marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(164回目)哲学・思想のジャンルにも登録したよⅧ

2016-10-31 21:37:27 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
聖書を読んで来て、少しく神学的なことも書きたくなりましたのでブログジャンルを”哲学・思想”にも登録したぞ!やっぱ、こちらは母数が二倍はあって登録、投稿されている方が多いのだね。今日は10月最後の日、明日からいろいろまた、僕のいる会社も組織替えなどあって、実際の活動にもいろいろ変化が起こりそうだが、ともにがんばるぞ。それで、明日からは表題の後の方を見ると何を言いたいのか分かるように変えることにいたします。自己紹介の文章はずっと変わりません。どうしたら、イエスの言葉、永遠の命を与えてくれるという言葉をみんなと共有化できるかと考えているんだ。あくまで自分の言葉でです。誰も介在しない自分とイエスの会話です。実は全然抹香臭くなるものではないと思います。
◆ただ、いろいろの歴史の中で、イエスの体なる教会に属さなければならないと言われることに関しても、本来、こちらの方が大切なのではありますが(共同体に属する方)、先の回にも書いたようにいろいろなしがらみが生じて来ますので、まずは、イエスと語る自分の言葉を学びの中で耕してくれるので(本来のカルチャーね)、それはそれで実に大きな収穫となるのですからこちらを優先したいと思います。哲学・思想はまだ入り込んで目をとおしておりませんのできっとさぞやおもろいことがたくさん書かれているのでありましょう。
◇そうではありましょうが、恐るにたらず。実のところ哲学というのは、その究極を言うならば、イエスという方が万物を創造され、最後にご自分の似姿に人間を作られて・・我らを助けるために(パラダイスに導くために)十字架にかかられた、そこから始まっていると言っても過言ではないのね・・・。正確にはといいますか、パウロさんという弟子が、マケドニア<ギリシャ>に来て、私達を助けてください(ここでいうところのイエスの言葉を届けてくださいという意)という幻を見て勇んで出かけたのが始まりと言っていいかもなのです。(使徒行伝 第16章9~10節)「ここ(トロアス)で夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニア人(びと)が立って、「マケドニアに渡ってきて、わたしたちを助けてください」と、彼(パウロ)に懇願するのであった。(9) パウロがこの幻を見た時、これは彼等に福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニアに渡っていくことにした。(10)」
◇熱血漢のあるパウロをアテネまで導いて、今も僕らはギリシャ哲学を学べ、そこにパウロが福音と我らが”少なくともギリシャで語られたいた考えるという思考の言語”とガチンコさせたのはやはり神の導きであると納得せざるを得なくなるな。その記事は読んでいて爽快な気分にさせてくれるよ。一部を紹介して今回は終わることにします。
◆「こうして、人々が熱心に追い求め捜しさえすれば、神を見いだせるようにしてくださった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである」。(使徒行伝 第17章27~28説)
・・・ Ω  

世界のベストセラーを読む(163回目)とにかく神様と永遠に生きてもらいたいⅦ

2016-10-30 19:24:21 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
表題”~生きてもらいたい”などとだんだん偉そうになってきたな、おい!
◆”読む”と言って内容に全然踏み込んでいないのは、書いていないだけで普段の僕は読んでいるわけで、そしてその共同体の一員としての役目も務めているわけでありますが(むしろ、信者さんとなってからは後者の方が大切になるわけですが)それにしてもネットをご覧になるとただその群れがすべていいのかどうか・・・ですよね。僕もよく勉強されているなと感心するものもある。福音主義をきちんと守っているところはいいのですが、宗派はいろいろありそれぞれ独自のカラーがあるようだし、問題も起きているようなところもあるようだな・・・そんで、ここのところにメッセージでいきなりイエスの言葉の「自分を捨て我に従え」などという言葉が入ってくると面食らうね。”従順”とか”良心”ということに特にこの国の人民は弱いからね。特に宗教がらみのそんな言葉には近づかない方が無難ということになるよな。
◆宗教がらみでなくても、不思議に思うのはマスコミもそうだけど、この国の人々は”寄らば大樹の影”、”勝てば官軍”まあ優勢な方になびいて、私もいい方の(優勢な方の)一人だもんね・・と無責任になっていく傾向があるのね。んで、弱くなった方の反論できないようなことをいいことにあれこれ、三面記事のように言い始めるのだ。でも、ブログを書いている人は、曲がりなりにも自分の言葉でしっかり書いていると思うし、自分の生きる”核”を持っている思うのだ。”~まったり~♪ 記事”でも、僕はその人がこの世に生まれて、とにもかくにもその人の人生の今を生きていると考えると、不思議な感動みたいなものが湧いてくるのだ。まあ、これには第一に心の余裕がないといけないけどね・・・。
◆マスメディアはそこんところを売りに特に芸能界記事でなんやかやとやるわけ、それは少なくとも読む側、見る側は金出しているし優位に立っているという心理的なものがあるからだな。ということで、”自分の言葉で読む”というところに戻ってくることになるのです。今回はどうも理屈っぽいのは、僕が思っている聖書を読むということは、第94回目あたりに書いたけど、文字だけはわからないことでもそれを書いた人の状況、時代背景、当時の考え方などを知るともっと真実に書いていること、聖書であれば伝えたかったことが深く理解されてくるのだということを言いたいのだ。2016年の僕らが、都合のいいところを感動的に、たっぷり情緒的に言われたとして、確かにイエスは十分それに該当する方ではあろうけれど、それ以外の満たされていない部分がどうしても真空になっているものが残っているように思われて仕方がないのよ。おまけにというか、その道の方はその真空の部分の話は、難しい神学論など話し始めないといけないので聞く人がチンプンカンプンにならないように話さないのね。
◆イエスはこういう方である、アーメン確かに、で実際、私はこの現実でどう生きればいいのさ、頭空っぽにして従えば、飯が食えるの?、信じて手をこまねいて空見上げていても何も変わらんし飴玉一つも降ってこないということなのだ。で、すっ飛ばして「ただ信じなさい」これはないんじゃないの? おまけに2016年のアメリカのwasp優位<ホワイト(白人)、アングロサクソン(大陸からの宗教改革者人種)、プロテスタント> とういう国は事実なにやっているか解らんじゃないのということでしょ。清教徒がアメリカがインデアンを蹴とばして第二次世界大戦のあとの1960年代以降のドル優位あたりまでだったんではないのということになるわな。・・・この◆記事には問題ありのクレームきそうなので、いつか別に書きたい。
◆んで、その道の方たちは ルター、カルヴァンは必須、おっと重要な古代の教父アウグスティヌスを決して忘れてはいけない。あたりからいきなり、現代に近い神学者からいろいろ学ぼうとしてもそれから何かを得られているのだろうけれどても、僕らにとっては不完全な小難しい人間の言葉にしか聞こえんわな・・・となる。そんな時にいろいろ雑学ごときも繁盛してくるのだな。今回は何を言いたいのか・・・それは、聖書を読みつつ、また僕らは彼らが歴史の中でいかにこの地上の現実と自分の言葉で戦ってきたかということを学ばないといけないのだよということを言いたいのである。実はそれが僕らもイエスの言葉を自分のものにするために知りたかったことなのだということが学んでいくとだんだんわかるのです。 ・・・  

世界のベストセラーを読む(162回目)とにかく神様と永遠に生きたいⅥ

2016-10-29 20:11:38 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
だんだん寒くなりましたね、この東北の地は。ハーローウィンで渋谷もこんばんはにぎわいそうだのニュース。このハローウィンもキリスト教に関係のないことは無いけれど今回は昨日の続き。秋田地方の海、男鹿半島では冬になるとハタハタという魚が海でたくさんとれるのね。メスはブリコという1ミリくらいのつぶつぶの卵をたくさんおなかに抱えてとれるので、オスより人気でお値段が高い、昔はたくさんとれて、秋田音頭という民謡の歌詞にもなっているよ。ところでこれから書くことは、僕の空想、だけれど何でかなという僕の例の頭の虫が考え込んでしまうんだな。でどんなこと考えていたかというと・・・。
◆昔は、といっても日本書紀とか古事記とか書かれる前のこと。そもそもそれが書かれる文字が日本独自になかった以前でも人々は、大陸と行ったり来たりしていたのだということは明らかなんだね。日本の歴史は中央目線でしか書かれていないから、特に昔と言わず近代でも知られていないことが、というか公にされていないことがたくさんあって、もう少し多様な歴史であっても、事実はその通りとして無視することなくきちんと教えるべきと思うのだね。だいぶ前にも載せましたけど秋田美人のポスターになった写真を載せるね。前にも書きましたが僕が仕事で出張のとき、東京品川の駅内の歩行道路に全部ずーとこのポスターがぶら下がっていたのを見たときはびっくらこいたよ。で、何を言いたいか、この人の血筋には大陸のロシア系が入っているなと思ったの。それは、お相撲さんで北海道出身の大鵬さんという力士さんがいたでしょ。あの方はロシア人とのハーフなのね。んで、秋田美人の涼しげな目のあたりがそっくりなのだね。ということは、世界三大美人と言われた秋田出の小野小町さんもきっとそうだったと思うのね。”はなのいろはうつりにけりないたずらにわがみよにふるながめせしまに”という歌を作って百人一首にあるのね、その挿絵、後ろ姿なんだな・・・残念!この歌もうら悲しくていいでしょ。たくさんの男から言い寄られるのは疲れると思ったのか、こんな美貌でもやつれて老いていく無情を読んだ歌なのか・・・。今回はどんどん脱線だけれど軌道修正して・・・
◆先の回の紹介本では僕が思っていたことが書かれていて嬉しかったことを書いた。その痕跡は今も日本の到るところで見ることができる。それは直接、結びつけられるものも無くなってはいるけれど、なぜなんだろうと考えると突飛で証拠は無いけれどそう考えられなくもないなという”落ち”のところで自己満足することにしているのだ。で、これから書くのは僕の説・・・
◇秋田の冬にとれるハタハタという魚の名前の由来は、その取り方の技術を教えてくれた”秦(ハタ)”という大陸から来た技術集団から教わったものなのだ。この集団は、かなり古くイスラエルの失われた十部族に類する集団であろうと考えられる。それは、従って、日本各地に神をまつる社を造ったのであると考える。だからその集団の部族ごとに○○神社という同じような名前の神社が日本各地にあるし、それがイスラエルの移動時期の神を礼拝する”幕や”のつくりにそっくりとなっているのである。当然、それは東北の地にも来ていた。山伏が頭につけるトキンという黒い箱もユダヤ古来のレビがつけていたものだし、神主もその家の世襲制になったいるのもレビはそうだったからなのだ。源義経の先方は天狗に教わったものと言われていたし、この天狗は鼻が高く日本人ばなれ、虎の巻きもユダヤの戒律”トラー”の巻物からなのだ。・・・おお、ここまで書くとまじめなその道の方から叱られそうだ。でもおもしろい。イエスに近づくことなら何でも考えてしまうぞ僕は・・・。秦氏の謎は本もたくさん出ているから読まれたし、だだ僕の空想は載っていないようだ。最後にハタハタという漢字はどう書くと思います? 「鰰」と書くのです。(変換したら出てきたぞ)・・・「魚」編に「神」なのだ。この魚が毎年冬にたくさんとれた時に「秦秦」と叫んで感謝して喜んだで捕ったのだ。秦氏が何を信じていたかその魚の漢字が表しているんだな。漁民はそれを忘れず今年も鰰が捕れるのを心待ちにしているのです・・・。 Ω 

 

世界のベストセラーを読む(161回目)とにかく神様と永遠に生きたいⅤ

2016-10-28 21:53:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ベストセラーを読むと言って、この日記の最初からは、来年宗教改革から500年と言うことでマルチン・ルターさんがご推薦の福音書を読むのであればヨハネ伝をといことから、ずっと読んできた。はじめの方からね。途中で僕の敬愛する八木誠一先生の1970年に訳されたふえん(敷衍)訳というのを書いてきた。これはまだ途中ですけど。そして、どうして、ルターさんは、そう言ったのかを考察してきた。曰く、使徒ヨハネさんは一番長生きし、イエスの業にあずかった人々と実際に生活を共にしたという承認であるらしいことが分かってきた。つまり、よみがえったラザロや会堂から放り出された目が開いた盲人たちと・・・。その事実のように、イエスを信じれば、復活の命にあなたも預かることができるという揺るがない信仰を獲得して、それを維持してまた伝道をしなくてはいけないと今まで以上に思わされたことであったのだ。ちなみに僕の好きな新約聖書で惹かれる箇所は、ヨハネ伝第9章と第11章、それから次は、第20章後半のトマスさんのところなのだ。それは、事実なのだと生々しい書き方をしているでしょ。ラザロさんなんか死んでから4日も立ってますから臭いますとか、トマスが十字架にかけられたイエスの手の釘の穴に指を入れてみないと信じないとか言わせているところ。話は飛ぶけど・・・
◆で107回目に乗せた本の紹介をもう一度するから、是非立ち読みでもして欲しいな。
この方の書いたのは、別の本でも同様の内容で読むことができると思う。レムナントの久保有政さんなんかの本とか共著もあるね。久保さんのはyoutubeでも見ることができるから興味のある方は見られるといいですね。
◆僕は小さいことから神社がどうして日本のあちこちにあるんだろう、そして一つ奥にまたつながっている小さな社があるのだろうと不思議に思っていたのね。鳥居は何の意味なの、鳥が止まるのかなとか、それと諏訪神社とか八幡神社とか同じ名前の神社があるし・・・。それを知りたいと思っていたんだね。それから、あの疑い深いと言われたトマスさんがインドまで伝道に行ってそこで殉教したという話を聞いていたのだな。その他、もろもろずっと昔、失われたユダヤ人達は、日本に来ていたんだろうなきっとと思っていたのね。訳のわからない民謡のかけ声、漢字もね、羊なんかいないのにどうして「祥」という字はめでたいのとか・・・それから僕の実家は真言宗なんだけど、唐に行った空海さんはそこで景教(ネストリウス派キリスト教)に触れていたということも小説で知っていたのだ。ぼんやり思っていた回答がこの本に書いてあって嬉しくなったのね。それから仏教で言えば浄土真宗はキリスト教に似ていると言われるでしょ。悪人正機説。昔はお隣、中国からの漢文で来た宗教書はすべて仏教だと思っていたのね・・・親鸞さんが読んで大切にしていたのはどうもイエスの説いたことだったらしいとか。僕はとにもかくにもイエスに結びつくのは真実かどうか自分の言葉で確認してみないといけないと思っているのだね。だから納得すれば、それはそれで知識が広がって、この国の歴史においてもそうだったのかと理解してくれる方がひとりでも多く起こされてこの国の先理解のこととして、もっとひっかかりなくイエスに近づけるのではないかなと思っているのです。
◆いずれにしろ、イエスをしれば知るほど今の時代が分かるように思われるし、知的視野が広がって、おまけにイエスの霊は生きて信じた者をサポートしてくれているし、死んでも永遠に生きると保証してくれているから、こんなにいいことは無いのではないかと思ってしまうのね。あとは恐れを催すすべてのしがらみを振り切って”祈ればいいのだ”ということになるのだね。どうぞひとりでも多くの方が自分の言葉でイエスと対話されるまでにならんことを祈ります。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(160回目)とにかく神様と永遠に生きたいⅣ

2016-10-27 22:51:05 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
”とにかく~”・・・なかなかいい表題かもと思ってしまっている・・・というのは、理屈はともかく神様は、「私が(神が)地上に送られた私の独り子イエスをとにもかくにも救い主(キリスト)として信じなさい!」であるのだから。どうもここまで言ってもいまいちふにゃふにゃに思われるのであるならば、いくらでも権威をもって小難しいことは言えるのですぞ・・・ということだ。なんと言っても世界の歴史のある著名な大学は、神様を知る学問、神学というのは頂点にあったのだから。たった独りのイエスについて今までも宇宙工学か神学かといわれるくらい研究されて来たのね。イエスを知る限り、知ろうとする人がいる限り、そのひとりひとりにイエスがおられるのだからね。これはすごいぞ。だから、いつもどんなにへこたれそうになってもだね 「わたし(イエス)がいるぞ!」とその方が側におられることを信じて(感じて)胸を張ることだな。
◆今日は暗くて風が強くて、疲れて眠くてしんどい・・・今日は、そういう中で僕の臨終の時にこの言葉を言うだろうという言葉を紹介して終わろうと思う。
 「イエスよ、あんたが御国(みくに)の権威をもっておいでになる時は、わたしを思い出してください」。
                                   (ルカによる福音書第23章42節)
この男はイエスと共に十字架にかけられた一人だった。どんな人生を送って来たのかは分からない。しかし、人生最後に自分を認め、イエスを信じた。そして、イエスに保証され一番はじめにパラダイスに行った男になったのだった。・・・ Ω