰するといっても、地上の形態は部族間で全て方便となり伝統となり組織化されて受け継がれてきたのである。今も世界に広がった彼らのDNAは歴史のエポックを作り出しているのである。
西の天皇政権に手足のように使われていた東の武士団に天皇となろうとする平将門がでてきたり、このときも出羽三山の修験者は応援する。平将門は八幡神の御啓示を受けて奮い立ったのであった。山形にある出羽三山には平将門が創建した五重塔が今も建っている。無論、修験道も今もいて山川を駆け巡っている。古代神道から始まるが神仏習合で平安中期には本地仏は八幡神の阿弥陀如来とされている。
星々の占い事や天変地異からなど与えられ、国の行く末を預言して王制に指南することは、今から見れば笑い事なのかもしれないが、古代の我らとのコネクションは自分の命の存命と国の運命が掛かった重要な事柄で政治といえばまさにそれが中心とも言えるものだった。天災や病気の蔓延や飢餓や洪水やなど兎に角、人手でどうしようも無いと思われる人命を損なうものに彼らは理由を、人と同様に類比させ神や怨霊や悪鬼に原因を求めたのである。
ここでレビ<預言者>が古代神からの啓示を受けて独自に”油注ぎ”なる行為を行う特別な位置にいたというのは重要な事であった。何故なら、当初から話してきたように、その辺から湧き出たような占い師と違い、彼らのDNAは人をもつまり、天地万物を創造したと言われるその我らの統治者に由来していたものだからである。人々から請われサムエルがサウル王を立てたように、そして神から離れていく彼の後にダビデを王としたように。まったく神の啓示によって預言者は王が上から示されたのであった。
日本に来ていた、と書くのは、東に向かい、この国までたどり着いた彼らは、自国の歴史のありよう(旧約聖書では列王記や歴代誌)を体験的に知っていたからである。渡来した政治には非常に長けた部族がそれを下地にこの国の統一形成に励んだということなのである。古代は自然の摂理は季節、星々や太陽の動きで地上の糧を得る術を知って予測できたが、政になると自然は教えてはくれない。そこで、シャーマンの役割は重要な事柄となった。こと人に関する不明なことは怨霊の影響を信じていたし、占いなど陰陽師などはいなくてはならない存在なのであった。
思い出すこの国の主人公。歴史の主人公の背後には彼らの選びがあったと言えるのである。そして多くの黒子達が動いていたのである。しかし、この国の底辺にあり深層を動かし、多くのサポーター達がいたのであるが、彼らは古代、宗教性にとんだ修行僧やらの活躍があったのであった。天狗(ユダヤ人)と呼ばれた彼ら(多くは日本名になった帰化人)は、人の目には触れず修験者として多くの山に住んでいたのである。
先に書いたが物部氏と蘇我氏の争いに物部は敗れたが、蘇我氏であるのにその横暴に中臣鎌足(後の藤原の祖)は自分が取って代わる。人手を使って聖徳太子一族を摩擦したのは、自分ならもっとうまくやるとその後、天皇に入り込んだのである。その後の日本の成立ちが出来上がって来たのは非常なる政治的天才である。その一点、地方の情報をうべく、多くの藤原を地方にまき散らして住まわせている。寺の僧に入り込んでいるなぁ。この古代の東北にも居た。それで婚姻関係を作って争いが生じたら(というかそういう原因を作って)藤原が勝つために策を練る。
源氏物語は藤原道真が文才のある紫式部のパトロンになって、自分の娘のまわりの世話をさせる官女にさせ、自分の娘を天皇の后にするため光源氏なるものの色ごと小説をひたすら書かせたという話もある。宮廷で話題になれば一条天皇もそれはなんだとその気にもなるだろうという魂胆からである。こうして自分の娘らを宮廷に送り込む。黒子が真の原因からは決して表には出てこないが、こうして以降の本筋の藤原栄華が作られていく。
関東に天皇が立たんとした平将門は出羽三山の八幡神の御神託を受けて決起する。多くのサポーターがいて今でも彼の首が飛んできたとか、いろいろ物語が残っているのはプロデューサーがいたからだし、そもそも学問の神様と呼ばれる菅原道真が、これに平将門に信任を与えたことに九州に飛ばされた理由になっていることはあまり知られていないだろう。貴族政治天皇政権にとって地方豪族が力をもつことは許されんと思うがそもそも何故に関東にそういう動きが起こってきたのか。貴族政治もいい加減にせいよ、というのは関東武士団の一致した思いだったのだ。
源義経が11歳から16歳まで鞍馬山で天狗(帰化人:京都の兵法家鬼一の門下一僧侶正谷)から様々な修行を兼ねて武術を学んだという話も、時代のヒーローを作り上げ時代を作っていく彼ら黒子集団の策である。彼らの黒子集団は、体制側にあった熊野権現の宗徒たちであった。武蔵坊弁慶は熊野信仰の修験者である。こうしてある宗教性の元に結束するのは、旧約聖書的にも彼らの志向なのである。時勢により体制側に着く場合もあったし、反体制に着く場合もあった。義経16歳の時に奥州藤原秀衡に寄寓し(そもそも、のちに政権側の後白河に信任されて、またいいように遣わされるのかと思ったのか、この辺から頼朝が義経をよく思わなかった理由が理解できるし藤原政権の古来からのやり方にけじめをつけるためだったろうと思われる。)
木曽軍を破り、一の谷、屋島、壇之浦の戦いに勝ち続けるのは、熊野権現の宗徒たちが多数いたからである。奇襲戦や地の利や天候をも見据えた戦場の状況などは、まったくユダヤ的(背後に熊野宗徒がいた)である。いずれ、壇之浦での戦いにおいて活躍するは熊野水軍であった、その数、2000余名、軍船は20余艘であったと言われる。
長い時代をへて彼らは帰化人となり多くは修行僧や仏教にも係わるようになり、一番民衆にも影響を与えたのは多くの武将が日本各地にある神社やあるいは、地名やなども名付けた修行僧や布教者らであったが、平安中期に仏教として広まった八幡神であった。彼らの帰化人の渡来集団の祖は秦氏である。八幡神社や稲荷神社の創設の祖にあたる。さらに、神仏習合での浄土世界に信者を導く救い主、阿弥陀如来仏であった。つまり、阿弥陀如来がイエス・キリストに当たる訳である。
秦氏は、紀元前北イスラエル10部族が離散した時に東へ向かった集団の一族であった。東へ向かう途中、初めて国を統一した「秦(しん)」という国をつくった。英語の中国CHINAはここから来ている。彼らは旅の途中、故郷で先祖伝来言われてきた救い主イエス・キリストの誕生を知ったのである。彼ら一族は、キリスト教信者に改宗したのであった。マリアを神の母ではないとして異端視された東へ伝道したのちにネストリウスキリスト教となって中国全土に広まる。
浄土宗の法然は両親が秦一族である。その弟子の浄土真宗の親鸞は、漢語でマタイ伝を読んでいたのは嘘ではないらしい。漢語ならすべて仏教になってしまって居たのだろうから。いずれ秦一族はこの国へ技術的な産業、さらには芸能、文化など大変な貢献をなした一族なのであった。政治的には決して表にはでない、古代この国の形成に励んだ黒子の一族はキリスト者であったのである。ここに冒頭に他の国は、日本のようにはいかないと書いた理由があるのである。それは、我々この国のDNAとなってしみ込んでいるからなのである。
その後、武家の歴史においても彼ら(黒子達)は時代のヒーローを作り、理想の国作りをしようと画策したのであった。織田信長は神道の 忌部氏の祖であったが彼は平家の血筋であった。その後、一農民から関白太政大臣と最も週世した豊臣秀吉、幼少の頃、長い人質生活を送った徳川家康、彼がそういう黒子がいたかは松平から徳川に代わった理由を調べるとはっきり分かるだろう。いずれ彼らはこの国を作る黒子たちにプロデュースされてきたのである。多くの黒子達は策を練りサポートて理想の国作りを目指したのであった。
どの国へも伝えられた伝統にまとわりつかれたキリストは、すべてまたかなぐり捨てて、あらたに独り立ちをしないといけない。時代がそう要求している。天(宇宙)から派遣された彼は、新たなる姿で来られるだろうと。我々はその準備をしなくてはいけない。
・・・fin