今日は2017年1月31日です。明日から2月です。きりがよいのでローマ書の最後になりましたので一区切りしようと思います。第16章にはパウロさんからローマにいる人々に挨拶が書かれて紹介されています。詳しく聖書の中に書かれていない人々の名前も見られます。パウロの伝道旅行において、また、すべての道はローマに続くと言われていた当時の発達した交通事情によって、パウロの宣教の働きは多くの人々のつながり、目にはみえないネットワークができたことだと推察されます。
◆ここに上げられた人々には、僕らが読んできたこの手紙が、確実に読まれ聞かせられていたということになりますね。どんな人生を送った人々だったのだろう。当時の人々と同じ内容の手紙を読みつつ、僕らはこれらの人々の名前を思いながらそれぞれの人生を想像します。何気なく読んでしまう、これらの人々が当時このパウロの手紙を読みつつ励まされ、生きて生活していたということをです。
僕らも、イエスが再び迎えに来るまでに、何度もこのパウロの手紙を読みつつ、励まされつつ生活していくのです。
◆パウロが上げるひとりひとり、霊に燃えたすごいバイタリティーがあった人々という感じがします。あの時代、信仰を持つにはしんどかったと推察されますから。(16:1)ケンクレアの教会の執事フィベ、パウロが紹介するこの女性はすごいバイタリティーがあったんだろう。少しお裾分けをいただきたいな。その他の箇所にも出てくる名前も読める。
(16:13)「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。」とあります。実際のパウロの母親ではありませんが、そのようにも思っているとパウロが述べているところです。ルポスは、あのゴルゴタへのイエスの十字架を途中から無理矢理背負わされたクレネ人シモンの子であると言われています。シモンの一家は、あの時以降、キリスト者になり、シモンは群れの中で大きな働きをなしたと言われているそうです。その他、名前も挙げられていない多くの人々がいたことでしょう。
◇僕もこの日記を読んでおられるひとりひとりの顔を知りませんが、次の世界でお声を掛けられるかもしれませんね。(16:22)目を患っていたパウロはこの手紙をテルテオという人に筆記させていたようですね。
終わるにあたり、やはりこの手紙の最後の節がふさわしいので掲載します。
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(16:25-26)願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言者の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、(16:27)すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように。アァメン。
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◆「キリスト教という宗教を作ったのはパウロです。イエスはキリスト教の教祖ですが開祖はパウロです。クリスティアノイ(ギリシャ語でいうところのキリストに属する人々)という言葉がはじめて出てくるのは使徒言行禄で、それはパウロとの関係で出てくる。」(「はじめての宗教論 右巻」佐藤 優著 NHK出版生活人新書 p125 第4章 キリスト教と国家)
◆「パウロの一生はまことに劇的であり、その書く文章は明晰にして複雑である。名文家というのはこういう人のことを言うのであろう。・・・パウロの生涯も、投獄され、人々から追われ、最後は斬首されたと伝えられながら、その一生はまさに燦然として成功だったのである。」(「聖パウロの世界をゆく」曾野綾子 編著 講談社 p1)・・・ Ω 「ローマ人への手紙」 終わり
◆ここに上げられた人々には、僕らが読んできたこの手紙が、確実に読まれ聞かせられていたということになりますね。どんな人生を送った人々だったのだろう。当時の人々と同じ内容の手紙を読みつつ、僕らはこれらの人々の名前を思いながらそれぞれの人生を想像します。何気なく読んでしまう、これらの人々が当時このパウロの手紙を読みつつ励まされ、生きて生活していたということをです。
僕らも、イエスが再び迎えに来るまでに、何度もこのパウロの手紙を読みつつ、励まされつつ生活していくのです。
◆パウロが上げるひとりひとり、霊に燃えたすごいバイタリティーがあった人々という感じがします。あの時代、信仰を持つにはしんどかったと推察されますから。(16:1)ケンクレアの教会の執事フィベ、パウロが紹介するこの女性はすごいバイタリティーがあったんだろう。少しお裾分けをいただきたいな。その他の箇所にも出てくる名前も読める。
(16:13)「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。」とあります。実際のパウロの母親ではありませんが、そのようにも思っているとパウロが述べているところです。ルポスは、あのゴルゴタへのイエスの十字架を途中から無理矢理背負わされたクレネ人シモンの子であると言われています。シモンの一家は、あの時以降、キリスト者になり、シモンは群れの中で大きな働きをなしたと言われているそうです。その他、名前も挙げられていない多くの人々がいたことでしょう。
◇僕もこの日記を読んでおられるひとりひとりの顔を知りませんが、次の世界でお声を掛けられるかもしれませんね。(16:22)目を患っていたパウロはこの手紙をテルテオという人に筆記させていたようですね。
終わるにあたり、やはりこの手紙の最後の節がふさわしいので掲載します。
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(16:25-26)願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言者の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、(16:27)すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように。アァメン。
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◆「キリスト教という宗教を作ったのはパウロです。イエスはキリスト教の教祖ですが開祖はパウロです。クリスティアノイ(ギリシャ語でいうところのキリストに属する人々)という言葉がはじめて出てくるのは使徒言行禄で、それはパウロとの関係で出てくる。」(「はじめての宗教論 右巻」佐藤 優著 NHK出版生活人新書 p125 第4章 キリスト教と国家)
◆「パウロの一生はまことに劇的であり、その書く文章は明晰にして複雑である。名文家というのはこういう人のことを言うのであろう。・・・パウロの生涯も、投獄され、人々から追われ、最後は斬首されたと伝えられながら、その一生はまさに燦然として成功だったのである。」(「聖パウロの世界をゆく」曾野綾子 編著 講談社 p1)・・・ Ω 「ローマ人への手紙」 終わり