人間は本当に 「私語する動物」 なのでしょうか? 簡単に証明してみましょう。ふだん学生に私語してはいけないと言っている教員たちですら、教員会議では必ず私語をしている。ゆえに、すべての人間は私語をする。以上、証明終わり。どうです。納得してくださいましたか。え? 教員会議での私語と講義中の私語は別物だろう、ですって? ではもうひとつの証明。福島大学がFDの一環として行っている 「授業公開&検討会」 では 「授業者と参観者の皆さんへ」 という文書が配布されていますが、その一番下に大きなフォントで太枠に囲われて次のように書いてあります。
「(注意)授業公開中の教員同士の私語は、学生の受講の妨げになりますので、くれぐれも慎んでください。」
授業公開を開始した初期の頃にはこの注意書きはなかったのですが、やってみたら学生からのアンケートに 「先生たちの私語がうるさくて授業に集中できませんでした」 という屈辱的な指摘があったために、翌年からこの一文が追加されたという歴史があるのです。しかも、最近私が参加した何回かの授業公開でも、このような注意書きにもかかわらず、あいかわらず毎回、先生方の中に私語をしている方々がいらっしゃいました。「講義中に私語をしてはいけない」 という倫理を共有しており、かつ他人にそれを指導する立場のはずの大学教員ですら、講義中に私語をしてしまうのです。それくらい私語は人間の本性に深く組み込まれた性(さが)であると言えるでしょう。証明終わり。
ことほどさように人間は 「私語する動物」 なのです。ですから、私が話している最中に私語をするなんて許せんっ!などと感情的になってもムダです。最初の授業であれほどなぜいけないかを説明したのにそれを破るなんてお前らは確信犯だなっ!と逆上してみてもまったく意味がありません。いくらルールを頭で理解していても、本性に根差した行動はなかなか制御できないのが人間なのですから。もちろん、だからといって講義中の私語はしかたないのだとあきらめてしまうわけにもいきません。前回書いたように、私語は他の学生の権利を侵害する行為なのですから。そこで、私語をしてしまう動物である人間に私語をさせないようにするための具体的な手立てが必要になってくるわけです。(つづく)
「(注意)授業公開中の教員同士の私語は、学生の受講の妨げになりますので、くれぐれも慎んでください。」
授業公開を開始した初期の頃にはこの注意書きはなかったのですが、やってみたら学生からのアンケートに 「先生たちの私語がうるさくて授業に集中できませんでした」 という屈辱的な指摘があったために、翌年からこの一文が追加されたという歴史があるのです。しかも、最近私が参加した何回かの授業公開でも、このような注意書きにもかかわらず、あいかわらず毎回、先生方の中に私語をしている方々がいらっしゃいました。「講義中に私語をしてはいけない」 という倫理を共有しており、かつ他人にそれを指導する立場のはずの大学教員ですら、講義中に私語をしてしまうのです。それくらい私語は人間の本性に深く組み込まれた性(さが)であると言えるでしょう。証明終わり。
ことほどさように人間は 「私語する動物」 なのです。ですから、私が話している最中に私語をするなんて許せんっ!などと感情的になってもムダです。最初の授業であれほどなぜいけないかを説明したのにそれを破るなんてお前らは確信犯だなっ!と逆上してみてもまったく意味がありません。いくらルールを頭で理解していても、本性に根差した行動はなかなか制御できないのが人間なのですから。もちろん、だからといって講義中の私語はしかたないのだとあきらめてしまうわけにもいきません。前回書いたように、私語は他の学生の権利を侵害する行為なのですから。そこで、私語をしてしまう動物である人間に私語をさせないようにするための具体的な手立てが必要になってくるわけです。(つづく)