marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その10)『神の国の証人ブルームハルト親子』の教えてくれること

2024-09-16 21:21:21 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

本に掲載のこの方が、ゴットリービン・ディトゥスです。   父ブルームハルトの墓(奥にある小さな墓はゴットリービンのもの)。子のブルームハルトも社会的に大きな働きをなして、時代に大きな影響を与えました。

***********

 父ブルームハルトです。  子のブルームハルトです。

***********

カール・バルトの全集を殆ど訳された井上良雄先生が書かれた、『神の国の証人ブルームハルト親子』から、誰でもが本当だろうかと思うような実話をかいつまんで抜粋してきました。20世紀最大といわれた神学者カール・バルトにも非常に影響を与えた事件だった。 

子のブルームハルトも当時のドイツで社会的に大きな働きをなした方です。今も働き給うと言われる神の言葉に、我々は何を学ぶべきか。

特に、奇怪な面白おかしい物語、当時の多くの人が見て、周囲の町々の人も押しかけるような事件に、我々は何を学ぶべきだろうか。

今では、その事件は女性特有のヒステリーだったというかもしれない。しかし、現代も、病名を特定したとしても、直せるだろうか、否、だろう。

殆どの病気とはそもそもそうだろう。最終、神が与える治癒力によってであり、人はそのサポートしているだけにすぎないのだから。

素直に僕らは、イエスを信ずるとはどういうことかと、今もなお一層、考えて見なくてはいけない。イエスは、聖霊として、今も生きて働いて、求める人々の側におられるというのだから。

親子が体験とその時代において教えてくれるのは、あらゆる知識、あらゆる学問を超えても、最終、いっさいの介在物を除いて、素直に神の言葉を受け入れることなのであることを教えてくれている。(これが、なかなか難しいんだけれどもねぇ!)

彼(イエス)を信じるとき、その本来、障害は一切ないのだけれども、それは罪深い我らが自ら作っていたものなのである、ということなのだろうと思う。

「自分を捨て、我に従え。」このイエスの言葉を、こういうことか、と自分なりに理解するにはかなりの時間が掛かりましたねぇ。

・・・謙遜を失いつつあるとき僕はいつもこの本を読み直すだろう。   終わります。


(その9)話の終わり『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-16 10:15:35 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。(『神の国の証人ブルームハルト親子』〔井上良雄 著:新教出版 より)

***********

ブルームハルトの戦い、というよりは、ブルームハルトを通しての主イエスの戦いは、そのようなものであったが、その戦いも、終わる時が来た。それは1843年12月24日から28日におよぶクリスマスの期間のことであった。

その頃、それまで起こったさまざまな奇怪な出来事は、いよいよその度を加えて来ていた。ことに、それまで起こらなかったこととしては、暗黒の力の襲撃は、ゴッドリービンに対してだけなく、彼女の半盲の兄のゲオルクや姉のカタリーナにまで及んだ。

ブルームハルトは、この3人とともに、絶望的と思われる戦いを、戦わなければならなかった。それは、「勝利か、さもなければ死か」というように、一切をかけて戦わなければならない戦いであったと、ブルームハルト自身が語っている。

兄のゲオルグは、間もなく正常に戻ったが、カタリーナの状態はいよいよ悪化して行って、狂乱状態になって、ブルームハートに襲い掛かってくるので、誰も近寄ることが出来ないような有様になった。

ところが、12月27日から28日にかけての真夜中ごろ、予測できないことが起こった。それは、ブルームハルトの「報告書」によれば次のような出来事である。

「・・・すると、娘〔カタリーナ〕の喉から、何度か、恐らく15分ぐらいは続いたであろうが、絶望の叫びが発せられた。それは、そのために家が壊れると思われるほど震撼的な強さを持つ声であった。私はそれ以上に恐ろしいものを、考えることができない。

・・・やがて遂に、もっとも感動的な瞬間が来た。それは、それを目で見、耳で聞いた証人でなければ誰も十分に想像できないような瞬間であった。

朝の2時に、娘は頭と上半身を、椅子の背にのけぞらせていたが、『サタンとなった天使』と称するものが、人間の喉から出ると思えないような声で、『イエスは勝利者だ。イエスは勝利者だ』と、吠えるように叫んだ。

この言葉は、それを聞いた周りの人々に理解され、忘れることのできない印象を与えた。・・・やがて、悪霊の威力と力は、一瞬ごとに奪われていくように見えた。

悪霊は次第に静かになり、おとなしくなり、次第にその運動が鈍くなり、ついには全く認めることができない程に消滅してしまった。それは、瀕死の人の生命の光が消えていくのと、同じであった。しかし、それは、ようやく朝の8時ごろのことであった。」

***********

これが2年に渡る「戦い」の結果であった。すなわち、それは、単にカタリーナにとってだけでなく、ゴッドリービンにとっても、癒しの時だったのである。

彼女らに、まだしばらく多少は異常な兆候が残りはしたが、それは、「崩壊してしまった建物の残骸」、あるいは「自ずから失敗に終わった暗黒の試み」(ブルームハルト)にすぎなかった。

ゴットリービンの一家は、長い苦しみから解放されて正常な生活に帰った。ことに、ゴッドリービンは、その後、ブルームハルトの家庭に入り、家事や育児に関してのブルームハルト夫人の忠実な助け手となる。

また、メットリンゲンでもパート・ボル(次に移った隣町)でも、ブルームハルトに助けを求めて集まってくる人々・・・ことに精神障害に苦しむ人々を扱うのに、彼女は欠くことのできない人となったのである。

*********** 

(※著者の考察は、多く挟まれており、キリスト教をかじった人には、沢山の示唆が述べられています。ただ、『エクソシスト』とう怖い映画のモデルとなったであろう、この実話はこの辺で終わることと致します。著者の本文を一部省略してますが、特にその部分を、そのまま抜粋し、掲載しました。)


(その8)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-15 09:08:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。(『神の国の証人ブルームハルト親子』〔井上良雄 著:新教出版 より)

************

この事件からもう30年経った頃,、晩年のブルームハルトとが、このころのことを振り返って書いている。「この戦いの中にあって、私は、後退できないままに、次第に深く、暗黒の未開の凶悪の中へと、引き込まれていった。

そして、そのもとで、私は、暗黒の人格的な力と、いわば(私はそれ以外の表現を知らないが)『肉薄戦』を行った。しかし、それと同時に、私は密かに、より高い支えと主の特別な交わりとを自覚するようになったのだ。」

*****

しかし、その場合、その戦いがブルームハルトとの戦いでありつつ、もはや彼の戦いではなかったということにも、注意しておかなくてはならないだろう。彼の自覚においては、戦いの主体は彼自身ではなくて、主イエスであった。彼を通して、主イエスが戦い給うたのであった。

それ故に、ブルームハルトは、「あの時、主が戸を叩き給うた。それで、私は、彼の為に戸を開いただけだ」と、言うことができた。

*****

ブルームハルトにとって、神の国は、もちろん人間が作り出すものではなかった。しかしそれと同時に、それは人間が手をつかねて、その到来を待っているようなものでもなかった。彼にとっては、この地上で起こるすべてのことが、神の国にとって意味を持つものであった。

人間は、自己の戦いによって、この地上における、神の歴史に参与すべきものであった。従って、神の国の到来と人間の戦いは、あれかこれかというようなものではなくて、両者は緊密に結合しているものであった。

従って、静寂主義か能動主義かというような二者択一は彼にはなかった。

**********

さて、われわれは、あの出来事の跡を追わなければならない。

前述したように、ブルームハルトがゴットリービンの問題に没入してばゆけばゆくほど、事態はいよいよ悪化していくように見えた。彼女が倒れれば、ブルームハルト自身も倒れるのではないかと、危ぶまれるようになった時、友人たちはみな、彼に、もうこの問題から手を引くようにと勧告した。

しかし、彼は、もし自分がゴッドリービンから手を引くようなことがあれば、彼女がどのようになるだろうかと、思わざるを得なかった。

その頃の心境を、彼は「報告書」に、次のように書いている。

「私は、自分が網に囚われているのを感じた。単に目を引くと言うことでは、私は、その網から、自分にとっても他の人々にとっても危険を起こすことなしに、逃れることはできないのであった。

その上、私は、自分自身に対しても、また私があのように祈り、また信頼している主に対しても、そしてあのように助けの示しを与えてくださった主に対しても、悪魔に屈服するなどということは、恥ずべきことであった。

私はしばしば自身に問わざるを得なかった。

主とは、誰だろうか、と。すると主である方に対する信頼において、私の中に、繰り返し次のような声が聞えた。

『前進せよ。イエスが蛇の頭を踏み砕き給うたということが、もし偽りでなければ、最も深い淵に降ってゆくことになっても、良き目標に導かれるに違いないと』と。

************

ブルームハルトは、祈りと神の言葉以外のものでは戦おうとはしなかった。

1842年8月に、ゴットリービンがが彼を訪ねて、極度に達したその苦しみを訴えた時、彼は書いている。

「私がこの悲嘆している娘を見たときに、そのような暗黒の可能性と救助の不可能性に戦慄しました。私はそういう悪霊による様々な禍いを防ぐ不思議な術を持っていると言われる人々のいること、そして、身分の高い人も低い人もいつも絶対的な敬意を表している神秘的な方法を、思い浮かべました。

自分もやはり、そういうものに目を向けるべきなのだろうか。しかし、それは私がこれまでずっと確信してきたように、悪魔を悪魔で追い払うということです。・・・私は、いつも祈りと神の御言葉という真の武器に固執するように自分を導いてくださった神を、賛美します。

彼女が今捕えられているこのようなサタンの力に対して、信仰による祈りは、何事かをなし得ないのだろうかという思いが、私の頭をよぎりました。ここで上からの助けを求めて、もしそれが与えられないとすれば、 私たちの憐れな人間は、何をすべきだというのだろうか。

ここでサタンが働いているのであれば、それを放置しておくのは、正しいことだろうか。・・・そのような思いで、私は、ほかに何の手の施しようもないこの事おいても、祈りの力への信仰に、集中しました。」(z115以下)

さらに、ブルームハルトは医術による治療を排除するなどということは、もちろんしなかった。このことは「弁明書」の中に会話詳しく書いています。

・・・今までの実話もそろそろ最後となります。  ・・・つづく


(その7)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-14 09:09:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきます。(『神の国の証人ブルームハルト親子』〔井上良雄 著:新教出版 より)

※(私見)今までの話は架空の物語ではなく、実際にその記録が残されていることです。著者は、冒頭に書きましたが、20世紀最大の神学者カール・バルト全集を翻訳された、その道の大家であり、そのカール・バルトにも決定的な影響を与えた事件であったということです。

※(〃)今まで書いた記録の間に、著者の思いが述べられており、僕らはそのまま、読んで過ぎ去ってしまう事件ではなく、今も、命あり生存している、尚且つ、死亡率100%の我々は、真摯に思ってみなくてはならないことであると同時に、信仰における敬虔さ深く思わされます。

************* 

(今までの記録に、更にブルームハルトの「戦い」は続いていきます。)

ゴットリービン自身の苦しみは、この出来事があっても、それで終わったのでもなければ、軽減したのでもなかった。

その日の夜の十時には、再び前にもまさる苦しみが始まり、ブルームハルトが駆けつけて、彼女に祈らせると、覚醒するが、やがてまた発作が始まる。

そのような状態が継続して行く。そして、ゴットリービンは、単に悪霊に苦しめられるというだけでなく、彼女自身が悪魔と一つになって、彼女の口から悪魔の言葉が語られるようになる。

そして、ブルームハルトは、そういう悪霊たちと、会話を交わす。時には、彼女が恐ろしい形相でブルームハルトに襲い掛かろうとすることもあり、また時には、マタイ伝8章の悪霊のように、ブルームハルトに愁訴する悪霊も出現する。

さらに1843年になると、ゴットリービンの病気は、一層異常の度を加えて、砂やガラスの破片を吐いたり、普通の人間なら当然死ぬほど大量の鼻血が出て、それがいつまでも止まらないというようなことが起こる。

そして、彼女は時には全くの錯乱状態に陥って、度々自殺の誘惑に駆られて、死の寸前に至る。

彼女の病気の不可解さは、ブルームハルト自身が、「それはすべての思いや理解を超えているのだから、上に述べたことを信用しない人がいても、私は、悪く思うわけにはいかない」と、書いてるほどである。

実際、彼の宗務局宛ての「報告書」は、荒唐無稽ともいうべき奇怪な出来事に満ちていて、「これまで馬鹿馬鹿しい民衆の迷信として考えられてきたすべてのことが、童話の世界から現実に移行したような」ゾッとする気持ちだと、彼自身が言っているとおりである。

しかし、我々にとって重要なのは、そのような個々の異様な現象そのものではないだろう。むしろ重要なのは、そのような現象の背後に、ブルームハルトが何を見たかということであり、それに対して彼がどのような対応をしたかということであるにちがいない。

************

・・・(この間に著書の洞察が書かれています。) ・・・つづきます。


(その6)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-13 09:23:12 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。『神の国の証人ブルームハルト親子』(井上良雄 著:新教出版 より)

***********

 ゴットリービンは、前述のように、ブルームハルトの計らいで、実家から離れて生活することになったが、しかしその苦しみはそれで終わることはなかった。

むしろ、それはブルームハルトとが介入するようになってから、いよいよ激しくなるように思われた。

あの怪しい物音や怪しい出来事は、彼女についてまわって離れなかった。その上、彼女は全身の痙攣を起こすようになり、それが次第に激しくなって、頻繁になっていって、5分間も安静にしていることがないというほどになった。

ある時は、そのような激しい痙攣のために彼女の寝ているベッドの骨組が壊れてしまった。・・・その様子を見ていた医師のシュペート博士が、目に涙を浮かべて「病人をこのような状態にしておくとは、この村に一人の牧師もいないのだと、人は思うかも知れない」と呟いた。

この言葉が、その場にいたブルームハルトの心を刺し貫いたようである。

 

それから間もない日曜日(それは6月26日と言われるが)の夕方に、ブルームハルトとの「戦い」の展開にとって重要な出来事が起こる。

この出来事については、ブルームハルト自身が、前述の宗務局宛ての「報告書」の中で詳細に語っている。

 

「日曜日の夕方、私はまた彼女のところに行った。彼女の友人も何人か、そこにいた。私は、黙って恐ろしい痙攣を見ていた。私は少し離れたところに座っていたが、彼女は腕をよじり、頭を脇の方に曲げ、からだを高く上の方へ湾曲させていた。

その口からは、泡が度々流れ出て来ていた。これまでの経過から見て、そこにはなにか悪魔的なものが働いているのだということは、私には明瞭だと思われた。

私には、これほど恐ろしい事態の中で、何の手段も助言も見出せないということが、苦痛であった。

そのようなことを考えている間に、一種の憤怒(Ingrimm)が私をとらえた。私は飛び出していって、彼女の硬直した手をつかみ、その指を、無理やりに、祈るときのように組み合わせ、意識を失った状態ではあったが、その耳に向かって、彼女の名を大声で叫んで言った。

『手を合わせて、主イエスよ、助けてくださいと、祈りなさい。私たちは、随分長い間、悪魔の仕業を見てきた。今度は、イエスがなさることを見よう』。

・・・すると、それから間もなく、彼女は覚醒し、私が言った祈りの言葉を繰り返し、痙攣は全く止んだ。それは、その場にいた者達にとって、非情な驚きであった。

それは、この問題のための活動へと、私を抗し難い力で、投げ入れた決定的な瞬間であった。私は、それまで、そのようなことは少しも考えていなかった。

そして今も、私を導いているのは、何か直接的な衝動である。私は、この衝動について、極めて強い印象を持っている。この直接的な衝動ということが、その後しばしば、私にとっての唯一の慰めであった。

なぜかと言えば、当時まだその恐ろしい展開を予想できなかった問題に、関わりを持つようになったのは、自分自身の選択や、思い上がりによることではないということを、この直接的な衝動ということが、私に確信させてくれたからである。」

・・・つづきます。