marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

便利さを求めて僕らは自滅するかもしれない。"我が亡き後に洪水は来たれ!”

2024-10-01 10:01:45 | 日記

何を書きたいのかの、6月19日のblogつづきとして・・・。 講演要旨は 大学の教職組・JAS(日本科学者会議)のこの地の支部 第6回講演会から。

講師の先生と僕の関係は、先のブログに掲載。

6月12日【NHKクローズアップ現代】にも取り上げられたので、電子部品製造に関わる化学系の方は、非常に関心のある内容。それでも我らは、生活の為に稼がざるを得ず、という心に痛みをなにがしか感じながら見た人は多いだろう。関連企業に勤めた大学の諸先輩、後輩らからも講師先生には、いろいろ問いあわせがあったそうである。

僕も、仕事時に使用した薬品もあったので・・・、当然、途中から代替え品が使われ出したが・・・それで、講演の司会者が語った言葉は、僕らの地球はヒトばかりではなく、生き物が生き続けるには、もうたいそう病んで、生き続けられない状況にもなっているということだ。司会者は、CO2どころではない、半減期が10万年以上、と声たかだかに・・・。

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掲題の言葉は、旧約聖書の神が、ヒトの堕落に対して、警告を発しても人々が言うことを聞かず、教えを守っていた正しいノアに準備させ、洪水から助けられたという箱船の話からの言葉である。

地上の生き物を洪水で滅ぼすという神の警告に、山の上に大きな船を作ったノアを周囲の人々は皆、嘲笑していたが、神は40日40夜雨を地上に降らせ、船に乗らなかった生き物は全て滅びたが、箱船に乗ったノア一族と動物たちは、箱船の生活1カ年の後、助けられたという話から。(旧約聖書:創世記6~8章)

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【余談】助けれた人の人数はノア親族含め八人だった?!。『船』という漢字がボート『舟』に右に(八と口:8人)の大きな『船』はそうしてできた漢字という謂れがある。それから、上陸できるか確認のためにノアが鳩を放った時、鳩はオリーブの葉を加えて戻って来たので、陸が渇いたと知ったノアは、上陸開始を始める。鳩は平和の象徴となった訳。昔、ピース(Peace)という煙草の包装絵柄は、オリーブを加えたハトだったなぁ。

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マーク・トウェインのハックルベリー・フィンの冒険でのミシシッピ川では、釣りも水浴びも、冒険などは怖くてできない、という事態になっているということらしい。それは、汚染が進んでいるからであると。

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講演内容は以下の通りである。これはやはり科学者自身が声を上げざるをえないのだろう。講師は、このPFAS類の水処理とクローズ化(防止策)の国際特許を得た。

1.はじめに

"PFAS"(ピーファス)とは 一連の有機フッ素化合物であり、近年 関心が広がりつつある ”永遠の化合物”、” 発がん性物質”、” 人新生時代の環境汚染” などと語られている。(PFAS 問題の 今日的意味を共有できるようになればと、特許作成の体験を交えながらお話しされた。)

2.PFAS(ピーファス)の誕生と全地球表面への拡散(人新生の時代)

PFASの発生の期限は1938年のPTFE(商品名テフロン) の発見に由来する。 テフロンの製造や賦形の助剤として1948年にPFOS・PFOAが発明され、 同時に高い 撥水・ 撥油性をはじめとした 類まれな 有用性を活かした利用が急速に始まった。 国際的な巨大化学企業である デュポンと3 M(スリーエム) はこれにより多くの利潤をあげた。 しかしこの大拡散の時代の結果、人工物である PFAS分子は両極地を含む地球全体の生物や水質に広がってしまった。

3.3M(スリーエム)社の撤退宣言と波紋<特許作成>

地球規模での拡散と生体に対するリスクへの懸念から、3M は2000年に一部の PFAS の製造から撤退を宣言した。 これに関連する産業に少なからず 衝撃を与え、 早急な対処が迫られた。 関連企業で働く卒業生から連絡と要請が寄せられ、PFAS 類の産業内での水処理とクローズド化のアイデアをまとめて国際特許として成立させた。 半導体製造技術や燃料電池や リチウム2次電池技術など電子半導体分野や 再生可能エネルギー分野では、この当時も今もPFASの利用は不可欠であり、水質 処理は緊急の問題となっていた。

4.PFOsに関する国際条約<”永遠の化合物”>

国際的には、2001年に 残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約 (POPs条約)が結ばれ、その後、PFOSとPFOAが対象物質として組み込まれることになった。日本の化審法でも対象になり 製造・ 輸入などの規制が始まった。

5.生体・人体への蓄積と健康不安<発がん性>

PFASの健康リスクに対する 告発 や調査も広がりを見せるに至った。米国 ウエストバージニア州のデュポンの工場周辺での下血 や肝臓がんの発生をはじめ、水質へのPFOA等への侵入と人体への蓄積、発がん性 を含めたリスクへの関心が急速に高まっている。講師が2001年にから2002年にかけて 滞在した ミネソタ州には 3 M の本拠地があり、工場 周辺 やそばを流れるミシシッピー川の水質には当時から 住民の懸念が表明されていた。国内的には特に 東京や 沖縄の米軍基地付近に及びダ○○ン工場(大阪)近傍の河川や地下水と人体の血中濃度の高さが問題となっている。

6.PFASの社会的抑制に向けて

デュポンや 3 M社など大資本は自らの儲け以上に 従業員や周辺の住民の命や健康に責任を負おうとしない。 必要なことはこれに対する社会的強制を強め、社会としてのPFASに対する制御能力を高めることである。 ミネソタ州では、昨年全てのPFASを規制する法案を可決。 欧米諸国や我が国でも飲料水のPFAS 濃度や摂取基準の設定の動きが加速しつつある 。確かにPFASは他の物質(材料)では替えがたい有用性を持っており、 継続して使いたいという動きも根強い。PFAS 全体を視野に、 そのリスクを正確に把握するための研究を急ぎ、 国民の生命・健康に寄り添った社会的規制を隔離することが、我々に課せられた課題となっている。

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※以上、簡略に解説した。講演内では、特許を取られた化学構造式<亀の甲>などの解説あり。日本の環境省は、もっと企業に遠慮せずに、ごみの分別云々もいいけれど、もっと深刻な人命(国民)を守る、という強い視点から警告を発しないといけないものと思う。・・・ おわり 

【平和を誓った日本国憲法】改めて大きな声で読んでみよう!

2024-09-28 08:29:04 | 日記
【前文】
日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。
 
我らは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
 
我らは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 
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【第九条(戦争の放棄)】
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
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【私見】
『日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』これは日本国憲の前文の末尾である。
 
選挙権の年齢が下がっています。若者に憲法をもっと考える言葉の提供を教育することを期待する者です。・・・

『平和を望むなら平和に備えよ!』:平和の中の不都合な真実

2024-09-26 19:30:00 | 日記
 先日、NHKで、ウクライナで、父親が息子にドローンの作り方を教えている映像が放映された。無論、ウクライナ軍に提供する(つまり爆弾を積んで適地を攻撃するため)ものである。

父親はこう語る。ウクライナには、諺となった言葉がある。それは、

『平和を望むなら、戦争にそなえよ!』という言葉である、と。

だから、子供に最終、敵の人命を損傷させるかもしれない武器をつくるのを教えるのは、国家に貢献する行為である、というのである。

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さて、この国では、総理総裁選挙が行われる中。憲法改正の議論もいつも取り沙汰されるけれど、憲法9条の実体は、殆ど閣議決定で、なし崩しの内容となって進んでいる。

国際法などでは、国家は当然、相争うものであるという設定の上での文言が並んでいるのに、僕らは、それらを冒頭から否定する崇高な言葉で語られるこの国の憲法をどう解釈し、戦うべきなのか。

この日本は、もっと議論百出、欧米では、神の存在を想定してきた政治や哲学の上に、多くの犠牲を払いながら成り立って来た、その学びを低学年からする必要があるのではないだろうか。

政治のあり方に、現実を語る言葉を少なくとも国民には教育することを重視しないように見えるこの国は、改めて『人の生態(人間学)』について、教育の上でも親をはじめ、幼小のころから学ぶ必要があるように思う。

自分という人間を自分の言葉で考える。自己否定的な面も現れるが、それを超えて、どんな人も僕らは生きる意味があるのだと。

その学びを終え、つまるところ人と言う生き物は、戦争を行う程にも馬鹿なのである、という結論に行き着く、その根源。そして、その駆逐。

ところが、その学びの過程で、現存する人自身に向かうと、生まれつきであるという、人、民族、風習、因習などに、更に能力の有り無しなどの、評価に行き着き、またもや差別が起こり、人や民族的優位が語られるという不都合な真実に行き着くというわけである。

よって、僕らが生きている意味は、それらの真実を学んでも、個人が自分と戦う(自己肯定する言葉の獲得の為に戦う)言葉を人生から学ぼうとしないといけないということなのである。

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『この国は滅びない』という思いが僕にあるのは、『我、潔ければ、汝らも潔かれ』と宣う、現存する『神』の思いに、現存する肉の人間の不浄を、超えようする修験者、あるいは僧侶が、あるいは宗教家が祈りや、厳しい修行をして来たし、今もいるからなのであろうと、思うのだ。

つまり、人が生き物としてのDNAを引きづる不条理の超克。先に述べた、個々人の不条理、人間の不条理を彼らは、代表として超越しようと心がけているように思われる。

欧米に於いては、イエス・キリストが人類の代表として(肉になった神の子)それを担ったとされる。その精神は、実は古来からこの国にも伝えられていたのである。(そもそも、修験者がそうだろうと・・・)

自己を超えようとする、僕はそれをあえて崇高な精神と呼ぼうか。それは、人の言葉を超えた異次元の世界との繋がりである。

すべては過ぎ去り、新しくなって行く。・・・・

(その4)僕らの生活:不都合な真実

2024-09-24 12:19:11 | 日記

それで、姉妹の姉が僕を乗せ、僕の車は妹さんが運転して、元旦の静かな町並みを見ながら、myhouseへ 向かう訳だ。妹さんは後ろから、僕の車に乗ってついてくる。 ・・・その先を先導する車内での、その姉との会話。

「私、今年、還暦なったでしょう。ご飯つくるの面倒臭くなったきたよねぇ。」、と言い出した。僕は、彼女の父上を知っているし、父上は独り身になって、一緒に住めば家賃が浮くと思ったが、父上とは意見があわないらしい。つまり、ざっくばらんにいろいろ話す方。

父上は、家庭を持っている看護資格を持った妹さんが、お勤めが無いとき、時折、訪問し様子を見ている。父上は年齢も年齢なので、家の中での歩行はできるが、day service の方が週2回ほど来ている。

で、彼女(姉)が食事の準備が面倒、と言い始めたので、自炊している僕は、簡単に僕らの共通する大げさな資本主義の話をし出す。何故か、一方的に退院後のことでもあり滑舌が良くなり話し出す。

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安上がりで簡単な、しかも経費の掛からない、等と言いつつ・・・モヤシは一袋28円、で軽く茹でて、お湯を切り、らっきょう酢(量の割に安いし、クエン酸が入って体によさそう)をかけて、冷蔵庫に冷やして食べる。らっきょう酢は、野菜をレンジでチンして、パックして冷やしておけば何でもピクルスになって、体にいいと思うよ、などと話す。

若い頃は、酸っぱいのは苦手だったけど、年取るとねぇ、暑さ対策にもなるし、それ腹も出てこないしねぇ、などの会話。

で、ちょと、大げさに政治経済の話へ。

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 僕がね、仕事で隣国中国の海岸部にある日本料理店(上海でも深圳でも)で、向こうの人は、生の魚はぜったい食わんのよ。寿司が流行っている今は分からんけど。今から10年以上の話。第一、不衛生なのね、取り扱いの繊細さがないので、すぐに悪くなるし、生魚は生活習慣になっていない。

兎に角、水が悪い。店長に聞くと、刺身なんて頼むと、これは築地から送られてくるものだ、と胸張っていうの。詰まるところ、生魚は日本製で、一番のうまいところ食べて貰うのだと、胸張っているのね。引率客先の所長は、これが一番うまいと蒸しパン(肉まんの皮のみの奴)を食べてたけど。

ところがだ、最近になって驚いたが何故に自国で食わない刺身のネタの魚をそこから輸出し、この国では輸入しているのか? 安いものを高く売る、その利ざやで稼ぐ。これが儲けの基本なのはわかるけどなぁ、どうなのか。

フィリピンまで行って、あるいは日本の近くまでき来て違法操業してんじゃないの。原発の汚染水といっているトリチウムはどうなの、中国沿岸には原発あるけど、どこにあるかも分からないでしょう。

原発は海岸沿いに54基もあるのね。これからも作っていくのだそうだ。一基でも爆発でもしたら、天気予報の雲や風の流れどうり、日本は終わりだな。・・・などと、暗い話になっていく・・・でそうこうしている内に自宅についた。

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お礼に四国の ”紅まどんな” というミカンを10ヶ 差し上げた。


(その3)ミニマリストと貧乏症:僕らの生活と資本主義

2024-09-22 09:14:32 | 日記

 僕らの日常、政治、経済、そして食べること。

僕が時折、共産党のことをコメントするのは、あまり勉強しとらんけど、マルクスやヘーゲルなどを基本に古典哲学からイデオロギーの基礎を固めているのであれば、「自由」という言葉や、自信があるのなら「社会主義」などとことばを若者に簡単に流布しないほうが、潔よいのではないかと思うこと。

「哲学」から来たのであれば、その「言葉とその考え自体」を哲学して欲しいと願うがためです。「戦う哲学」まで言葉を駆使して欲しいのですね。

理想を追求する、プロセス過程を追及する、常に是正を求める党である、とするならば、哲学においても、理想論ばかりでなく、国を守りたいのか、人類の普遍性を求めるのか、そこにどういう問題が生じてくるのか、もっと「人間学」について、追及していって欲しい。(それをどこまでも追求すれば、必ずキリストの死に結びついていくと僕は思っているのですが・・・。大体、彼らの哲学はそこが起源)。

誰も12000年も続いた、争いの無い時代と言われる縄文時代に戻ろうとは思わないだろうから、資本主義のぶら下がりの基に、その後の社会を求めても、到達点には行きつかないように思う。

出来事の結果系で文句を言っても、なかなか難しい。現状の不正に対する抵抗、講義は大いに結構。しかし、「解放」を掲げる「哲学」(考え)は、それ自体に先条件を設定してしまっているのは、そのこと自体がおかしい。「共産主義」という言葉で、実情を解決するには自己矛盾が生じてくるように思われ・・・、というのは、主義を掲げること自体、すでに「自由」ではなくなるから。

「社会主義」と同じです、と割り切ってしまわないと苦しいところがありますね。今は、「社会主義」という文言を、話の際は、「共産主義」の前に着けるようになりましたがね。

僕は、もっと政府の不正や欠陥を糾弾することには、そして、憲法を守り平和を求める考えには、大いに賛同するものです。それ故、せっかく、キリストの死からなってきた政治哲学までの歴史の強化を、もっとこの国にも根付かせて欲しいと思うし、だからこそ、簡単に「自由」だとか「社会主義」と同等だ、などどいい始めないで欲しいと願うのです。

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それで、貧乏性なんですが、哲学を論じ、社会を変革しようと心がけるのであれば、もっとそれらの学問から派生して、いまの自民党も、まずは、憲法自体の言葉についても、もっと真摯に考えるべし、と思うんですがね。政治哲学なんてないのね。  で、身近な僕らの生活は、次回・・・

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・・・と、ここまで書いて、共産党員の知人から、これから駅前に小池さんがくるんだけど(11時から)、聞きにいかないか、とお誘いの電話があった。

返答:「今日は日曜にですよね。日曜日は、ダメです。これから出かけますので・・・」

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今日は朝から雨である。