まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

仰げば尊し わが師の恩

2010-03-23 12:50:56 | 教育のエチカ
卒業式シーズンですね。
卒業式といえば私たちの頃は 「仰げば尊し」 や 「蛍の光」 が定番ソングでしたが、
最近は卒業式で歌われることがどんどん減っているのだそうです。
Jポップにお株を奪われていて、
ある記事によると、昨年の卒業式ソングベスト3は、
「道」(EXILE)、「3月9日」(レミオロメン)、「サクラ咲ケ」(嵐)
だったそうです。

福島県の高校で 「仰げば尊し」 の廃止を先導してきたある先生によると、
学校側が主催し企画も立てている卒業式において、
生徒に 「仰げば尊し 我が師の恩」 と歌わせることを強要するなんて、
教員の側の思い上がりも甚だしい、ということだそうです。
先ほどの記事によると、仰げば尊しに代わってJポップが歌われるようになったのには、
次のような事情もあるそうです。

「きっかけは、尾崎豊の『卒業』が当時の高校生に共感を得たことでしょう。
 ただし、この曲には教育上好ましくない表現が使われていたことから、
 実際に卒業式ソングとして使われることは少なかったようですが、
 03年に別れを題材とした森山直太朗の 『さくら(独唱)』 がヒットし、
 『これなら卒業式で歌ってもいいのでは』 という気運が急速に広まったようです。」
                         (音楽評論家・反畑誠一さん)

なるほど。
卒業とは 「支配からの卒業」 だと思っている人たちに、
髪も整え制服を正しく着こなして、「仰げば尊し 我が師の恩」 と歌わせようなんて、
そりゃあリアリティがなさすぎるというものかもしれません。
近年ではセクハラやら、もっと直接的に生徒を対象とした性犯罪とかもあるようで、
そんな目にあった人たちが 「仰げば尊し 我が師の恩」 と高らかに歌うことを強要されたら、
二次被害以外のなにものでもないでしょう。
すべての学校でそこまでひどいことが起こっているわけではないとしても、
「仰げば尊し」 の歌詞は古い日本語で書かれていて、
小中学生くらいだとそもそも意味がわからないし、
したがって歌詞が覚えられないということもあるようです。
「仰げば尊し」 が廃れていくのももっともだという気がします。

ところが今朝たまたま見た報道番組で、
(「とくダネ!」 だったか 「スーバーモーニング」 だったかもう思い出せないのですが、)
卒業式で 「仰げば尊し」 を復活させる取り組みをしている中学校のことが特集されていました。
きちんと歌詞の意味を教え、
卒業式で、たんに教員に対してばかりでなく、自分の親も含めて、
ここまでお世話になった大人の人たち (=師) に対してこの曲を歌ってあげることが、
どういう意味を持っているのかということを、
きちんと丁寧に生徒たちに説明して理解を求めた上で、合唱の練習をし、
卒業式で披露している学校です。
これは教育界におけるインフォームド・コンセントの取り組みとして評価されるべきでしょう。

最も理想的なことを言うならば、
生徒たちが自らの判断と選択により 「仰げば尊し」 を歌おうと決め、
自主的・自発的に歌うというのが本来あるべき姿だと思います。
たんなる別れを歌ったJポップではなく、
わが師の恩に感謝を捧げる 「仰げば尊し」 を先生たちに贈りたいと、
彼らが自然に思えるような、そういう学校生活が営まれてきて、
そういう関係性が育まれていたならば、
そのような理想的かつ感動的な卒業式が可能になるかもしれません。
けっきょく、日々の教育活動が重要なのであって、
節目の式典だけをなんとか取り繕おうとしても手遅れであるということなのでしょう。
うちの卒業式は明後日ですね。
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
わが師の恩は仰がなくてもいいから、貸してあげていた本は返してね。