FD (これについてはそのうち書きます) 関係のある媒体に、
原稿を提出しなくてはいけないのですが、
その原稿執筆とブログの執筆が両立できる気がしないので、合体させてしまいます。
テーマは私語についてです。
私語の世界
講義型授業において、学生の私語に悩まされている先生方はあいかわらずいらっしゃるのではないでしょうか。特に共通領域(いわゆる一般教育科目のことです)や学群・学類共通科目など100人を超える大規模授業では、どうしても私語は発生してしまいがちです。私語に対して私がどのように対処してきたか、という話をご紹介させていただきます。
まずこの問題に取り組む際に、講義中に私語をしてはいけない、なんて当たり前だろうという常識を捨て去るところから始めたいと思います。このような常識は、二重の意味で、もう失われているということを理解しなければなりません。ひとつは、「講義中に私語をしてはならない」という倫理(義務、ルール)を学生たちは共有していないということ。もうひとつは、そもそも人間というのは私語をしたがる動物であるということ。したがって、講義中に私語をしてはいけない、ということを前提にして話を始めるのではなく、講義中に私語をしてはいけない、という文化をどうやって新たに創っていったらいいかという観点で考えていく必要があります。
まず、倫理をどのように創り上げるかという点からいきましょう。「講義中に私語をしてはならない」という倫理を学生たちに浸透させるためには、なぜ講義中に私語をしてはいけないのかという理由(倫理の根拠)を彼らに納得してもらう必要があります。私の講義では第1回目の授業の時に必ず「教室の倫理」について語るのですが、その中でこの問題についても論じるようにしています。
なぜ講義中に私語をしてはいけないのか、その理由はさまざまありえますが、最も強力な論拠は、他の学生が講義を聞く権利を侵害しているから、だろうと思います。どんなに小さな声であっても、近くで誰かがヒソヒソしゃべっていたら、ものすごく気になって講義に集中できなくなりますから、その話を聞きたいと思っている人にとってはたいへんな迷惑になります。だから私語はいけないのです。
このことは、映画館の例を出してあげれば、だいたいの学生が納得してくれます。映画館にはその映画を見ようと思ってお金を払ってお客さんがやってきています。あなたが座った席の隣で、どこかのカップルが映画に関係あることだろうがなかろうがずっとヒソヒソしゃべっていたとしたら、あなたは頭にきますよね。学生の皆さんは自分で学費を払っていない場合が多いですが、しかしやはりこの授業を聞くためにどこからかお金は払われているわけで、せっかく聞こうと思って教室に来ているのに、それを隣の誰かにジャマされたら、それは権利を侵害されたことになるのです。
その授業の内容が期待外れでどんなにつまらなかったとしても、だからといって私語をしていいということにもなりません。あなたにとってはつまらなくても、それを楽しみに聞きに来ている人がいるかもしれないのです。100人中99人がつまらないと思ったとしても、たった1人でもその授業を聞きたくて聞きに来ている人がいたとしたら、その人の権利が守られなければなりません。
私はこの話をするときに、権利は自分で守らなければならない、という話もしています。もしも近くの誰かが私語をしていて気になって授業に集中できないような場合は、あなたの権利が侵害されたのだから、あなたがそれに異議を唱える権利があります。自らひとこと「静かにしてください」と注意してもかまわないのです。とはいえ、対等な学生どうしで相手に注意をするというのは相当な勇気が要るでしょうし、ひとこと注意してもやめてもらえず、そこで口論になったりした場合には、客観的にはその注意した人も私語をしているとみなされかねないので、学生が自分で注意するというのはなかなか困難だと言えるでしょう。映画館でもお客がお客に注意するというのはなかなか難しいことですので、やはり映画館側に鑑賞環境を良好に保つ義務や責任が生じてくるでしょう。それと同様、教室でも私語を根絶させる責任は最終的には教員の側にある、ということになるでしょう。
私は第1回目の授業の時に以上のような話をして、「講義中に私語をしてはならない」という倫理をみんなで共有するようにしています。いずれも、そんなのわざわざ言うまでもなく当たり前の話のように思われるかもしれませんが、少なくとも今の学生たちは、この程度のことも常識として共有してはいませんので、噛んで含めるように納得させてあげることが重要です。
しかしながら、こうして倫理を共有できたからといって、では次回からは誰も私語をしなくなるかというとそんなことはありませんし、私語をした者を、倫理に反するなんて言語道断だと厳罰をもって処するというのも、得策ではありません。なぜならば、最初に述べたように、人間というのはそもそも私語をしたがる動物なのだからです。では、その点も踏まえた上でどう対処したらよいかについて、次回論じることにしましょう。
原稿を提出しなくてはいけないのですが、
その原稿執筆とブログの執筆が両立できる気がしないので、合体させてしまいます。
テーマは私語についてです。
私語の世界
講義型授業において、学生の私語に悩まされている先生方はあいかわらずいらっしゃるのではないでしょうか。特に共通領域(いわゆる一般教育科目のことです)や学群・学類共通科目など100人を超える大規模授業では、どうしても私語は発生してしまいがちです。私語に対して私がどのように対処してきたか、という話をご紹介させていただきます。
まずこの問題に取り組む際に、講義中に私語をしてはいけない、なんて当たり前だろうという常識を捨て去るところから始めたいと思います。このような常識は、二重の意味で、もう失われているということを理解しなければなりません。ひとつは、「講義中に私語をしてはならない」という倫理(義務、ルール)を学生たちは共有していないということ。もうひとつは、そもそも人間というのは私語をしたがる動物であるということ。したがって、講義中に私語をしてはいけない、ということを前提にして話を始めるのではなく、講義中に私語をしてはいけない、という文化をどうやって新たに創っていったらいいかという観点で考えていく必要があります。
まず、倫理をどのように創り上げるかという点からいきましょう。「講義中に私語をしてはならない」という倫理を学生たちに浸透させるためには、なぜ講義中に私語をしてはいけないのかという理由(倫理の根拠)を彼らに納得してもらう必要があります。私の講義では第1回目の授業の時に必ず「教室の倫理」について語るのですが、その中でこの問題についても論じるようにしています。
なぜ講義中に私語をしてはいけないのか、その理由はさまざまありえますが、最も強力な論拠は、他の学生が講義を聞く権利を侵害しているから、だろうと思います。どんなに小さな声であっても、近くで誰かがヒソヒソしゃべっていたら、ものすごく気になって講義に集中できなくなりますから、その話を聞きたいと思っている人にとってはたいへんな迷惑になります。だから私語はいけないのです。
このことは、映画館の例を出してあげれば、だいたいの学生が納得してくれます。映画館にはその映画を見ようと思ってお金を払ってお客さんがやってきています。あなたが座った席の隣で、どこかのカップルが映画に関係あることだろうがなかろうがずっとヒソヒソしゃべっていたとしたら、あなたは頭にきますよね。学生の皆さんは自分で学費を払っていない場合が多いですが、しかしやはりこの授業を聞くためにどこからかお金は払われているわけで、せっかく聞こうと思って教室に来ているのに、それを隣の誰かにジャマされたら、それは権利を侵害されたことになるのです。
その授業の内容が期待外れでどんなにつまらなかったとしても、だからといって私語をしていいということにもなりません。あなたにとってはつまらなくても、それを楽しみに聞きに来ている人がいるかもしれないのです。100人中99人がつまらないと思ったとしても、たった1人でもその授業を聞きたくて聞きに来ている人がいたとしたら、その人の権利が守られなければなりません。
私はこの話をするときに、権利は自分で守らなければならない、という話もしています。もしも近くの誰かが私語をしていて気になって授業に集中できないような場合は、あなたの権利が侵害されたのだから、あなたがそれに異議を唱える権利があります。自らひとこと「静かにしてください」と注意してもかまわないのです。とはいえ、対等な学生どうしで相手に注意をするというのは相当な勇気が要るでしょうし、ひとこと注意してもやめてもらえず、そこで口論になったりした場合には、客観的にはその注意した人も私語をしているとみなされかねないので、学生が自分で注意するというのはなかなか困難だと言えるでしょう。映画館でもお客がお客に注意するというのはなかなか難しいことですので、やはり映画館側に鑑賞環境を良好に保つ義務や責任が生じてくるでしょう。それと同様、教室でも私語を根絶させる責任は最終的には教員の側にある、ということになるでしょう。
私は第1回目の授業の時に以上のような話をして、「講義中に私語をしてはならない」という倫理をみんなで共有するようにしています。いずれも、そんなのわざわざ言うまでもなく当たり前の話のように思われるかもしれませんが、少なくとも今の学生たちは、この程度のことも常識として共有してはいませんので、噛んで含めるように納得させてあげることが重要です。
しかしながら、こうして倫理を共有できたからといって、では次回からは誰も私語をしなくなるかというとそんなことはありませんし、私語をした者を、倫理に反するなんて言語道断だと厳罰をもって処するというのも、得策ではありません。なぜならば、最初に述べたように、人間というのはそもそも私語をしたがる動物なのだからです。では、その点も踏まえた上でどう対処したらよいかについて、次回論じることにしましょう。