また、急に堅苦しく・・・永遠の命を求める世界の人々にとって大切な意味を意味をもつ、あの旧約のヨセフ物語。
◆イエスの教えは弟子たちの宣教によって世界の宗教になった。それは、僕らのこの国では歴史上の政治的な意味合いで仏教としての儀式をほとんど人は執り行っているけれど、多くの人の心の中でのその求めるものは、あのエジプトの宗教儀式で葬儀は行ったが、それは地上の自分のいた国でのひとつの儀式、彼ヨセフは、天地を創造され、人に霊を与え、永遠の住まいを備えられていると信じた唯一の神のもとに帰ることを願ったのだった。おそらく、路線がこの地上にとどまるだけの宗教でなければ、どの宗教でも永遠の命とその祈りを心の中に持っているものだと信ずるものである。・・・ここからが急に難しくなる。・・・
◆人とはいかなるものか。大衆になると考えがまったく変わるものにはならないか。考えが時代に制約されるものではないか。甘くなり緩くなるものではないか。天地創造から人が創造され、人が増え、神は信仰の父と呼ばれたアブラム(のちアブラハム)を選ばれ、イサク、のちにイスラエルと呼ばれるヤコブの神であるとご自分を示され、ヤコブの子ヨセフをあしらい、その業(わざ)を世界に示された。その後に神の人と呼ばれ十戒を作成したと言われるモーセを起こし脱出を図る。
◆地上に実際にその存在を示されんがためにいかなる方法を、この地上の人々に示していかねばならなかったのだろう。約束の地に入ることができたヨセフの亡骸をエジプトから運んだモーセの後継ヨシュア。その思いは、神のもとへの帰還。真意とともにその維持のために当然、大衆に対しては厳しくなっていかねばならないものであった。核心そのもに従うことを民に提示(シケムの契約)して生き、彼はこの地上を終えるのである。
◆(ヨシュア記24章14節)ヨシュアは新しい契約を民と結ぶ。「あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に使えなさい。~」・・・ 実際にいいことづくめで、はい、そのとおりという訳には全人類にたいしてうまくはいかない。長い目線で世界の人々の救済に対し神はメスを入れ始めたと読めるのではないだろうか。ここから、他の神々と呼ばれるものを排他するということを示すのだった。
◆フィジカルな律法の始まりはどうしてだったのだろう。神を唯一としえないであろう大衆への戒め強化から起こったことを僕らは忘れてはいけない。核心をつかむ者は極めて少ないのだ。・・・続く