marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

旧約聖書ヨセフの物語を知っていますか。:親愛なるXへ(その11)

2022-02-25 18:11:54 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

そこには、小さな扉があって思わず覗き込みたくなる明るい電球がともっていたのだった。けれども近づくと姿の見えない童(わらべ)が囃子たてる声がして、今までじっとしていたその影が遊びだしてきゃくきゃと動き出すのだった。◆結婚して10年もたったころだったろうか。その人は言った。「ようやく、あなたという人が分かってきたような気がする。」その時、僕は小さなころ覚えた「人を理解するには1トンの塩が必要だ。」という言葉を思いだした。人は食事で塩をとって生きている。1トンの塩を消費するほどの人生を共に生きなければ人という相手は理解できないものなのだという格言のようなものなのだろう。◆自分自身でも理解できない自分という生き物。話し合いの中でも言葉以前に相手に動物的に自分の気にいるところがなければ、会話以前の気持ちで心を閉じてしまう。会話以前の問題だということだ。「なぜ、あなたはそうなのか。あなたはそういう人なのだ。」と、その理由を問うような会話はついになされはしなかった。誰でも話し合いがなされればというが、「あなたの実態はそうなのだ、もともと私の気に入る人ではなかったのだ」と思い込みと会話の拒絶というものは、そもそも女という生き物に本能的に自己防衛能力のように考えにしみついているもなのだろうか。◆それは、男女平等という言葉を理解はするが、そもそもの男、女の無言の前提があってのことだったのだろうと、あぁ、それならば決して男女平等にはならないのではないだろうか。相手の不誠実や甘えに対して、あなたは自分のことが分からないのか、私が理想としないことに対してあなたが目の前の障害であると責め立てるばかりでは。結婚は神の秘儀である、と言われていることに対して、そもそもそんな言葉よりあなたという現実に耐えられないと。◆彼女には、子供がいたがとても不器用であの大都会で一人で過ごしていけるような子供ではなかったと思う。彼女と旅する時は、いつも二人で立ち寄った海の見えるあの場所に、その近くにある病院にその子供は就職することになり、多くの患者を相手にする職業についた。彼女は話し合いを拒絶し「あなたとは二度と口もききたくない。」とそう言ってから、本当に口をきかなかった。話したくないという言葉は何度か聞いたけど。そして、一年後、ちょうど今頃。会社から帰ると、「今までありがとうございました。」と置手紙をおいて出て言った。若いころ都会の自分が住んでみたかったその地に就職したその子のそばに住んでいる。◆世界のベストセラーの旧約聖書のヨセフの物語を知っていますか。僕が旧約の中で最も好きな物語です。思い入れが入るのか涙腺が緩んでしまいます。人生とは、こういう摂理の中にあるものなのでしょう。きっと!


N牧師との会話:親愛なるXへ(その10)

2022-02-21 12:32:56 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

  ざっくばらんなこと、宗教家である僧侶や牧師という職業は、個人的なことは無論、公の場であまり私的な事は語らない。プロテスタントの牧師は個人的なことは説教の中であるいは、所謂、証(あかし=これは神にであった、出会ってからの体験談、教えられたことなどを表明すること)を話すことはあるかもしれないけれど。◆崇高な職業の中で、こちらド素人が注意しなければいけないことは、相手が宗教家だからと言って、人に関する事は何でも受け入れてくれるであろうと話しはじめるのは注意ものである。悪くは決して思わないまでも、精神的癒着にはとても注意を払う。神の繋がりの中でそれ以上に、人間界の横の霊的繋がりを優先するようなことは決してないのであるから。したがって、話が人間的に深まっても霊的次元で、神第一とする精神の安寧にいかなる状況のときにも心を切り替えることができる訓練がされているものである、と僕は思う。◆スターバックスコーヒー店で、雪降りの中、1時間ほど話した内容を記録する。①僕自身の地上に生まれて、イエスを信ずる体験をしてきたこと、それが僕の人生の今も続く宿題の解決だったろうこと。求める理由などという高尚な気持ちなどは先になくむしろ、全く悩みの中で解決策は必ずあるだろうと思って求めてきたこと ②死亡率100%なのに人の生まれている生存している理由、それは誰でも人生の意味を求める宿題を与えられているのであろうということ ③神学は大切だろうが、それは優先されるものではない、むしろ霊的体験、私という事実を人生で体験しつつあり、その芯がずれないように終活を迎えることが大切なではないかなど。僕は神学者カール・バルトより、ポール・テリッヒなどという話など。◆ところで、素朴な疑問。ヘブル語は右から左に書くが、巻物にどのように書くのか、を尋ねた。答えは羊皮紙などは巻物であるが、僕らがA4サイスで文章をタイプで打つように、ある長さのところで区切って(とういうのは巻物であるから書けばどこまでもずらずらと書けるから)一段下げて又、右から左へ書くのだそうである、ということだった。武家時代の手紙は紙(巻物)に筆で縦書きであるから、理解しやすいが、巻物に左から右へ横書きであるから、何かややこしいとずっと思っていた。しかし、日本は、古来、隣国から伝来した(持ち込まれた)ものであったから、僕の求めて来た、古代ユダヤ人が集団で東を求めて途中の国で統一を図りながらも自らの伝統を組み合わせて漢字として終結していったとすれば、筆字ではむしろ左からではなく、右から書いていった方が手が汚れないのになぁ、などということは、僕が子供の頃から疑問に思っていたことなのであった。しかし、古来、戦時中のポスターなど横書きになっても日本は右から左へ文字が書かれて読まれている。◆すると先生が言った。その話なども決して説教では出てこない内容であろうと思うが「『聖書の暗号』という本がありましてね、聖書に書かれた旧約聖書のヘブル語が、コンピュータを使わなければ分からないだろう数式のレトリックの並びで、書かれた文字が様々な世界の預言をしているというのです。」「あぁ、マイケル・ドロズニンとかいう人が書いたのではなかったですか。続編も、日本人の方が検証した本もすべて読みましたよ。過去に書かれたことに現代も予見された事実が、文字の並びから読み取れるということが書かれた本でしたね。反証ができないようですから、この辺から聖書は神からの啓示によって書かれた本だということを、大いに牧師さんたちは流布したらいいのになぁ、と僕は思っているのでしたが・・・」◆僕は、飲んだココアの代金をおごり、そこで分かれたのだが相手が女性だったから気が緩んだか、ちょと私的なことを話し過ぎたかな、と自責の念が生じた。帰宅途中、財布の紛失に気がつき、一度、店に戻った。そこでは客に立ってもらいテーブルの下まで探したが見当たらなかった。見つかったら連絡くださいと電話番号を教えて帰宅する。と、間違いなくきちんと探したのだが、と思っていた鞄の奥から財布がでてきたのだった。その時、心の中で4年前亡くなったお袋の声がした。「私の気まずいことはもう決して話さないように!」と。・・・僕は、書かれた文字より、やはりこちら(霊)の方を信ずるんだなぁ。僕はパウロの手紙、ロマ書7章を思い出した。


不思議なこの国の見えない深層形成に努めた古代からの黒子たち:親愛なるXへ(その9)

2022-02-19 18:12:39 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

◆日本にキリスト教を伝えたと言われるフランシス・コザビエルが、キリスト教を伝えて来た中で今までにどの国にもない勤勉さがこの国の人々にはあることに驚きを持って書かれた手紙が残っていることを、知っている方が多いかと思う。伝えられたのは1549年と言われているが、事実は起源前からすでにこの国にはその宣教の余波が来ていたのである。あの空海が長安の都に行ったとき、キリスト教(ネストリウス派:マリアはイエスの母ではあるが神の母とは言えないで分離された派)が多く広まっていたのであるから。今も僕の町には至る所にある庚申塚(石碑)、これは道教だと言われるがいずれ海を渡ってきた信仰心の多くの形象を見ることができる。しかし、イエスの霊や聖餐なんどの意味合いを人々に伝えるのはその理由の形がない故に至難のことだった。ザビエルは一時、神は大日如来であると例えで知らせ宣教しようとしたくらいであったから。◆対象の見えない心のよりどころに対して仏教は仏像として目に見える対象物を持ち込んだ。新しい宗教を持ち込んで採用し、横暴を極めたのが蘇我氏だった。物部と蘇我との争いは知られたとおり。敗れた物部はこの東北の地に多く逃れ来た。◆紀元前に東へ移動した失われたイスラエル10部族と言われる人々は、途中に様々な国つくりや又、試練を通して太陽の上る国、東のこの島国までたどり順次着くことになる。知られている徐福などもその一団だったのかもしれない。その中で、大陸途中で旧約聖書(彼らにとっては「聖書」)に言われてきた救い主(キリスト)の誕生を知った集団「秦氏」はキリスト教に改宗したという。その部族が、先に来ていた部族との仲で元を辿れば、唯一の神を信ずる者達の一団としてこの国を形成していくのである。秦氏がこの国に至る所にある「八幡」という社を創建し、土地や山や、人の名前までにその痕跡を残すことになる。実に古い神で、日本の精神性の根本をなしていっているものである。◆武士は戦いを好み、功成り名を残して・・・という以前、その文字が統一的にまとめられて歴史などが書かれる前の古い時代にすでに多くのその礎をなしたであろういう実に多くの渡来した帰化人がこの国に同化していたのである。「記紀」以前の書かれぬ多くの歴史は、実に関東や東北にあるのだ。僕の住んでいる裏の小高い山は古代多くの隣国からの渡来人が来ていた。歴史に残る遣隋使や遣唐使の渡航歴回数などより遙かに多くの回数で、隣国から海を渡りこの地に渡って来ていたのである。だから海外からの勅使のための水洗トイレの跡まで今は遺跡となって整備されている。◆順次、渡来した人々はそれぞれの部族において礼拝所を作る。それぞれに神との間を取り持つレビ(司祭、神道での神主)をもち、大手では太陽の昇る日本の端、香取や鹿島、そして伊勢などに大本の礼拝所をもつことになった。諏訪神社やその他、様々な神社をつくるようにも見られてくるが、実は最も正当なといおうか、天地創造の唯一の神を心に持ち、多くの技術人をつれて大きくこの国に貢献したのは全国に「八幡(ヤー・ハタ)神」を広めたのは秦氏であったろう。◆聖徳太子が亡くなられてから1400年、彼のブレーンだった秦河勝が知られているが、彼の名前と活躍は歴史上に殆ど名前が出てこない。しかし、太子の活躍をみればどのようなプロデュースがあったのかが推察できそうだ。この国の発展に多く貢献したのに、この部族はそれそれ名前を変えて日本各地に散ったのか、天皇には多く貢献したことは知られているが、表舞台内は決して出ないで黒子に徹底したのであった。今、世界のベストセラーといわれる聖書の旧約を読むと、その歴史において様々な12部族間でも争いもあり、それぞれは争いもあった。最後に国はなくなり世界に離散するが、捕囚にあってもその地で政治の中枢に入って復興の為に画策したレビ達がいたことが分かるのである。彼らの代々の末裔が、この国に帰化し理想の国作りの徹するため、いざとなればその黒子としておもてにはでない策士となって、背後にあって結集し、立たせ、壊し、生かし、殺し、歴史を前進させたことが理解されてくるのである。古代からのこの国の深層、実に深いところの精神性を形成する礎ともなっているものである。それは決して言葉にならない宗教性をもつものだから決して表だって言語化されず、従って歴史の上にも残っていないものなのである。◆世界のベストセラー旧約聖書は預言者(神の言葉を預かり伝える者)の書いた記録が多く見れる。聖徳太子のブレーンだった秦河勝は、秦氏というレビ預言者集団の一員でもあった。ということは未来も予見でき記録を残したであろう、古代ユダ人が多く関東に住みついたことが知られる関東で武士が起こってきて徳川家康がこの国の中心に江戸を持って来たのは、家康は古代からのそれらの記録を読んで知っており、天海僧などのブレーンがいてそれを知って戦乱のない世を築いていったのである。その預言書は、国立国会図書館の奥に今も眠っている。


鎌倉殿の13人、この国を動かしてきた精神性のDNAについて:親愛なるXへ(その8)

2022-02-18 12:47:57 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

草彅 剛の名前の名字「彅」の由来は、東北制覇に任命されたあの源義家にちなんだものらしい。NHKの「日本人のお名前」で出て来て、その名前の由来は秋田市内から13号線にのって田沢湖にいく途中の民芸座の「わらび座」が近くなって来た道沿いにその名前の部落は確かにあった。草彅部落と表示されている。昔、名字をもらうということは大層名誉なことであった。その部落民が、義家が通るために雑草の草刈りを総出でおこない、協力したがゆえにその「草彅」という名字を義家に賜ったということだった。義家は弓矢の名手で、その行先の草をなぎ倒して前を切り開いて、道を開け続けた故にその褒美として、分かるようにと「弓」(これは義家)の「前」の草を「刀」で「なぎ」倒して道を開いたから、この漢字が作られつけられたのだそうである。◆ところで、どうしてあの時代、彼は八幡太郎義家と言われたのであろう。八幡という名前そして、鎌倉幕府が開かれて今もそこにあるのは「八幡神社」である。「源」は、元々、八幡信仰なのである。それで、調べていくと日本中にある八幡神社の八幡とは、古来、多くの技術集団を持ち込んだ秦氏が信仰する神であったということが「神道大辞典」などに数行書いてある。その他、千葉にある同時に鹿島、鹿取なども古代帰化人が持ち込んで定着させたものだという。神宮という頭がついているから伊勢神宮と同格のクラスの高い地位の神社だった。その点、八幡という名前は至る所、神社や山や土地の名称、住所にまでそれがある。古代、秦氏はあたらし国作りをこの島国につくろうとこの国の隅々に使者を派遣したんだろうな。大変な技術を持った大集団だったらしいから、守り神である八幡(一節は、ヤー<旧約の神>ハタ<秦>)を意味したんではなかろうか。秦氏は、youtubeなどでも見ることができるが、中国の歴史においても「秦(しん)」という法律により統一した国を作り、自由を求めたその後の漢に敗れたが、その際、多くの秦の末裔がこの国に来たのあった。雅楽の東儀さんがいるが、はっきり祖先が秦の末裔であると話されている。◆聖書などを長年学んでいると何故なのだろうと疑問がいっぱい湧いてくる。新約聖書は、パウロが現在のトルコから西に福音を伝えて、西欧のキリスト教国の礎をつくった流れがあるけれど、起源前、ヤコブ12部族はモーゼからエジプトからの脱出ののち今のカナンの地に割り当ての地が与えられた。もともとカナン人が住んでいたのだがそれが今ももめている元凶。最終、北イスラエルと南ユダに分裂、アッシリヤやのちにバビロン捕囚などで国はなくなり世界に離散することになるが(紀元前)、北、南以外の残りの10部族は東への大移動があったらしい。今のイスラエル国歌にも東へ向かうという言葉があるらしい。秦の国の成立の歴史を見るともともとはあの戦国群雄割拠時代、西から来た牧畜民族であったと言われている。王に取り入るよう画策するロフイという男はレビ(ユダヤ人レビ)であったろうということだ。それぞれの部族は、移動式の礼拝所、それを司るレビ(司祭)がついて回り、それが最終日本に順次、渡来し帰化してそれぞれの神社を創建したものだろうと。◆レビは世襲制であったように日本の神主も世襲制である。帰化したレビは僧として天狗としても知られているが、平和であったが14000年も続いた縄文時代、この日本に歴史を進ませるために革命や画策をしはじめるユダヤ人が神の摂理として多く帰化したその黒子としてこの歴史の背後からこの国に姿をあらわしたのであった。この国に順次来た部族は、理想の国作りを目指した、中には中臣鎌足(後の藤原)のように天皇を巻き込み、仏教を政治に利用し、一族繁栄のみを画策した逸脱した帰化人の流れもあったが、底辺なるこの国の深層を流れていたのは、国土の平安で争いのない平和で豊かな国作りを目指したのであった。だから古代に大国主の尊などの国譲り物語などがあったのだろう。◆太陽が昇り、あがめる山々が有り、清い水の流れる川が流れる島国。日本の戦乱の世、その背後には長い将来を目指したそれは、古代神道が旧約聖書に係わる天地創造なる唯一の神の御心をもって理想の国作りをした決して表には出てこない、歴史としては文字に表されないこない黒子の思いが流れているのである。「源」は本来の源流を示す根のようなものだと、いざという時には政治も党派も関係ない唯一の神への思いをもって結集する。だから、それにそぐわないと思った時は、延暦寺も焼き討ちにし(織田信長)、上皇も島流しにし、平家にあらずば人にあらずと豪語した平家も滅ぼし、平等院鳳凰堂(個人のみの安楽)や同じ渡来の血をもち古代から天皇に食い込み、仏教を政治利用で画策し続けてきた藤原一族を岩手平泉で「源」は征伐したのであった。◆平和を願いもっとも長い武家社会をつくったのは260年つづいた徳川政権であろう。徳川家も「源」を名乗っているのである。源家茂などと書かれた手紙がきちんと残っているから。幼少の頃から人質に取られたりし辛酸を嘗めた家康が、どうして松平から徳川をなのったのだろう。その起源は、在原が旅の僧を養子としたことから始まるが、これがまさに黒子(レビのDNAを持つ)だった。そして、背後にあってサポートし続けた天海という謎の僧、天台宗といわれるが彼もそうなのである。この国の精神性には争いを好まない、しかし、同時に生き物としての怠慢さを併せ持つ人の歴史を考えた時、僕は神様というのはどうしたものか知らないが、そういう人類を創造され実際歴史を動かす神という存在をひとりのこらずこの国の人は何がしか感じ持っているのではないか。この国の歴史を学ぶとき、切った貼ったの行動を起こす思いの裏にとても次元の高い、あるはとても深い深層なる理由が流れていると思わざるを得ないのである。・・・


それは誰が決めたのか?阿保ボーイは考えている、決められたルールがあるなんて:親愛なるXへの手紙(その7)

2022-02-17 07:07:07 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 地上に人という生命を誕生させようとしたとき、その霊的次元で地上の人という肉体に命を吹き込むと、さていつの時代の誰をどの国にどこのどういう親の元に生まれさせようかと神様は、悩むのではないだろうか。それはあまりに高い次元の話だからそれはそれとして・・・。◆御幼少のころから、阿保ボーイだったからというか、分からんことがあまりに多すぎた。世の人々がそれは決まり事だからとなんとも思っていないことに、いや、あるいは僕と同じ思いを持つ人もいるだろうけれど。人は人が決められたルールのもとに生きなければいけないなんて。自然にあるがまま、人は生きてはいけないのであると・・・。しかし、そう時代を進ませたのは、やはり高い次元の神様らしいというのは、最近ようやく分かってきたことなのであった。時代もそれを開示してきたのではないだろうか。一つ、北海道・北東北縄文遺跡群がユネスコ文化遺産に登録となった。14000年もの長い時代、縄文時代と呼ばれるこの国は争いもなく一応存在したのである。僕の裏手の小高い丘には縄文期の貝塚の遺跡があって、エジプトのピラミッドがある時代より1500年も前、それは三内丸山遺跡とも同時代らしいのだが、あったのであると看板が立っている。平和な時代があっても人がこれではただ生まれてては、生き、死んでいくただの動物と同じではないか、と神様は思われたのに違いない。ただ地上の糧を得るための呪術として、私(神)を望んで崇め奉るだけでは、いけないと。・・・そこで、人類の移動をさせたのであるが、これは長い長い人類の物語となるのである。つまり、全人類に神様の御存在と、大目的である神の元での永遠の存在を病んでいる地球から救済し(いずれ地球という星も他の星と同じように必ず将来崩壊するのだから)、つまりそれが、「救い」と言われるものであり、「浄土へ行く」ということであり、住むところの「涅槃」というものであるかもしれないのだが、ともに選ばれた者たちが永遠に生きるということになるのである・・・らしい。◆話が高尚になったようだが、ガクンと話を前に戻して、その幼稚な疑問とは、そもそもこのボーイはほんまの阿保なのかと思われるようなルールに対する疑問なのであった。それが、どんなことかと言えば・・・