丸友しまかのお魚日記

宮古市魚市場で水揚げされる四季折々の魚たちの紹介。そして、丸友しまかの自慢の加工品の紹介などなど。三陸宮古の水産を発信!

あれから1年になります。

2012-03-11 09:42:17 | 東日本大地震

あの日、朝は雪が降って無かったように思います。今朝の宮古は雪が降り、あたり一面雪景色でした。

あの日、何も変わらず、いつもと同じように、宮古魚市場に出向き、旧魚市場前の岸壁に、修繕を終えた小本浜漁協の定置網 須久洞丸が資材の積み込みのため、停泊していました。仕入れを終え、通常通りに仕事をして・・・。

その日、社長は午後から、「浜守人の会(はんもうどのかい)」の人達と、春からの営業に向けて浄土ヶ浜の管理棟周辺の清掃に出かけました。社長が外出しているときに限って、トラブルというものは起きるもので。確か13時半前後に、お取引先さまから、トラブルの電話がかかってきまして。私と母で対応に当たっていました。その為、午後の仕入れには、従業員のしげちゃんに行ってもらい、浄土ヶ浜で掃除中の社長を呼び戻しました。

帰社した社長とともに、トラブル対応を終え、午後の休憩に入りました。それが、確か地震が起こる10分位前だったかと。従業員みんなで、コーヒーを飲んでいた時に、あの地震が起きました。携帯がけたたましい音で鳴ったのを覚えています。それから、間もなくして停電になりました。この揺れは異常過ぎると思い、どうにかこうにか仕入れに行っていたしげちゃんに、帰社の連絡をしました。

しばらくして、しげちゃんが帰社。仕入れたものを冷蔵庫に搬入し、状況を確認。川の水の引き方が異常である事を聞きました。そして、彼の車に設置してあるテレビをつけてみると、気仙沼が津波に覆われていくところでした。

翌日、市街地にある祖父母が営む飲食店へ。悲惨な状況でした。津波が中心部まで来た事を理解するのには、時間は要りませんでした。街中に船舶が打ち上げられ、家屋は壊れ、あり得ないところに車があったりと。思い出すだけで、ぞっとします。

あれから1年。宮古の復旧のスピードは早かった。震災後1カ月で開場した宮古魚市場、また同時に水揚げを再開した底曳船。嬉しいニュースの一方、福島原発事故による放射性物質問題。おそらく、天災である地震・津波だけであれば、どこの地域も復旧や復興のスピードは早かったと思います。この放射性物質の影響は大きい。風評被害や瓦礫の受け入れ問題、一部で聞こえてくる差別的な問題など、様々な問題があります。これらの事、ちゃんと正面から向き合って、考えていかなければいけないのだと思います。

まとまりの無い文章になってしまいましたが、ポジティブに、出来る事からコツコツと進んでいけたらと思います。

最後に、この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。