おはようございます^^
突然ですが 皆さん デカダンス主義 をご存知でしょうか。 頽廃的(たいはいてき)虚無的(きょむてき)
と日本語では訳すそうですが、この意味は退廃的な生活態度‥う~ん。。なんだか調べてもよくわからんのです…
なぜ このようなことを持ち出したかって言いますと、例によってラジオからの懐メロがきっかけでした。
♪‥明日という字は 明るい日と書くのね~♪ フォークギター片手に歌うこの歌詞を見て ああ‥
と思い出される方は1969年に青春真っ只中の人でしょうか。
私は当時小学生高学年でしたが音楽にマセていたのでしょう‥この曲はとても印象に残っています。まず、
明日という字は‥という変わった出始めに そうか‥確かに明るい日と書くよなぁ‥と子供心に得心しました
が歌の流れがどこか寂しくて気怠(けだる)く歌っていますよね。この気怠さを冒頭でいうところの頽廃的とは
このような歌ではないかな、と或る時思いついたのです。
ですが専門家が見ればそりゃぁ的外れだと嘲笑されるかも知れませんが、明るい日と云う割には寂(さ)びた節回しと
歌詞に当時の小学生のボンは 気が惹(ひ)かれたのです。この曲は今でも時々 ほんと忘れた頃に掛かるようですが、
鮮烈さもなくて いったい何を歌ってるんやろう と思う間もなく 漠然と聞き流してしまうのです。今振りかえって聴く
と二番の歌詞は 若いという字は苦しい字と似てる‥というのです。う~この曲の歌詞を創った人はとても漢字に詳しいか
ヒマがあれば漢和辞典を覗いていたんでしょうね。
この曲と同じころに フランシーヌの場合という曲がありました。歌手は新谷のり子さんで調べて見ますと80万枚の大ヒット曲。
この曲の歌い始めは ♪‥フランシーヌの場合は あまりにも悲しい~♪ といきなり本題から始まっていくのですが、
聴いていてもなにが悲しいのかはっきりしません。しかも途中にフランス語 らしきアナウンスが早口で入って
ことさら曲の行方が見えなくなりますが 曲自体は やはり気怠く 頽廃的な雰囲気にまみれています。
同じころにはやった 走れコウタローや黒猫のタンゴなんかと比べたらドツかれてしまうくらい対極的な曲だったでしょう。
ですが当時は娯楽性あり 恋愛を謳い 悩み 社会に問いかける‥ジャンルの多様性ではこの頃は歌謡の全盛だったのかも知れません。
もうひとつ 同じような感じの曲で 時には母のない子のように 歌手カルメンマキ も流行りましたね。やっぱり出だしが
ハーモニカーでしょうか、この独特の単弁的な流れ音調と反戦歌?と連想をするくらい頽廃的な曲ですが
この曲の場合 肩の力が入っていないいわゆる虚無的な歌い出しで やっぱり 時には母のない子のように~
題名がいきなり出てきますが、この始まりの歌詞を題名にするのもフォーク調の特長 当時の流行(はや)りみたいで
戦争を知らない子供たちにもその傾向があって今ではフォークというばこの曲が代表的になっています。
散文的になりましたが 秋の夜長に この三曲 デカダンスを思惟にしてお猪口片手に聞き流して頂きたいものですねぇ^^