ma_kunの徒然日記

日々の出来事を綴っていきます。

淀城跡公園には與杼神社が

2025年04月02日 | 風景・風物



淀城跡公園には 與杼神社 が建立されています




與杼神社   與杼(よど)と読めないですね

淀水垂町に祀られ 桂川の水上運輸の守護神として人々から崇敬されていましたが

明治33年に淀川改修工事のため 淀城址内の現在地に移されました




 手水舎




クスノキにぶら下げられた絵馬








神輿三基を格納してある 神輿庫




拝殿  国の重要文化財


本殿

向かって左側に 速秋津姫命 中央に豊玉姫命 右側に高皇産霊神を祀る

かつては重要文化財であったが 昭和50年(1975)に焼失 

現在の本殿は昭和50年の焼失により昭和55年3月に建立された




日大臣社(ひだいじんしゃ)

伊勢神宮より由貴御倉(ゆきのみくら)を拝領し

昭和50年(1975)から昭和54年(1979)まで仮本殿とされ

本殿が再建される際に現在地に移されると日大臣社とされました


本殿の南側の奥には1000年ぶりに発見された

当時の基礎石が奉納されて

両脇には江戸時代の豪商ゆかりの大坂淀屋の高灯籠




灯籠に刻印の文字「屋淀坂大」

説明書には 「淀屋ゆかりの者がこの高灯籠を寄進して

再興を宣言したことを示したともいえる」 と書かれています












與杼神社の境内と繋がって 稲葉神社 があります




本殿の正面に拝殿と思われる建物




本殿




稲葉神社の由来




石碑の裏側に 歴代淀藩主・稲葉家系譜



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淀の河津桜 (続き)

2025年03月31日 | 風景・風物


淀水路の河津桜を見た後は淀駅から数分の 淀城址 へ行く




淀水路の河津桜から淀城址へ




淀城は 山城国久世郡淀(京都府京都市伏見区淀本町)にあった城で

現在は本丸の石垣と堀の一部が残っていて

江戸時代には 久松松平家 戸田氏 稲葉氏 などの譜代大名が居城としていた


観光客もここは知らないのか静まりかえっています




本丸を囲む石垣へ








天守台には鍵がかかていて入れない

石垣を修理し調査した結果 徳川淀城には五重五階地下一階の天守が

建てられていたことが分かったそうです




内濠と左端の高架は京阪電車




本丸を囲む石垣を歩く  ここにも河津桜が植えられています




色違いの桜があると思えば 長野県 高遠 江戸こひがん桜








三等三角点  これだけ埋もれていると誰も気づかないでしょう



三等三角点 淀城(よどじょう)
北緯 34度54分 5秒430
東経 135度43分12秒797
標高 17.53メートル
設置年 平成1年(西暦1989年)




城址の櫓跡に「明治天皇御駐驛之址」の石碑 

何故こんなところに設置されているのか不思議ですが
裏側の記載によると 慶応4年の4月に 明治天皇が大阪行幸の帰途淀城内で
宿泊したことを記念して設置されたもの




石碑から回り込んで下ると 淀城址 ようこそ ようこそ




内濠と淀城西側の石垣


水車の説明版 ただしここには水車はありませんでした



続く

 

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淀川河川敷に船着場

2025年03月12日 | 風景・風物

 

阪急十三駅南側の淀川河川敷に船着場が完成間近

国土交通省近畿地方整備局が 十三駅南側の淀川河川敷に新たな船着場を整備

2025年の大阪関西万博会場への発着地となります




2021年頃の船着き場になる予定地の河川敷

対岸は大阪梅田のビル群です





船着場への道も整備
















淀川両岸の水深は平均1~2m と浅く浚渫作業




大阪関西万博会場の夢洲〜十三船着場は月190便の計画 だそうです


この「十三船着場」の約3km上流にある「淀川大堰」のほうでも

万博の開幕にあわせて国交省は 「淀川大堰閘門」 を2025年3月16日に開通だそうです

 



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中山観音と梅林 (続き)

2025年03月04日 | 風景・風物



梅の花も予想以上に咲いていなくて

星の広場から 中山観音の境内へ下っていく





大願塔

ここは本堂よりも一段高くなっているため 象徴的な存在で

天空を覆うかのように翼を広げています




大願塔からの眺め  鎮守社  青龍塔  屋根は本堂




これは何かと思えばエレベーターです

境内にエレベータがある寺院は稀と思いますが

阪神淡路大震災後の境内修理に併せて設置されたそうです




鎮守社

境内地を守る鎮守神と 中山寺の中を巡拝する 山内七福神の恵美須神が祀られています




子授け地蔵

本堂裏手の高台には一寸した広場があり

そこにひっそりと佇む小堂宇が子授け地蔵です




青龍塔

大成建設株式会社の施工により平成29年3月に落慶し「青龍塔」と名付けられました

日本では例を見ない群青色であることが最大の特徴です




大師堂 

真言宗の祖  弘法大師空海を祀るお堂です




青龍塔の横のエレベーターで本堂の横へ降りていく



本堂

内外の鮮やかな極彩色の装飾絵や彫刻は

江戸時代中後期に施されたものだそうです


顔料の色褪せや剥落がないのは

2005年から3年かけて彩色が復元されたからです







堂宇の四方にはこのように吊り灯篭が巡らされている

* 堂宇 (どうう)とは四方に張り出した 屋根 (軒)をもつ建物




本堂の裏側には『胎蔵界曼荼羅』が彫まれた大きな扁額が掲げられています




鐘楼堂

豊臣秀頼が1603(慶長8)年に再建し

その後 1761年に改修工事がされています




手水舎

蓮華の「蕾」を象ったデザインです

葉っぱの部分が柄杓置き場を兼ねるという実用的なところもgoodですね


                                                    (説明文は中山観音HP参照)

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中山観音と梅林

2025年03月02日 | 風景・風物



3月2日頃から暫く天気がぐずつきそうなので

1日に中山観音と梅林に行ってみた





中山観音 山門

いつも山歩きで中山最高峰までいくときは山門も素通りで

仁王像もまともに見たことがないので写真に撮ってみた



仁王像 復元修復 

中山寺山門は、正保五年 ( 1648 ) 徳川家光公により建立されたものです。
正保五年と書かれた木札がこの仁王像の胎内にも収められていましたので
山門と同時期に奉安されたことが判明しました。
この胎内札には発願者や仏師、塗師、絵師などの名前も書かれていました。
この度、彩色等の痕跡をつぶさに調査し、現代の絵師たちにより、今の姿に
復元することができました。



仁王門の裏には 狛犬が安置されています

獅子 狛犬 復元修復 

この山門の獅子 ( 左 ) と狛犬 ( 右 ) は木製ですが、木の厚みがとても
薄いため彫刻には非常に高度な技術を要したと思われます。 
痕跡調査の結果、弁柄漆 ( べんがらうるし ) のみで仕上げられていた
ことが判明いたしました。
この度、匠の漆職人により忠実に復元することができました。




境内からの甲山(309m)も霞んでいます




いつもだと道を左にとって中山最高峰へ行くのですが 今回は観音公園の梅林へ
















すり鉢状になった広場の中央に巨大な観音像があることから「観音公園」と言われます

3月2日には梅祭りがあるそうでテントが設営されている
























梅も未だつぼみの方が多くて花も拾い撮りで

観音公園の入り口から40分ほどで星の広場に出てしまった


星の広場からの眺めと大願塔




ルリビタキ の雌




何で撮っているの? といわんばかりに振り向いています




星の広場の百度石 裏に「文政九丙戌歳」とある  西暦1826年?ですかね

なぜ星の広場にあるのかが不思議です




ジョウビタキ ですね


続く

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