国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

いきさつ9(ラッキーナンバー)

2015-11-06 | 結婚@NYまで
4月に入って、前年の参加者も体験談を話しに来るという「異文化理解A」の説明会に行ったのですが、学生の数が思っていたよりずっと少ない。この時点で嫌な予感がしたのですが・・・・・

月末に国際化推進室の人からメールを受け取りました。現時点で申込者は5名だけ(ちなみに前年の参加者は10名)。それでも開講してもらえるかを先方に問い合わせ中とのこと。(5名未満なら実施できないとの文言があるそうですから一応は足りているということですが。)そして後日届いた返事は「もし7名に満たなかったら今年はキャンセルさせてほしい」というもの。私の計画は暗礁に乗り上げました。

このことをLindaへのメッセージに書いたところ・・・・・

"Amado, no" の一言。(これが会話なら「以下絶句」と書くところでしょう。)数分後に「私たちが会えるかどうかは学生の数ではなくて神様が決めることでしょう」と書かれ、さらに・・・・

Yasugiro espere muchos años deseando conocerte, ahora que te conozco por medio de Spype, no importa esperar mas tiempo, aunque envejezca con el deseo.
(長年あなたと知り合いになりたいと願っていました。今スカイプを通じてそれが実現しましたので、もう少し待つぐらいどうということはありません。会えることを願ったまま年老いることになろうとも。)

スペルミスの連発(私の名前まで)は動揺のためと思われますが、それはさておき、このメッセージを読んでLindaがとてもかわいそうになりました。私が彼女に対して愛情を感じているとはっきり自覚したのは、実はこの時が最初だったと思います。(それまではどこまでが友情でどこからが愛情なのか判らない心理状態でした。)

週末の会話で「ごめんね。こんなことになってしまって・・・・」と言ったところ、Lindaは「いいのよ別に」と最初は気丈に振る舞っていました。ところが、しばらく言葉に詰まった後に突然泣き出しました。(実際には見えませんでしたが、大粒の涙を流していると思いました。後で知ったことですが、彼女は悲しい時でも嬉しい時でも本当によく泣く人です。)これを見て私は「こりゃ何としてでも今年中に機会を作って会いに行かなくてはならないぞ」と心に決めたのでした。

が、後に推進室が追加募集をかけてくれたお陰で新たに3名が参加を申し込み、最終的に8名となって研修は実施されることになりました。(難破船は救出されました。)


これは後日講義室で行われた参加予定者と引率教員の顔合わせ(1名欠席)の模様です。部屋に戻ってその写真を説明のメッセージとともにLindaに送ったのですが・・・・・どうやら最初は「7人」の意味が解っていなかったようです(笑)。

[15/05/21 12:53:04] Yasuhiro IZUMI: Siete estudiantes! Imagino que tú entiendes lo que significa.
[15/05/21 13:06:00] linda velasquez: Se ven preciosos!
[15/05/21 13:07:44] linda velasquez: 7 un numero perfecto!
[15/05/21 13:09:22] linda velasquez: Diría, una enseñanza personalizada.
[15/05/21 13:10:13] Yasuhiro IZUMI: En realidad ocho participantes. No vino una por su asunto.
[15/05/21 13:11:36] linda velasquez: Como estas?
[15/05/21 13:11:57] Yasuhiro IZUMI: De todos modos este verano viajaré a EEUU con ellos.
[15/05/21 13:12:18] linda velasquez: Que!
[15/05/21 13:13:00] linda velasquez: Verdad!
[15/05/21 13:13:34] Yasuhiro IZUMI: No llores, por favor. Vuelvo a trabajar.
[15/05/21 13:14:10] linda velasquez: Amado, Thank you so much

次の会話はそれまでで最も喜ばしいものとなりました。以後8月8日の出発日までは本当に待ち遠しかったです。ニューヨークから/日本から何を持って来てほしい、とか一緒に何を作って食べようか、など他愛のない話ばっかりしていましたが。

話を少し飛ばして次回はミシガンでの感動の初対面です。
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7 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヤスイロさん? (Koji KATO)
2015-11-06 09:55:22
ヤスヒロという発音から、ついYasugiroと書いてしまうということでしょうか。
レスラー時代に馳浩がメキシコでHiro Haseというリングネームにしたら「イロアセ=色褪せ」とコールされたとか。
私が大学でスペイン語を教わった先生はスペインで自分の名前Jun'ichiを「フニチ」と読まれて閉口したそうです。
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Unknown (Yasuhiro)
2015-11-07 07:29:02
米国在住が長かった彼女だけに“h”をハ行で読むことに何ら抵抗はなかったはず。私の名前をそのように書いたのもあの日が最初で最後でした。

ところで私も西語を学び始めてまだ日が浅い頃には自分の名前を正しく呼んでもらいたいとの意図から“g”や“j”を使ったこともありますが、混乱を招くだけと思い当たったので止めました。パスポートなど公文書の表記と違っていたらトラブルにもなりかねない。読み方も含めて憶えてもらうしかない、と割り切るようになりました。
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ヤスジローさん? (Koji KATO)
2015-11-07 12:51:05
あら、では単にhの隣のgを叩いてしまっただけですか。
Yasujiroだと日本人ならまずヤスジローと読んじゃいますね。
そういえばテレーザ・サルゲイロにサインをもらった時は「コージ」と言ったらスペルに迷ってました。「ジェイ」と言ったら今度はjかzかでまた迷っているので「ホタ」と言ってようやく解決。ポルトガル語でjをどう読むのか当時知らなかったもので。
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やっぱり (Yasuhiro)
2015-11-26 08:32:59
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/61/1323808d6d06fef9ee97efc2dfc8cc58.jpg

Lindaのお姉さんが作ってくれた招待状の文面にはしっかり "Yasujiro" と書かれていました
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ヤシュヒロさん? (Koji KATO)
2015-11-26 16:24:05
いい加減人の名前で遊ぶんじゃねえと怒られそうですが。
YasujiroでなくYashuhiro(=ヤシュヒロ)となってますね。
あちらの方々にとっては日本人の名前なんてわけがわからないでしょうね。
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ありゃりゃ (Yasuhiro)
2015-11-26 21:23:12
間違えて自分が修正した方のスクリーンショットを撮って&貼ってしまったようです。しかも2箇所の "shu" は見逃していたという体たらく。

正しいオリジナル(?)はこっちです↓

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/82/1132a47106bd72a387be960f7cdda3a2.jpg
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千の名を持つ男 (Koji KATO)
2015-11-27 01:00:47
Mil Nombres
プロレスデビューできそうですね。
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