私が通っていた高校には、生徒と結婚しては離婚し、
また別の生徒と再婚するということを何度も繰り返している先生がいました。
噂話を聞いただけでしたので、
なんでそういうことになってしまったのか、
事の真相は知りませんでしたが、
在学中の生徒に手を出して、それがバレて離婚になり、
卒業を待って結婚するんだけど、けっきょくまた新しい生徒に手を出してしまって、
同じことが繰り返されるんだろう、みたいな高校生特有の妄想が語り伝えられていました。
当時はそういう噂話や妄想話を素直に信じていましたから、
同じ過ちが何度も繰り返されるのはなぜなんだろうと不思議に思い、
教師と生徒はなぜ恋に落ちるのか、そしてなぜそれは長続きしないのか、
そのメカニズムを解明したいとずっと考えていたのです。
先日、「上下関係があるところに恋は生まれやすい」 と
「なぜ上下関係で生まれた恋は長続きしないのか?」 の二部作を発表しましたが、
それがまさに私の長年の研究の集大成だったわけです。
研究の途上で、たんに教師と生徒だけでなく、
広く上下関係が成立するところにこの問題は発生しやすいのだろう、
というふうに視野が広がりましたし、
男性と女性の違いという問題にまで関連させることもできたので、
自分の研究成果にはある程度満足しているところです。
その研究成果を承けて、教育のエチカとして改めて提言したいのは、
教師と生徒の恋愛は制限されるべきである、ということです。
以前にちらっとその話を予告しておきましたが、
理由の1つは、先の二部作から導き出されることです。
すなわち、教師と生徒のあいだには構造的に恋が生じやすく、
しかもその恋は必然的に冷めやすいので破局する可能性が高く、
そうなった場合により傷つくのは生徒 (あるいは元生徒) の側なのだから、
教育者としてはそのようなリスクは避ける必要があるだろう、ということです。
むしろ教師はこのようなメカニズムを熟知した上で、
自分をコントロールするべきでしょうし、
自分や自分以外の教師に熱を上げている生徒がいた場合には、
このメカニズムを教えてあげ、
少なくとも在学中は我慢して、教師と生徒という上下関係が消滅したあとも、
思いが変わらずに続くかどうかを確認してからつきあうようにしなさいと、
アドバイスしてあげるべきでしょう。
理由の2番目は 「利害対立の回避」 というプロフェッショナル・エシックスの教えによります。
公僕であるはずの政治家や公務員が、ある人から賄賂をもらってしまえば、
その人を特別扱いしたくなり、
すべての国民を平等に扱うことができなくなってしまうでしょう。
同様に生徒たちの中の1人と恋愛関係をもってしまったら、
その子を他の生徒と平等に扱うことは困難になってしまうでしょうし、
テストなどで公平に評価することも難しくなってしまうでしょう。
子どもが大人の何を嫌うって、依怙贔屓ほど目の敵にされることはありませんので、
他の生徒からの信頼を完全に失ってしまうこともありえるわけです。
また、教師として考えるその子の最善の進路と、
彼氏として考えるその子の最善の進路がズレてしまうということもありうるでしょう。
(才能に恵まれた子なので本来なら遠くの大学に進学 (や留学) させるべきなのに、
離れたくないし、他の男とも出会わせたくないので、進学はさせたくない、とか)
このような利害対立が生じてしまった場合に、
教師としての当然の判断を優先させることが難しくなる可能性もあります。
プロフェッショナルには、こうしたプロとしての判断を誤らせる可能性を、
極力回避する義務が課されているのです。
というわけで、教師と生徒の恋愛関係は制限されるべきです。
まあ構造的に生徒が教師に恋してしまうのは避けがたいので、
教師がそれに応えて恋愛関係を成立させてはいけない、という形での、
教師にとっての禁止義務として定式化してもいいかもしれません。
とりわけ、教師が生徒と性的関係をもつことは禁止されて然るべきでしょう。
少なくとも在学中はあきらめてください。
上下関係における恋のメカニズムを教師と生徒双方が理解した上で、
教師と生徒という関係性が解消してもなお、
しかも教師と元生徒という上下関係によるのでもなく、
男女の関係を築いていけそうであれば、
そのとき初めて恋愛をスタートさせることを認めてあげましょう。
でも、どうです?
そうまでしてその人とつきあいたいとは思えないんじゃないですか?
また別の生徒と再婚するということを何度も繰り返している先生がいました。
噂話を聞いただけでしたので、
なんでそういうことになってしまったのか、
事の真相は知りませんでしたが、
在学中の生徒に手を出して、それがバレて離婚になり、
卒業を待って結婚するんだけど、けっきょくまた新しい生徒に手を出してしまって、
同じことが繰り返されるんだろう、みたいな高校生特有の妄想が語り伝えられていました。
当時はそういう噂話や妄想話を素直に信じていましたから、
同じ過ちが何度も繰り返されるのはなぜなんだろうと不思議に思い、
教師と生徒はなぜ恋に落ちるのか、そしてなぜそれは長続きしないのか、
そのメカニズムを解明したいとずっと考えていたのです。
先日、「上下関係があるところに恋は生まれやすい」 と
「なぜ上下関係で生まれた恋は長続きしないのか?」 の二部作を発表しましたが、
それがまさに私の長年の研究の集大成だったわけです。
研究の途上で、たんに教師と生徒だけでなく、
広く上下関係が成立するところにこの問題は発生しやすいのだろう、
というふうに視野が広がりましたし、
男性と女性の違いという問題にまで関連させることもできたので、
自分の研究成果にはある程度満足しているところです。
その研究成果を承けて、教育のエチカとして改めて提言したいのは、
教師と生徒の恋愛は制限されるべきである、ということです。
以前にちらっとその話を予告しておきましたが、
理由の1つは、先の二部作から導き出されることです。
すなわち、教師と生徒のあいだには構造的に恋が生じやすく、
しかもその恋は必然的に冷めやすいので破局する可能性が高く、
そうなった場合により傷つくのは生徒 (あるいは元生徒) の側なのだから、
教育者としてはそのようなリスクは避ける必要があるだろう、ということです。
むしろ教師はこのようなメカニズムを熟知した上で、
自分をコントロールするべきでしょうし、
自分や自分以外の教師に熱を上げている生徒がいた場合には、
このメカニズムを教えてあげ、
少なくとも在学中は我慢して、教師と生徒という上下関係が消滅したあとも、
思いが変わらずに続くかどうかを確認してからつきあうようにしなさいと、
アドバイスしてあげるべきでしょう。
理由の2番目は 「利害対立の回避」 というプロフェッショナル・エシックスの教えによります。
公僕であるはずの政治家や公務員が、ある人から賄賂をもらってしまえば、
その人を特別扱いしたくなり、
すべての国民を平等に扱うことができなくなってしまうでしょう。
同様に生徒たちの中の1人と恋愛関係をもってしまったら、
その子を他の生徒と平等に扱うことは困難になってしまうでしょうし、
テストなどで公平に評価することも難しくなってしまうでしょう。
子どもが大人の何を嫌うって、依怙贔屓ほど目の敵にされることはありませんので、
他の生徒からの信頼を完全に失ってしまうこともありえるわけです。
また、教師として考えるその子の最善の進路と、
彼氏として考えるその子の最善の進路がズレてしまうということもありうるでしょう。
(才能に恵まれた子なので本来なら遠くの大学に進学 (や留学) させるべきなのに、
離れたくないし、他の男とも出会わせたくないので、進学はさせたくない、とか)
このような利害対立が生じてしまった場合に、
教師としての当然の判断を優先させることが難しくなる可能性もあります。
プロフェッショナルには、こうしたプロとしての判断を誤らせる可能性を、
極力回避する義務が課されているのです。
というわけで、教師と生徒の恋愛関係は制限されるべきです。
まあ構造的に生徒が教師に恋してしまうのは避けがたいので、
教師がそれに応えて恋愛関係を成立させてはいけない、という形での、
教師にとっての禁止義務として定式化してもいいかもしれません。
とりわけ、教師が生徒と性的関係をもつことは禁止されて然るべきでしょう。
少なくとも在学中はあきらめてください。
上下関係における恋のメカニズムを教師と生徒双方が理解した上で、
教師と生徒という関係性が解消してもなお、
しかも教師と元生徒という上下関係によるのでもなく、
男女の関係を築いていけそうであれば、
そのとき初めて恋愛をスタートさせることを認めてあげましょう。
でも、どうです?
そうまでしてその人とつきあいたいとは思えないんじゃないですか?