『青臭い宇宙人<新人>👽』が現れた・・・いきなり、頑張って話始めた。彼は地上の信者の中に一時入り、同期して聖書を読み始めて、その地上での体験を話し始めた。・・・結構、りきんで興奮しているぞ!・・・こうしている内に今年2022年も残る1日になったな。・・・少し偉そうに、新しい年にはその本質を語ろうと思う、と言う。
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そこに、『かつて現れたアルファベット👽の誰だかが』おとなびて『青臭い神人(新人)』と会話をし始めた。まぁ、そう全うに話しても宗教オタクのことだから、この国の誰からも相手にされまい。地球上の人類に関係のあることなのだが、殆どの人は足下も見ていないのに五感に振り回されて、まさに天上の我らのことさえも考えてはいないのだから、と諭す。
過去からまさしく我らは『天にますまします・・・』であったし、地上の人々と事実やりとりもあった。だから、一部の人は我々を神の人とか、天使とか、まるで地上の普通の人と語るように対話をした。当然、我々との対面は華々しい畏敬の念とあるときは恐怖をもたらしたものだったが。
同じ”命ある人”を言うこと聞かないが故に抹殺したし、今から見れば訳の分からん指示も出したと思われるだろう。皆が嫌うのは、旧約時代の好戦的な神の存在であるだろう。それは今の判断で読むからだのだなぁ。あぁ、人は生きている実際の判断基準からしか思考しないものなのだ。
それだから信仰の父と呼ばれる我らが選んだアブラハム(多くの国民の父)が、あの地から出でよ!と指示を受けたのは、古代の烏合の衆のように降り立った、そして自らを崇めさせんとする多くの神々からの脱出の指示だった訳である。あのメソポタミアの地一体に。あそこには地下資源、油があったしなぁ。
無論、存在した彼らは地上の多くの人に今も多くの影響を及ばしている訳である。我々の科学技術はあなたらの技術とは途轍もなくかけ離れて進んでいることは何度も述べてきた。霊魂も進んだ量子力学によって将来解明されることになるだろう、それはかなり遠い先のことだと思われるか?。
時折ニュースで流れる、NASAが薦めているアルテミス計画。それは欧米では分かる名前だ。ギリシャの神の名前である。新約聖書の使徒言行録19章に書いてある。エフェソという町での騒動が書かれている。神社でその神模像や神殿にちなむ模型を売ってもうけの生業というのはいつの時代も変わらぬものか、という思いである。それで、なぜ今に古き神の名前の計画かと言われれば、それはまさに古来の名前のだけのものだからだ。・・・世界に知られる生きてる神の名前をつけるとそれでなくても大いに騒動となるだろうからな。
人の創造者が救済の歴史として地上のシナリオが書き始められた時、我らの仲間が人の創造に嫉妬して自らを唯一の創造者として人からの賞賛を得ようと試験段階でのフライング(人は神のようになれるとの善悪の判断を人の知識で判断する仕組みは与えてしまったが)を起こしたが故に、その地上の人の健全さの再建と健常維持の監視を行ったのが、サレムの王メルキゼデクであった。初回から述べているこの名前を覚えていて欲しい。サレムとはエルサレムのサレムである。シャローム(平安)である。
聖書の箇所は、創世記14:18-20、詩編110:4、ヘブル人への手紙6:10-11、6:20、7:1-21である。何故、覚えて欲しいかといえば、書かれた以上にこの世の牧師は説教に取り上げることはまず無いし(出来ないという方が正しい)、詳しい解説書も殆どない。出エジプト以前の神と言えば、地方の多々ある部族間の古来からの神々だけの研究だけなのである。さらにその先と言えば、我々の地上での実験の痕跡にしか、しかも化石、・・・多くの言葉に残るであろうものの痕跡は我々が消したのだ。
神はアフリカで地上の人創造の実験をし、完成工程においてオーブンで焼いたが焼きすぎて黒人になった。次に火加減と時間を調整したが今度は不足気味で白すぎて白人になった。最後にちょうどいい焼き具合で中間の黄色人種ができて、だから黄色人種が最も地球上で多いのであるとか・・・これはまともに我々に残っているたわ話である。
さらにこんなのもある。今に至るまで多くの文書の偽造も真実のように作成された。真実は抹殺したもの多くあると言った方が正しい。神の名において権限において偽造された文書。文字で意味することを理解できるようになってからもだ、このようなことが今もプロパガンダとしてそうだと信じて疑いも無く生存している地球上の人々。何故、カトリックでは教皇が唯一、神の代理人なのか、そういう歴史と基となってしまったイシドール文書なるものもあなたらの多くは知らないだろう。
仮想世界に我々は生きているのだろうか。如何に選ばれた人以外に我々と直接コンタクトをとることが難しいか、いな、素直に受け入れればあなたは息をして存在してこれを読んでいるのだから、あなたを包むその(我々の)存在を霊的に感じることができる。M・ルターが読むならヨハネ伝とガラテア書を読め、と勧めたのは一人ひとりを生かす『霊』のことが書いてあるからである。それが分かれば、真理の一端が分かるであろう。
********『霊の秘密?』
我らも崇める地上の人の創造者に於いては、その方の存在を忘れず、現に地上にも多く黒子が存在していることと、さらにはその途中過程の学習者や、更に進んだ者は、新たに誕生した命にインカーネーションして、能力あるその人自身になっている者もあり、進んでは学習しなおそうとする者は、男女の性的交わりのエクスタシーのどさくさにこの地上での再生を願って肉体に入り込もうとする霊となる者もある。今生に復帰して再実現をしようとする霊が多数、あなたらの廻りにはいるからである。さらには、他の霊的影響を受けた浮遊する霊は、弱い霊をもつ人の霊のポートの隙をついて、出たり入ったりする者もいる。肉体に対する仕組みの触りもいつか述べよう。
霊は、肉体を媒介とするものだから霊は霊を引きつけ、複雑極まりないものとなってきた。我らの究極の霊のクラウドに繋がらなければ、行き着くところ地上からの行き場の無い消滅にしかならざるを得ないとなる。悪霊は常に現実世界で肉体の命の消滅を企んでいるのだ。フライング起こしたサタンは、肉体をもつ自らの手下をこしらえ、あるいは消滅以降の悪霊を吹き込ませるべく、ひ弱な霊を探し求めて今もこの世をうろつき回っているのである。イエスが悪霊を追い出した話が多数あるな。彼らは、戦争を起こし人命が失われるのをほくそ笑んでいる。
多くの者は考えて見たところで何の事やらだろうが、述べたこれらのことは実はとても重要なことである。自己省察で見える事が多くあるのだが、思いが自己肯定が危機状態にならんとする時、さらに実際自らの肉体にマイナスのイメージ、困窮や普段のストレス、更には命が危険にさらされるとなった場合、いまも地球の裏側では戦争が起こり、人命が損なわれようとも、まともな我らの救い主の誕生の祝いの灯火は消えることはなかった。彼のもとで、実に多くの人々がその悩みに対する救いの言葉(解決策)を残していることを信じて欲しい。我々(あなたら)の悩みは過去の誰かが悩んで解決していることを忘れてはいけないよ。
戦争は嫌だ!そういうと同時に冷静に実体を思い、そこから訴えてみてはどうなのか。地球の裏側での戦争、何人の人が死んでいるのか?いくばくの兵器がそのための金がつぎ込まれたのか?町が破壊され、多くの文化財、歴史が破壊されたのか、されていくのか?・・・生きていれば多くの人がこの地上に貢献もしただろうに。元の状態に幾ばくのお金と時間が掛かるかなど、あなたの国も実に優秀な人材が戦争で命を落としているのであることを決して忘れてはいけない。
********ここで『青臭い宇宙人<新人>👽』がいきなり話始めた。経験を話しているようだが、目線が当人かあるいは他者に映るのか、語りの主語が動く・・・
『主をあがめよ!』 何の事やらのこの言葉は、この地上の牧師が第一に思うことであると。信仰者らに奨励することである。言わんとすることは、我々、最も神が創造し愛したもう人らの天上におけるシナリオが一人ひとりに働いているということでそれを知らしむべく最高位の『主』(ここでは黒子ではないX)と呼ばれる方が居られるということであり、この方を知り崇めなさい、ということなのである。知ろうと努めること、そうすれば”崇める”ということの意味が理解されよう、という訳だ。今も生きて働き給う方をと。
いままでの読者であれば何のことなのかと推察が付くかも知れない。地上の実働部隊の人の姿となった黒子達、シナリオライターの黒子X、その他、見えないが人に関わる霊としての黒子x達。それらの上位の彼らが崇拝する名前も付けようがない至高の存在としての『主』と呼ばれる方。リアリティーを持って現れた基督・イエス、その方。天に帰還し、自身の霊、真理の霊、つまり聖霊を送られる方、その『主』を崇めよ! と。何故か、死亡率100%の人に対して、誰も逃れられないこの事実からの解放、彼を見る者は実体として復活するであろうことを証明したからである。
まず、第一に、何千年にも渡って通奏低音のごとく、人類の歴史の深層に流れていて、それを書き留めてきた黒子達。それが見えて来た時に第一に不思議な思いにさせられて、それがやはりそういうもっと上位の黒子のシナリオライターが居たのだろうと思わざるを得なくなってきたことである。聖書の中にその不思議さを読む。さらに古代この国に多くの彼らのDNAを持った部族が押しかけていたことは述べてきた。こらいからの彼ら部族は、部族毎にこの地と天をつなぐ秘訣(黒子X:預言者)を引き連れてきているのである。それは、この国の各地に大きな神社がある理由であることは述べてきた。
ベストセラー、そのままでは心情的にもまさにドラマというものもその物語は読んでつまらないものであるが。面白いとかつまらないなどの判断はなぜ、生じるのかと・・・それは、なんども述べたように誰でもが話に対する先理解がないからでだろう。誰でもが思う、聖書を読むと分からなかった初体験、物語の字ずらを読んでも無論、なんのことやら。過去の俳句や短歌などそれまでの日本文化を知らない外国人が読んでもこの短文の言葉の背後にどのような背景があって書かれたものかを理解せよ、といってもすぐにはその心情までくみ取るのは難しいのと同様なことであろうか。
言葉以外にも我らは歴史、伝統、文化が異なるのであるからなのであろうが、なぜこのようなものを読んで信者になったりするのであろうか、と。まして、信仰をもって自分の命まで失ったというのだから。・・・それは、自分の先理解たる認識が乏しいからだろうと思わせられてくる。それを克服したいからそれなりの勉強(本読むだけだが)したいと思わせられてくる。背景をしれば知るほど、誰が書いたのかが知りたくなる。
しかし、思えば彼が教えてくれるというのだ。生きている彼が内面から語ってくれるというのである。生きて魂を持っている者らに!
『求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見いださん。紋を叩け、さらば、開かれん。すべて求むる者は与えられ、尋ねる者は見いだし、門を叩く者は開かれるであろう!』
天地創造の初めから、終末という未来の歴史的水平次元の時間の中で、今というこの瞬間にある自分という垂直次元の瞬間に生きている私達ひとりひとりに語りたもう神の霊(聖霊)があるというのである。それは実感できるものである。・・・続く