marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

“非公認”安倍派元幹部に挑むのは? “保守分裂”に有権者困惑

2024-10-12 08:47:50 | 社会学・政治
 
blogで個人的な名前を挙げるのは、注意なのだろうけれど、公になった政治家などの氏名はどこまで許されるか分からないが、その内容によるのだろうと思われる。
 
しかし、この国は、メディアも人の基本ベースがあって無いようなものと感ずるし、あっても動物としての(脳みその基本系)優位性や排他性、情欲やお金に関する情動に関することは、人として共通な先理解の分野にあたるだろうから、その点あたりで同調理解を得ようとする。
 
政治に関する大衆意見は、トランプさんがXでも自分の意見を流し始めて、多大な影響を及ぼすから、政治のコメントはこの国では要注意というわけだ。選挙に投票年齢がさがっても国の仕組みは教えても、その政治を考える言葉は、教えられない。大学あたりでようやく個人の意見を持つような、時代だった。少なくとも僕の時代は。自分の言葉で考える、というその土台としての自分を考えることば(哲学など)は、この国の伝統(学校教育)ではなかったと思う。
 
だから、あの時代、マルクス、エンゲルスなどのイデオロギーがこの国に影響を及ぼした時代、世界を変える人の言葉を文字で獲得したとき、学生らは頭脳にアピールするその考えに多くが共感した訳だと思う。言葉で観念としてだけの哲学に対して、自ら世を変える、実行する行動を起こす。「自由」を求めて。もう半世紀以上も前の年上の知人の書斎にはまだ、資本論とその哲人の書籍が並んでいるのだろうか。
 
肯定(優位性)や否定(排他性、批判など)は人と言う種にとっては、その動物的な志向から生まれつきありうるべき事。殆どの人は、そのような自分も人と言う生き物であるし、相対的に自分の意見の評価を都度してくれる人は、友人か連れ合いぐらいしかないと思われるが、その相談者、同意を得られるであろう人も、話す内容の先理解が共有化されていなければ、あまり生産性のある会話とはならないだろう。
 
この辺のことは、僕なりの課題なのだが、ボケ防止の為に、自分もいずれ次の世界にいくのだから、(命あるうち)意識のある内に言語化したい(理解したい)といつも思っているわけだ。
 
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さて、ぐっと卑近で個人的なこと。
 
今月(’24年10月27日)に国政選挙が行われるが、総裁選の2日前に議員当初から石破グループだった衆議院議員にメールした。おそらく、それは、石破さん本人にも渡ったろうと思う(こちらが勝手に思っているだけだけど)
 
その内容は、簡潔で『石破氏は、基督者であり、非常な読書家である。不正をする今までの自民党を多くのキリスト者は嫌いであるが、今回かれが首相になることを内心喜んでいると思う。総裁選の出陣式を地元の神社で行いましたね。小生は、嬉しかったですよ。』・・・それだけなんですけれどね。
 
よくこの国にの歴史を理解しているひとであれば、それは決して学校では学ぶことはなかったけれど、誰もがこの方は読書家で、この国の歴史を知っている人だと喜んだと思う。キリスト者は今までの自民党は嫌いな人が多かったけれど、内心みなが応援しているのではないか。
 
そのことを彼は所信表明の時に語られたでしょう。「私は、総理総裁選の出陣表明を地元の神社からさせていただいた。昔、神社であそんだものだ。そういう日本でありたい。」・・・確か、そんなこと。
 
古代、創造の神を(旧約の神を信じて東を求めて歩んだ人々の歴史があった)信じた人々、キリスト者も東を〔太陽を求めて)日本に来ていたんだよ。それが神道の起源である。学校では決して習わないけれどね。
 
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それは、今まで通いの政党(自民党)では、世界と戦えないと思っているからだね。彼の言論を注目していって欲しい。何を肯定し、何を否定するか。その意見に普遍性があるか、この国での多くの障害について。
 
だからまずは、身内の調和と闘いなのだ。それが世界を動かす彼が信じている神(天地の創造神と政を動かす神)と土着的宗教の闘いでもあるのだ。それが、表題の出来事である。連帯もできな野党では、世界とも戦えないことは周知のところだろう。
 
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この世界を見渡すと、結局、政治は宗教性の闘いなのではないだろうか。この国に於いて、長い時代を経た『神仏習合』、にわかに起こった明治初期の『廃物稀釈』。そして、戦争に突き進む。そして、敗戦。今も、基軸を自己の言葉で持てないこの国には、米国の言いなりである。
 
ここに於いて、人と言う生き物の愚かさが見えてこないだろうか。実際、人類は格段に生活水準も向上した。今は対立する昔は日本。今は中国。対立するまでの国力を向上させた、考えも豊かさも与えたは、欧米であった。
 
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それは戦略である神の業である。世界人類を創造し演出させている、破滅ゆくこの地球から、我々人類を救うべく、神の戦略なのである。そのことを無論、彼は知っているだろう。
 
彼の祖父は、金森通倫というプロテスタントの牧師であったことを忘れてはいけない。再度、書いておきます。・・・