marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(355回目)やはり歴史は作られてきたのか・・・なぁ

2017-05-31 21:26:53 | 思想・哲学
 表題は、文字として残る記録が改ざんされているとかという意味ではなくて、恣意的にそのような実際の結果がなるように先を読んで情報を操作するなりして、人の大衆迎合や心理状態までをアテンドして自らがそうなったという記録が結果として残るようにすること・・・つまりは歴史とは過去の記録のみではなく、過去にそのように残るようにこれからくる時間と状況、人の(大衆の)心理を操作することににより歴史が意図的に作られてきたのかなぁ・・・という意味です。今回の内容を理解されるには、ここ数回の5月のブログを続けてお読みください。んで・・・ この辺は聖書を読むとしてもかなりアンダーグランウンドのジャンルに入ってきているかと思います。けれども実は、聖書など読んだことがなくとも学研のミステリーマガジン”ムー”に出てきたなぁとその手の方の興味を引かれる秘密結社の話・・・そう、特にアメリカの1ドル紙幣の裏面ピラミッドの上の三角の中の”目”フリーメーソンの暗躍です。
◆前回354回の最後の◆の文章・・・自分でさらりと書きながらやはり気になって仕方がなかったのです。5月も今日で終わり。ここ数日、ブログをお休みして再読していた本があった。10年以上も前の本の再読ですが「あやつられた龍馬」(加治将一著 祥伝社)    僕の中では一続きなのですが、イギリス革命、フランス革命、アメリカ革命・・・、そしてこの本では明治維新。今も世界で起こっている戦争の事。副題は ”明治維新と英国諜報部そしてフリーメーソン”。
◆挙げればいろいろ・・・それからどうして皇太子はイギリスに留学されているのか、ブータンの国王ご夫婦もイギリスの留学されておられた。ガンジーそうだし、ミャンマーのアウンサンスーチーさんもそうだったな・・・。眞子様はICU(国際基督教大学)だし・・・、やはり、このあたりに落としどころがあったかという感じの数日間でした。それから旧約聖書の預言書などに、これからの成り立ちが詳しく書かれている箇所があったりする。預言者の中でも当時の政治中枢の高官になっている人物などもいるからその書かれた預言書はあまりに具体的なので今読んでも当時の歴史を詳しくしらないと分からない(今読める世界史などで分かる物ではないくらい詳しいもの)。どうなのだろう、実際、現在も同様な世界の動きを将来にわたって作ろうとしているのは、政治、経済でも推論ができそうです。
◆これからすれば、ジャンヌ・ダルクとか、天草四郎とか、最近では細川ガラシャ(グレース=神様の恵という意)夫人も裏で恣意的な意図で政治に担ぎ出されて歴史に残っているといった具合であるという見方ができる、実際にあるキリスト教派では最後の夫人は某イエズス会にその信仰を利用され人質にとろうとしたが自害され武士の面目を潰し、自分たちに戦況を有利に運んだ画策だったという話。
◆司馬遼太郎の小説の夢を与えていいいが、僕は歴史で知られている著名な話には必ず裏がると思っているので胡散臭いなと思っていたのがやはりという腑に落ちた訳。序章と後書きだけでも一読をお勧めします(今の世界も見えてくると思うので・・・)。
◆彼らの基本理念は「自由」「平等」「博愛」であるとすれば、まさにこれは、僕らが世界史で学んだフランス革命の旗印の理念であったのだ。彼らは、先に書いたがカトリックの宗教支配が大嫌い。よって旧約聖書は好むらしい。至高神を崇拝するなら宗教問わずとのこと。啓蒙主義で理性で世界を変えようとしていた訳です。よってフランスの哲学者シモーヌ・ヴェーユは神を待ち続けたのです。
◆後書きに著者は書きます。「物事を知るには、フリーメーソンとキリスト教が助けになった。」と。そして明治維新において(おそらく今もだろうけれど)歴史に残さない彼らの考え「日本において、体制の変化が起きているとすればそれは日本人だけから端を発しているように見えなければならない」(1866年4月26日ハモンド外務次官からパークス在日公使宛公文書)というのが終章の最後。聖書を学ぶことによって世界の動きがよく見えてくるということですね。・・・ Ω 

世界のベストセラーを読む(354回目)余談:映画”スノーデン”を見た・・・

2017-05-26 21:27:08 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 今回は、毛色の違ったお話です。
◆あまり詳しく書くとこれもインターネットでのブログであるので、いろいろな点で不都合、不具合も予想されることからと少し大げさに2~3書いてみました。それにしてもハードメーカーは日本はすべてにおいてダントツ(優秀)でしたがこれは仕様と材料と資金があれば世界中のどこでも製造できるわけで日本のメーカーは大変でしたね(ですね。今も・・・)。肝心な所を握っていればハードはただの壊れる機械に過ぎませんで、ハードメーカーとしては、アプリで自分のサバーにもつなげるようにしますが結構維持費が大変なのです。
◆複雑な事情は詳しく立ち入りません。スマホやインターネットで検索、メールなどをやられている方は、この映画機会があればご覧になってください。本も出てました、中学時代の友人からもらったもの。監督はこの手のオリバー・ストーン。
◆スノーデンさんが物議を醸すまでもなく以前から、ネットを深く使用されている方は、この辺の所(マイクロソフト、グーグルさんあたりの情報管理)は推察がなんとなく分かっていたのではないでしょうか。 特に企業で使用されている所はかなりお金をかけて日夜、実態が分かってシステム防御に励んでいる。遅かりしの感ありでしたが。
◆以下、短く僕のコメント。
1)そもそもインターネットは戦争における技術開発であったところ、冷戦も終わりそれを商売に転じた技術に利用してきたのではなかったか。従って、長期的な戦略の元に進められているのであって、肝心要のハードの技術的なところはイケイケどんどん(オープンに作らせる・・・僕が仕事で台湾出張時先方からいただいた記念品 )ですが、肝心な所は渡されていない(その先の用途利用を考える)。当然、ハードは普及してくれば値段が下がる。一時、バージョンアップなどで新規更新もハード・メーカーを助けたけど、それもネットで個人情報の公機関とのやりとりが進められることによって、簡単にハードも替えられなくなってきた。マイナンバーの普及度は、未だどうなのかしらと思います。100%になったのかなぁ。
2)映画の中ではスノーデンさんは日本にも来てお仕事したのですね。諜報は日本でも行われていたとのこと。日本は情報収集には困難が生じない。恋人と富士山に登ろうという会話も、Dellに務めた後にご優秀な彼は引き抜きに・・・。で、作りもしっかりして来てきているけどお安い値段のハードは、頻繁に使用する方はそれなりにきちんと信頼のあるブロバイダーを選ばないといけないと個人的に思ってます。
3)個人情報はあけすけですね。実はどんなに頑張っても。個人で対抗するにはまず無理です。
4)映画の中での戦い。生命と個人財産などを採取することによって、人と他の国を操作するのをやめて欲しい・・・。しかし、どうしようもない政治であっても手段を選ばず先操作するのはやめて欲しいな。スノーデン曰く、独裁に繋がっていると(経済に結びつく最終結末はヨハネ黙示録に)。政治的世論操作さらに、命に関わる操作、諜報取得。例えば、選挙など・・・。世論に影響を与えるような先生方や宗教家、無論、政治家などの情報はすべてといっていいくらい集められているのですね。
◆世界のベストセラー聖書を読むに何の関係があるのか・・・ですが、「相手を知り己を知れば百戦危うからず」でこれを地で行っている訳です。しかも、表だった戦いをせず事はそれなりに望む方向に自ら向かうべく、事前の周辺操作を時間をかけて行う訳です。それは普段には分からない。無論、意図的なことも不明だから歴史的要因も分からない。結果だけの記録が歴史(できごと)として残って行くだけです。聖書で言えば、少し旧約時代を垣間見ます。そして、新約・・・(マタイ:4章8~10節)、時代は進みヨハネ黙示録の終末に近づいていっているのです(と僕が思っているだけ)・・・ Ω  

世界のベストセラーを読む(353回目)何を情報源としているのか、判断基準は何か

2017-05-24 22:40:58 | 聖書・聖句
 昨日からの続きです。 
◆日本は国家のために宗教を利用しようとしてきた歴史を持つ。西欧のそれは述べてきたとおり宗教が断然にすべてを支配していてそれからの自立の長い格闘があったということでした。
 昨日の先生は1934年戦前生まれ、ちょうど国際連盟脱退通告の次の年、2.26事件の2年前(といっても昨日紹介の本は今から12年前の出版(初版)であってそれほど古いと言うわけでもない。)今回紹介する先生は1947年戦後生まれです。1945年に敗戦を迎えたので、誕生した年によって、これだけ明白な憲法に対する考えが異なるかと考えさせられます。是非ではなく、学者ばかりと言わず、人というものは、時代、伝統、因習、慣習、などによりいかに考えが制限されているのか考えさせられます
◆つまり、その人間のこうだと発言し態度決定をする場合、その個人は何を根本の判断基準としているかということです。「知性は情念の奴隷である」とはヒュームの言葉であることを過去に紹介しました。言葉にするつまり、知性はなかなか言葉にできえない情念を源に発信され、その情念は自分で選択できない、しかも意識もしえない環境からのすべてのしがらみがまとわりついているとすれば、ここでも僕は、自己認識を明確にすることの限界、知識の限界、普遍性を語ることの有限性についてもしっかりまずは、理解しないといけないのではないかと思わされるのですね。
◆それで戦後生まれの今回の憲法学者(戦後生まれのこの先生は、樋口陽一です)のそれに関連する記事から・・・要約すると
 17世紀のはじめころ、徳川幕府は切支丹弾圧のため檀家制度を作ったが(お寺は今の市役所のような働きをも行っていたのだが)仏教は「葬式仏教」に変質せしめられていきます。19世紀の明治国家を形作るにあたり大日本帝国憲法の実質的生みの親とも言われる伊藤博文はこのような言葉を紹介していますと。
「そもそも欧州においては憲法政治萌せること千余年・・・、かの地には宗教なるものありて之が基軸をなしてきた。仏教は今や力は無く、幕府の下請け状態、神道も同様に社会の力になるものではないと。」伊藤が出した結論は、「この日本で機軸たるべきものは、ひとり皇室これあるのみ。」・・・
◆それで、日本中を天皇・皇室を機軸にするとしてもそもそもの実質的な権威付けのために国家神道を作ったという訳です。そこでは、伊勢神宮を頂点としてピラミッド式に全国の神社の統廃合が強いて行われたのが国家神道だった。また、日本国憲法に影響を与えたのはこの「国王といえども神と法には従わねばならない」としたイギリス革命のその歴史を知っている、それがアメリカ革命にも影響を与えた伝統をもつ歴史を知っている人々が戦後関与したのだという広い歴史的視野を持った考えを提示されています。
◆今回は舌足らずの内容であったのですが、憲法に対するお二人の学者さんの見解を思うとき、改めて表題のことを考えた。つまり、僕らは、時代をそれぞれは生きて、その中でひとりひとりの見解を持ち、態度決定をしている訳です。その態度決定が大きく異なる方向性に向かうとか、思い込んだら押し通して、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのようになってしまうのはいかがなものだろうかということ。かといって、体制側にあんのんと思考、態度決定を委ねてしまうのはいかがなものだろうかと考えるのである。
◆何を情報源としているのか、判断基準は何か、学者の知識おそるに足らずであるというのが今回の僕の言いたいことでした。
 ******************************************
 わが子よ。わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして 知恵に耳を傾け 英知に心を向けるなら 分別に呼びかけ 英知に向かって声を上げるなら 銀を求めるようにそれを尋ね 宝物を求めるように それを捜すなら あなたは主を畏れることを知り 神を知ることに到達するであろう      (旧約:箴言2章1~5節 新共同訳)・・・Ω 

 

世界のベストセラーを読む(352回目)政教分離、カインとアベルの謎と日本国憲法言論

2017-05-23 20:20:12 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 下記に書くのは、某大学でテキストにも使用されていると思われる憲法学者の「政教分離」の項の解説の一部です。「日本国憲法原論」という本ですがまもなく5月が終わるが、憲法を改正すると現政府の総理が語っているので、少し勉強かねて古本やで数冊購入したものの一冊。
◆また、旧約聖書の方のそれは、創世記第4章に「カインとアベル」の話があるのは、知っている方もおられると思うが兄カインが弟のアベルを殺害した話。その原因は、神様への捧げ物にあったこと。
 その数節を書いてみます。それで、「日本国憲法原論」の文書と「旧約聖書第4章」(新共同訳)の掲載部分を読まれて、神様は何を考えているのかなぁと考えて見てください。
◆「日本国憲法原論」から(著者名、出版社はあえて書きません)
 政治とは、もともと「まつりごと」、即ち全人民を代表して天に対し無病息災・五穀豊穣を祈願することであった。科学の発達していない古代においては、天の加護を祈ることのみが有効な手立てと考えられたから、人民の願いを天に通じさせる能力を持つことが統治者の不可欠の条件であった。この本質は以後も変わることなく中世の絶対君主は王権神授説によって神との特別の関係を強調しなければならなかったし、旧憲法下の我が国でも「大日本帝国は天孫降臨の神勅により創建された神聖な国家であるとする」神道の教義により、統治者たる「天皇の地位が宗教的に根拠づけられ・・・祭祀(まつり)と国政(まつりごと)とが一致」せしめられたのである。それ故、「政教分離」が文字通りに解されるとすれば、自己矛盾というほかない。両者がほぼ完全に一致する古代から、文明の進歩に伴って分離が信仰し宗教色が薄待ていくのが人類の歴史であるとしても、完全に分裂するということはあり得ないと断言できる。
◆旧約聖書「創世記第4章1節~8節まで」
 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げものとして持ってきた。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
 主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もし、お前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口でお前を待ち伏せしており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
 
◆学者さんの年代によってカラーが出るのかもしれません。次回、他の学者さんの意見も少し述べます・・・。続く 

世界のベストセラーを読む(351回目)哲学者 シモーヌ・ヴェーユ 余韻 

2017-05-22 22:19:07 | 思想・哲学
 フランソワーズ・モレシャンという方が、NHKラジオでの再放送で語っていたこと。フランスでは、自分の意見をしっかりいいますがこの日本では、遠慮しているのかなかなか人々ははっきり自分の意見を言いません。なぜでしょうかと・・・。それは、フランスというお国柄、理性優先の啓蒙主義が力を増して宗教教育から人間の自立を奪いとったという歴史もひとつの要因があったからですとなります。(※ここだけの話、宗教から離脱し理性的な啓蒙主義が起こされてきた背景には、どこにも彼らの事は記載ないけれど、それは今でもだが・・・歴史の中で人類に普遍性を持つような動向が起こり始めている場合、僕は背後に天地創造の神を信じている選ばれし人々(ヘブル人→イスラエル人→ユダヤ人)の民族の、マックス・ヴェヴァーに言わせれば「エートス」、神学者大木英夫に言わせれば「イデー・フォルス」のようなものが働いていた人々の活動があったのだろうなと感じるようになった。なぜなら唐突に一人の人が論文書いても、大衆に盛り上げるエネルギ-というものが事前に無ければ歴史に残るような大きな動きにはならないだろうと思うからです。・・・だから背後で彼らの下準備がされていたと・・・旧約を読んでいくと今もそのようなことが行われているようだなと思われてくるのです。)さて、
◆たわいのない会話では、話をするが一つ大上段に構えて政治の話などは日常の会話には、自分の意見ということが出てこない。それはこの国の人々がどうのこうのと言うより、まずはそのように教育を受けて来なかったからでしょうと。ひとこと周囲と異なる言葉が発せられると、例えそれが正しいと思われることでも、その内容についての是非が問われない。「和をもって尊しとなす」が善いこととされてきて、ひとりで判断し責任を持つということが起こると、それはできないという無責任な事になっているのがほとんどであると思われる。「和をもって尊しとなす」であれば、法律はいらなくなる。それは、結局、人間が理解し、決め、行動をすること・・・つまり、どこまで行っても「人間学」(自己認識)の話に向かっていくからなのです。
◆とすれば、世界的なグローバル化が起こり、他の文化、伝統(しきたり)などが異なる人との交流はどうなるのかということで、この地上に生きている人としての共通な願いは最低限、守られるべしとして、人間が生きる権利としての「人権」というものが生まれてくることになります。このような普遍性をもちつつ、同時に「自分とは何か(自己分析)」が普段に行われていかないといけないものと思われます。詰まるところ、プロテスタントでは「罪」の問題を抜きにして、キリストを考えることはありえない。それは、神との関係が的外れになっている状態をいうが、決して道徳的な良心の問題に関わることが優先する事ではない。多くの人はこれでつまずく。むしろ「欠陥」といった方が適切か。
◆今、ヨーロッパで問題となっている移民の問題。ヨーロッパでの大戦以降の民族に対する考えの行き過ぎと僕は思う。「人権」問題と「人道」を混乱させているのではないだろうか。もし、それがキリスト教から来ているとすれば、大きな隙が出てきていると言わざるを得ないと思う。イスラムの人たちは、黙っていても出生率でまさっているから、今にヨーロッパはイスラム国の人々に蹂躙されるだろう。(是非は抜きにして・・・)
◆数年前、ISという言葉も周知始められたころだったか、フランスの若い女性二人が、IS集団にむかったと飛行場の登場ゲートを通り過ぎた映像がニュースで流れていたことがあった。ISの宣伝が盛んに流れていた時期だった。結局、乱暴されて殺されたそうだよ・・・。ヴェーユはフランス国を思い、イギリスの病院で食事を拒否して亡くなったそうだ。
もう一度、問いたい。あなたの隣人とは誰なのか。「よきサマリア人」と題がつけられている聖書にあるイエスの例え話ではあるが、それは、地上に人を創造された神がいつの時代も、すべてのしがらみから解放されて我々を招いている(神の)話なのである。なまじ「よき」などとついていると僕ら人間常識からの良心的判断が先行して、その言葉を理解するととんでもない常識に流されてしまうと言うことを理解しないといけないと思う。・・・ Ω