イエスに一番最初に天国入りを保証された人は誰だと思われますか?
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昨年、9月に親父と12月にお袋を天に送りました。永眠者記念礼拝で、教会関係者以外の方でイエス様を信じておられた方々の写真も飾って頂いておりましたので、母の写真を飾って頂くことを承認していただいておりました。
母の遺品の中にありました証集(アカシシュウ)に、わたしはあまり真面目なクリスチャンではないと書いてありました。今のこの教会に席を移すように先の教会(神共にいますという名前)に問い合わせたところ、昔の先生はとうに替わられて今一度、受洗の記録がはっきりしませんでした。しかし、こちらの教会で出席のときは聖餐式にあずかるし、敬老の日には車椅子に乗ってみんなとの写真は今も部屋に飾られています。
ところが、遺品の中の証し集にわたしは昭和54年7月5日に洗礼を受けたと書かれていました。仙台にわたしが居たときに通っていた先生が青森に呼ばれて特別伝道を開いたときにその先生から洗礼を受けられていました。
昨年、25日クリスマス、代務者が担当される40分ほどもかかる小さな海沿いの教会でクリスマスのお祝いをしておりました。終わりころショートステーから電話が携帯にあり、お袋が救急車で運ばれたので来て下さいと連絡があり、だいぶ雪の深い夜になりましたがそのまま厚生医療センターに行きました。精密検査をされましたが、このまま送った方が母のためだろうと思いました。
そして、27日の午後に静かに亡くなりました。僕は遺品を見ていませんでしたので、生前教会生活もままならず、きちんと洗礼を受けていたのか実は疑問視していたのですが、イエス様を信ずる気持ちが無くなることはなかったと思います。亡くなる30分も前でしょうか、イエス様を信じているかと聞くと、まったく疑いもないという具合に深くうなずくのです。
このとき僕は、思い出されて離れない場面がありました。イエスが十字架にかけられたとき、同じく右側にかけらた男のことでした。長いこと牢に入れられたであろうイエスの奇跡や話されたことばなどひとつも知らなかったであろうこの男がこう言うのです。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときにはわたしを思い出してください」。するとイエスは、
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
真面目でもない、難しい事はわからない、牢にいたであろうからイエスの奇跡や言葉などは知り得なかったであろうこの男。しかも世間においては犯罪者だ。しかし、イエスを信ずるとは詰まるところこのことだろうと思いました。彼は、死に際、まさに自分の十字架を背負ってイエスと共にあったのですから。
この犯罪人の男はイエス様と共に楽園にのぼった最初の人となりました。
母の洗礼は神様との契約のことですから、きちんとしなければいけないなと思った次第でした。
キリスト教会におられる方は古代の偉大な教父アウグスティヌスをご存じでしょう。彼の書いた「告白」の中にこのような一文があります。
その母モニカは、旅先で亡くなるときに息子たちにこう言い残します。「この体はどこでもすきなところに葬っておくれ、そんなことには心を煩わさないで欲しい。ただひとつ、どこにいようとも主の祭壇のもとでわたしを思い出しておくれ」。
わたしの母は、毎年もたれる永眠者記念礼拝で、彼(イエス)が再び来られる日まで、みなさんに覚えられることになりました。
「私は甦りであり命である。私を信じるものは死んでも生きる。生きてわたしを信ずる者は死ぬことがない」。
わたしたちは今日、これを信じて先に召された先人達にしたがって、この信仰に強く立ちたいと思います。
(2018年8月12日「永眠者記念の集い」司会担当)
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昨年、9月に親父と12月にお袋を天に送りました。永眠者記念礼拝で、教会関係者以外の方でイエス様を信じておられた方々の写真も飾って頂いておりましたので、母の写真を飾って頂くことを承認していただいておりました。
母の遺品の中にありました証集(アカシシュウ)に、わたしはあまり真面目なクリスチャンではないと書いてありました。今のこの教会に席を移すように先の教会(神共にいますという名前)に問い合わせたところ、昔の先生はとうに替わられて今一度、受洗の記録がはっきりしませんでした。しかし、こちらの教会で出席のときは聖餐式にあずかるし、敬老の日には車椅子に乗ってみんなとの写真は今も部屋に飾られています。
ところが、遺品の中の証し集にわたしは昭和54年7月5日に洗礼を受けたと書かれていました。仙台にわたしが居たときに通っていた先生が青森に呼ばれて特別伝道を開いたときにその先生から洗礼を受けられていました。
昨年、25日クリスマス、代務者が担当される40分ほどもかかる小さな海沿いの教会でクリスマスのお祝いをしておりました。終わりころショートステーから電話が携帯にあり、お袋が救急車で運ばれたので来て下さいと連絡があり、だいぶ雪の深い夜になりましたがそのまま厚生医療センターに行きました。精密検査をされましたが、このまま送った方が母のためだろうと思いました。
そして、27日の午後に静かに亡くなりました。僕は遺品を見ていませんでしたので、生前教会生活もままならず、きちんと洗礼を受けていたのか実は疑問視していたのですが、イエス様を信ずる気持ちが無くなることはなかったと思います。亡くなる30分も前でしょうか、イエス様を信じているかと聞くと、まったく疑いもないという具合に深くうなずくのです。
このとき僕は、思い出されて離れない場面がありました。イエスが十字架にかけられたとき、同じく右側にかけらた男のことでした。長いこと牢に入れられたであろうイエスの奇跡や話されたことばなどひとつも知らなかったであろうこの男がこう言うのです。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときにはわたしを思い出してください」。するとイエスは、
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
真面目でもない、難しい事はわからない、牢にいたであろうからイエスの奇跡や言葉などは知り得なかったであろうこの男。しかも世間においては犯罪者だ。しかし、イエスを信ずるとは詰まるところこのことだろうと思いました。彼は、死に際、まさに自分の十字架を背負ってイエスと共にあったのですから。
この犯罪人の男はイエス様と共に楽園にのぼった最初の人となりました。
母の洗礼は神様との契約のことですから、きちんとしなければいけないなと思った次第でした。
キリスト教会におられる方は古代の偉大な教父アウグスティヌスをご存じでしょう。彼の書いた「告白」の中にこのような一文があります。
その母モニカは、旅先で亡くなるときに息子たちにこう言い残します。「この体はどこでもすきなところに葬っておくれ、そんなことには心を煩わさないで欲しい。ただひとつ、どこにいようとも主の祭壇のもとでわたしを思い出しておくれ」。
わたしの母は、毎年もたれる永眠者記念礼拝で、彼(イエス)が再び来られる日まで、みなさんに覚えられることになりました。
「私は甦りであり命である。私を信じるものは死んでも生きる。生きてわたしを信ずる者は死ぬことがない」。
わたしたちは今日、これを信じて先に召された先人達にしたがって、この信仰に強く立ちたいと思います。
(2018年8月12日「永眠者記念の集い」司会担当)