◆ヨハネによる福音書◆ニコデモとの会話(第2章23節~)八木誠一訳(1970年)
23:イエスが過越の祭りの間エルサレムに滞在していたとき、イエスが行っていた徴を見て、沢山の人が彼を信じた。しかしその多くは単なる奇蹟信仰にとどまっていたので、イエス自身は常に彼等との間に距離を保っていた。
25:イエスには、人の心の中に何があるかがよく解っていたからである。イエスは人間のことについて人から教えを乞う必要はなかったのである。
3-1: 律法の研究と実践に専念するパリサイ人の中に、ニコデモという名の人がいた。ユダヤの最高法院の議員であった。この人は、人目を避けたのかあるいは学ぶ熱意からか、とにかく夜イエスのもとにきて言った。
2:「先生、私達はあなたが神からつかわされた教師であられることを知っています。何故といって、もし神がともに在したもうのでなければ、誰もあなたがなさるような奇蹟を行うことは出来ません」。
ユダヤ人にとって、奇蹟は教師の権威の証明でもあった。ニコデモはイエスの奇蹟を見て、教えを受けに来たのである。
しかしイエスは教えない。ニコデモと同じ前提に立ち、共通に承認された事柄から出発して、彼を導くことをしない。彼は真理自体として、いきなり第一義の真実をぶつける。ここでも真理は世の要求を一旦否定して、それをより高い意味でみたそうとするのである。イエスは言う。
3:「私は君に真実を告げる。人は新しく生まれなおさなければ、神の支配のもと入って救いに与ることは出来ない」。
新しく生まれなおす、こう言うより仕方ない事柄が事実ある。イエスはこの事柄の存在を告げる。それなのに、その事柄を知らないニコデモは、「生まれなおす」ということを生理的な意味にとってしまう。・・・つづく
23:イエスが過越の祭りの間エルサレムに滞在していたとき、イエスが行っていた徴を見て、沢山の人が彼を信じた。しかしその多くは単なる奇蹟信仰にとどまっていたので、イエス自身は常に彼等との間に距離を保っていた。
25:イエスには、人の心の中に何があるかがよく解っていたからである。イエスは人間のことについて人から教えを乞う必要はなかったのである。
3-1: 律法の研究と実践に専念するパリサイ人の中に、ニコデモという名の人がいた。ユダヤの最高法院の議員であった。この人は、人目を避けたのかあるいは学ぶ熱意からか、とにかく夜イエスのもとにきて言った。
2:「先生、私達はあなたが神からつかわされた教師であられることを知っています。何故といって、もし神がともに在したもうのでなければ、誰もあなたがなさるような奇蹟を行うことは出来ません」。
ユダヤ人にとって、奇蹟は教師の権威の証明でもあった。ニコデモはイエスの奇蹟を見て、教えを受けに来たのである。
しかしイエスは教えない。ニコデモと同じ前提に立ち、共通に承認された事柄から出発して、彼を導くことをしない。彼は真理自体として、いきなり第一義の真実をぶつける。ここでも真理は世の要求を一旦否定して、それをより高い意味でみたそうとするのである。イエスは言う。
3:「私は君に真実を告げる。人は新しく生まれなおさなければ、神の支配のもと入って救いに与ることは出来ない」。
新しく生まれなおす、こう言うより仕方ない事柄が事実ある。イエスはこの事柄の存在を告げる。それなのに、その事柄を知らないニコデモは、「生まれなおす」ということを生理的な意味にとってしまう。・・・つづく