marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その8)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-15 09:08:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。(『神の国の証人ブルームハルト親子』〔井上良雄 著:新教出版 より)

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この事件からもう30年経った頃,、晩年のブルームハルトとが、このころのことを振り返って書いている。「この戦いの中にあって、私は、後退できないままに、次第に深く、暗黒の未開の凶悪の中へと、引き込まれていった。

そして、そのもとで、私は、暗黒の人格的な力と、いわば(私はそれ以外の表現を知らないが)『肉薄戦』を行った。しかし、それと同時に、私は密かに、より高い支えと主の特別な交わりとを自覚するようになったのだ。」

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しかし、その場合、その戦いがブルームハルトとの戦いでありつつ、もはや彼の戦いではなかったということにも、注意しておかなくてはならないだろう。彼の自覚においては、戦いの主体は彼自身ではなくて、主イエスであった。彼を通して、主イエスが戦い給うたのであった。

それ故に、ブルームハルトは、「あの時、主が戸を叩き給うた。それで、私は、彼の為に戸を開いただけだ」と、言うことができた。

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ブルームハルトにとって、神の国は、もちろん人間が作り出すものではなかった。しかしそれと同時に、それは人間が手をつかねて、その到来を待っているようなものでもなかった。彼にとっては、この地上で起こるすべてのことが、神の国にとって意味を持つものであった。

人間は、自己の戦いによって、この地上における、神の歴史に参与すべきものであった。従って、神の国の到来と人間の戦いは、あれかこれかというようなものではなくて、両者は緊密に結合しているものであった。

従って、静寂主義か能動主義かというような二者択一は彼にはなかった。

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さて、われわれは、あの出来事の跡を追わなければならない。

前述したように、ブルームハルトがゴットリービンの問題に没入してばゆけばゆくほど、事態はいよいよ悪化していくように見えた。彼女が倒れれば、ブルームハルト自身も倒れるのではないかと、危ぶまれるようになった時、友人たちはみな、彼に、もうこの問題から手を引くようにと勧告した。

しかし、彼は、もし自分がゴッドリービンから手を引くようなことがあれば、彼女がどのようになるだろうかと、思わざるを得なかった。

その頃の心境を、彼は「報告書」に、次のように書いている。

「私は、自分が網に囚われているのを感じた。単に目を引くと言うことでは、私は、その網から、自分にとっても他の人々にとっても危険を起こすことなしに、逃れることはできないのであった。

その上、私は、自分自身に対しても、また私があのように祈り、また信頼している主に対しても、そしてあのように助けの示しを与えてくださった主に対しても、悪魔に屈服するなどということは、恥ずべきことであった。

私はしばしば自身に問わざるを得なかった。

主とは、誰だろうか、と。すると主である方に対する信頼において、私の中に、繰り返し次のような声が聞えた。

『前進せよ。イエスが蛇の頭を踏み砕き給うたということが、もし偽りでなければ、最も深い淵に降ってゆくことになっても、良き目標に導かれるに違いないと』と。

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ブルームハルトは、祈りと神の言葉以外のものでは戦おうとはしなかった。

1842年8月に、ゴットリービンがが彼を訪ねて、極度に達したその苦しみを訴えた時、彼は書いている。

「私がこの悲嘆している娘を見たときに、そのような暗黒の可能性と救助の不可能性に戦慄しました。私はそういう悪霊による様々な禍いを防ぐ不思議な術を持っていると言われる人々のいること、そして、身分の高い人も低い人もいつも絶対的な敬意を表している神秘的な方法を、思い浮かべました。

自分もやはり、そういうものに目を向けるべきなのだろうか。しかし、それは私がこれまでずっと確信してきたように、悪魔を悪魔で追い払うということです。・・・私は、いつも祈りと神の御言葉という真の武器に固執するように自分を導いてくださった神を、賛美します。

彼女が今捕えられているこのようなサタンの力に対して、信仰による祈りは、何事かをなし得ないのだろうかという思いが、私の頭をよぎりました。ここで上からの助けを求めて、もしそれが与えられないとすれば、 私たちの憐れな人間は、何をすべきだというのだろうか。

ここでサタンが働いているのであれば、それを放置しておくのは、正しいことだろうか。・・・そのような思いで、私は、ほかに何の手の施しようもないこの事おいても、祈りの力への信仰に、集中しました。」(z115以下)

さらに、ブルームハルトは医術による治療を排除するなどということは、もちろんしなかった。このことは「弁明書」の中に会話詳しく書いています。

・・・今までの実話もそろそろ最後となります。  ・・・つづく


(その7)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-14 09:09:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきます。(『神の国の証人ブルームハルト親子』〔井上良雄 著:新教出版 より)

※(私見)今までの話は架空の物語ではなく、実際にその記録が残されていることです。著者は、冒頭に書きましたが、20世紀最大の神学者カール・バルト全集を翻訳された、その道の大家であり、そのカール・バルトにも決定的な影響を与えた事件であったということです。

※(〃)今まで書いた記録の間に、著者の思いが述べられており、僕らはそのまま、読んで過ぎ去ってしまう事件ではなく、今も、命あり生存している、尚且つ、死亡率100%の我々は、真摯に思ってみなくてはならないことであると同時に、信仰における敬虔さ深く思わされます。

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(今までの記録に、更にブルームハルトの「戦い」は続いていきます。)

ゴットリービン自身の苦しみは、この出来事があっても、それで終わったのでもなければ、軽減したのでもなかった。

その日の夜の十時には、再び前にもまさる苦しみが始まり、ブルームハルトが駆けつけて、彼女に祈らせると、覚醒するが、やがてまた発作が始まる。

そのような状態が継続して行く。そして、ゴットリービンは、単に悪霊に苦しめられるというだけでなく、彼女自身が悪魔と一つになって、彼女の口から悪魔の言葉が語られるようになる。

そして、ブルームハルトは、そういう悪霊たちと、会話を交わす。時には、彼女が恐ろしい形相でブルームハルトに襲い掛かろうとすることもあり、また時には、マタイ伝8章の悪霊のように、ブルームハルトに愁訴する悪霊も出現する。

さらに1843年になると、ゴットリービンの病気は、一層異常の度を加えて、砂やガラスの破片を吐いたり、普通の人間なら当然死ぬほど大量の鼻血が出て、それがいつまでも止まらないというようなことが起こる。

そして、彼女は時には全くの錯乱状態に陥って、度々自殺の誘惑に駆られて、死の寸前に至る。

彼女の病気の不可解さは、ブルームハルト自身が、「それはすべての思いや理解を超えているのだから、上に述べたことを信用しない人がいても、私は、悪く思うわけにはいかない」と、書いてるほどである。

実際、彼の宗務局宛ての「報告書」は、荒唐無稽ともいうべき奇怪な出来事に満ちていて、「これまで馬鹿馬鹿しい民衆の迷信として考えられてきたすべてのことが、童話の世界から現実に移行したような」ゾッとする気持ちだと、彼自身が言っているとおりである。

しかし、我々にとって重要なのは、そのような個々の異様な現象そのものではないだろう。むしろ重要なのは、そのような現象の背後に、ブルームハルトが何を見たかということであり、それに対して彼がどのような対応をしたかということであるにちがいない。

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・・・(この間に著書の洞察が書かれています。) ・・・つづきます。


(その6)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-13 09:23:12 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。『神の国の証人ブルームハルト親子』(井上良雄 著:新教出版 より)

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 ゴットリービンは、前述のように、ブルームハルトの計らいで、実家から離れて生活することになったが、しかしその苦しみはそれで終わることはなかった。

むしろ、それはブルームハルトとが介入するようになってから、いよいよ激しくなるように思われた。

あの怪しい物音や怪しい出来事は、彼女についてまわって離れなかった。その上、彼女は全身の痙攣を起こすようになり、それが次第に激しくなって、頻繁になっていって、5分間も安静にしていることがないというほどになった。

ある時は、そのような激しい痙攣のために彼女の寝ているベッドの骨組が壊れてしまった。・・・その様子を見ていた医師のシュペート博士が、目に涙を浮かべて「病人をこのような状態にしておくとは、この村に一人の牧師もいないのだと、人は思うかも知れない」と呟いた。

この言葉が、その場にいたブルームハルトの心を刺し貫いたようである。

 

それから間もない日曜日(それは6月26日と言われるが)の夕方に、ブルームハルトとの「戦い」の展開にとって重要な出来事が起こる。

この出来事については、ブルームハルト自身が、前述の宗務局宛ての「報告書」の中で詳細に語っている。

 

「日曜日の夕方、私はまた彼女のところに行った。彼女の友人も何人か、そこにいた。私は、黙って恐ろしい痙攣を見ていた。私は少し離れたところに座っていたが、彼女は腕をよじり、頭を脇の方に曲げ、からだを高く上の方へ湾曲させていた。

その口からは、泡が度々流れ出て来ていた。これまでの経過から見て、そこにはなにか悪魔的なものが働いているのだということは、私には明瞭だと思われた。

私には、これほど恐ろしい事態の中で、何の手段も助言も見出せないということが、苦痛であった。

そのようなことを考えている間に、一種の憤怒(Ingrimm)が私をとらえた。私は飛び出していって、彼女の硬直した手をつかみ、その指を、無理やりに、祈るときのように組み合わせ、意識を失った状態ではあったが、その耳に向かって、彼女の名を大声で叫んで言った。

『手を合わせて、主イエスよ、助けてくださいと、祈りなさい。私たちは、随分長い間、悪魔の仕業を見てきた。今度は、イエスがなさることを見よう』。

・・・すると、それから間もなく、彼女は覚醒し、私が言った祈りの言葉を繰り返し、痙攣は全く止んだ。それは、その場にいた者達にとって、非情な驚きであった。

それは、この問題のための活動へと、私を抗し難い力で、投げ入れた決定的な瞬間であった。私は、それまで、そのようなことは少しも考えていなかった。

そして今も、私を導いているのは、何か直接的な衝動である。私は、この衝動について、極めて強い印象を持っている。この直接的な衝動ということが、その後しばしば、私にとっての唯一の慰めであった。

なぜかと言えば、当時まだその恐ろしい展開を予想できなかった問題に、関わりを持つようになったのは、自分自身の選択や、思い上がりによることではないということを、この直接的な衝動ということが、私に確信させてくれたからである。」

・・・つづきます。


(その5)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んでみましょう!

2024-09-12 09:25:53 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 つづきです。『神の国の証人ブルームハルト親子』(井上良雄 著:新教出版 より)

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この頃から、ゴットリービンの病気は、ブルームハルトの真剣な祈りの対象となった。

この事件が収束してから、6年後に「弁明書」(ド・ヴァレンティ博士に対し書いた)の中で、彼は当時のことを回想しながら、次のように書いている。

「私は、村長ともう一人私の教会の深い信頼を持つキリスト者と一緒に、週に2回あるいは3回、私の書斎で祈った。

私は、これらの人々が、知恵と力と助けを求めて、神に捧げる熱心な祈りを、忘れることができない。

私たちは、共に聖書全体を調べた。そして、聖書が私たちを導いてゆくところよりも先には進むまい、と互いに確認し合い、警めあった。

奇蹟を行うなどということは、私たちの念頭には少しもないことであった。ただ私達には、悪魔が今もこのような力を持っていること。

そして人に知られるそのような悪魔の網が、人類の上にかけられていることが、深い悲しみであった。したがって、私たちの心からの同情は、単にその悲しみを目の前に見ているこの人〔ゴッドリービン〕に対する同情だけではなかった。

私たちは、神から離れ魔法の密かな罠に絡めとられている無数の人々について、神の前で嘆き、呻吟した。そして、神が、少なくともこの事件においては、私たちに勝利を与え、サタンを足の下に踏みつけさせてくださるように、祈った。」

この文章には、ブルームハルトがゴッドリービンの事件において何を見たか、そしてそれに対してどのような姿勢で立ち向かったかが、よく示されている。そこには、私たちがこの事件を好奇心などの対象として眺めることを許さぬ厳しいものがあるが、しかしそのような考察は、先に譲らなければならない。

われわれは先ず、この事件そのものの後を追ってゆかねばならない。・・・つづきます。


(その4)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んで見ましょう!

2024-09-11 12:19:13 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 お話の続きです。

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ゴットリービンの治療をしていたメルクリンゲン(この町に近い村)のシュペートという医師も、何人かの人々とともに二度、彼女の部屋で夜を過ごしたが、彼が、そこで経験したことも、医者としての彼が予期したことをはるかに超えるようなものであったという。

そのようにして、この出来事の噂はメットリンゲンだけではなく、その地方全体に広がり、好奇心に駆られて旅行者が村を訪問するというような騒ぎになった。

そこでブルームハルトは、ついに決心して1842年6月2日の夜、村長を含めて数名の信頼できる教会の人々と共に、何の予告もせずに、ゴットリービンの家の調査に行った。

ブルームハルトが家に足を踏み入れると同時に、物を打つような激しい音が響き、それに続いてさまざまな音が聞こえてくる。それは主として、ゴッドリービンが寝ている部屋から聞こえて来るように思われた。

同行の人々は、手分けをして家の内外を調べていたが、やがて彼らもこの部屋に集まってきた。騒音は、次第に高くなったが、ことにブルームハルトが同伴した人々とともに讃美歌を歌い、祈りを始めるとそれはいよいよ激しくなった。

時にはその部屋のどこかを打ち付けるような激しい音がして、その度に椅子が飛び上がり、窓が震え、天井から砂が落ちてくるほどであった。

一行は、音のでるところなどを詳細に調べたが、原因をついに発見することはできなかった。

夜中の一時ごろ、ゴットリービンは、ブルームハルトを呼んで、自分には人の足音が聞こえるが、その姿を見たらその人の名を言ってもいいかと尋ねたが、ブルームハルトは厳重に、そのようなことをしてはいけないと命じた。

彼は、説明不可能な事実を、これほど多くの人が見たというを、そのまま放置しようとは思わなかった。彼は、調査を中止し。ゴットリービンが直ちに別の家に泊まれるように手配し、一行と共に立ち去った。

翌日、教会で礼拝があったが、ゴットリービンも出席していた。しかし、彼女は自家に帰って半時間もすると、使いの者が来て、彼女が失神して死にかけていると告げた。

ブルームハルトが彼女の家に急いでゆくと、群衆が集まっていて、彼女は硬直状態でベッドに横たわっていた。医者も来て手当てをしていたが、彼女の意識を恢復させろことができないので、頭を振って帰っていった。

しかし、それから半時間ほどすると、彼女は覚醒し、ブルームハルトに、教会から帰って部屋に入ると、またあの子供を抱いた女の姿を見て意識を失ったのだ、と語った。

そのような事があってから、ブルームハルトは、ゴッドリービンが自家に戻らないで済むように、宿舎の世話をし(実際、翌年の中頃まで、自家に足を入れなかった)、2、3の信頼出来る人々と、時折彼女を訪問して、事の成り行きを見守る決心をした。

・・・つづきます。